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港の見える部屋でクスクスを

クスクスが食べたくなると、亡くなったある人のことを思い出します。
その人は原宿のマンションにパートナーの女性とともに住んでいたのですが、そのマンションに欠陥が見つかったことから、パートナーの所有していた横浜中華街近くのマンションに転居し、パートナーと2匹の猫とともに暮らしていました。
広々としたリビングは書斎を兼ねていて、間接照明の薄明かりの中、キャビネットや壁を見ると、アール・デコを感じさせる、上品なアンティークのからくり人形や絵画が飾られ、昔、親から継いだもののバブル期を過ぎて店を畳んだという、古物商をしていた頃の名残が感じられる小物があちこちに配されていました。
部屋の仕切りには、ゆかりのある中国の、細やかな細工の施された木製の美しい衝立を使い、それがオリエンタルな雰囲気のインテリアのアクセントになっていました。
山下公園の見える大きなテラス窓を背に、斜めに大きな机を配し、机の真向かいには何千万円もするような、タンノイの大きなスピーカーが。
左手にはクラシックのSPレコードのコレクションが棚いっぱいに並んでいて、部屋のどこを触れようとしても、それが憚られるような雰囲気がありました。

ある時、当時の私のパートナーが、その横浜のマンションに伺う機会があり、「せっかくだから君もおいでよ。食事でもしよう」とお誘いを受けたので、パートナーとともに渋谷から電車に乗り、元町・中華街の駅まで行きました。
マンションは駅からすぐ近く。エレベーターで住まいのある最上階まで昇ると、マンションの廊下からは横浜の街が一望でき、海風が心地よく感じられました。
チャイムを鳴らし、ドアが開くと、「やあ、待ってたよ。今日はクスが食べたくてね、今作ってる。」とその人は言います。
玄関先まで出迎えてくれたのは、その人だけではなく、2匹の黒猫も。
もうそろそろお年を召した黒猫たちはおとなしく、時々足元にすり寄ってきます。
その人がクス、と言ったのは、モロッコ料理のクスクスのこと。
「たくさん作らないとイマイチ美味くないんだよ。」
その人はいいます。
旅先で買った、専用の蒸し鍋を使ってクスクスを蒸していて、ラムチョップやたっぷりの野菜を、スパイスの効いたトマトソースを使って、大きな鍋で煮込む匂いが食欲をそそります。
カウンターキッチンの中、その部屋に唯一あると思われる蛍光灯の明かりの下で、くつくつと煮込まれるソースと、蒸気の上がるクスクス鍋を見ながら、しばらく黒猫たちと戯れるうち、クスクスは出来上がり、大きなガラスのダイニングテーブルの上にプレートが並べられます。
できたてのクスクスと、他愛のない会話。
そんなことがその人の家に訪ねていくと、いつもちょっぴりだけ特別に思えたものでした。

以前原宿のおうちに伺ったときもそうでした。
食材が足りなくて、原宿の街中にあるお店に足りないものを買いに行くとき、「ちょっと手伝って。一緒に行こう」と、私のパートナーに留守番を頼み、私だけが誘われて原宿の街へ出ました。
一緒に明治通りの交差点のあたりまで坂道を下っていき、交差点を渡るときに「よし、手をつなごう!」とその人は私の手を取りました。
大きくてあたたかな手が私の手を包み、「ちょっとした恋人ごっこみたいだろう?」と茶目っ気たっぷりにその人は笑ってみせました。
食材を買って部屋に戻り、食事の支度がととのう頃、パートナーの女性がおしゃれをして部屋から出てきました。
イッセイ・ミヤケのプリーツプリーズの、黒いワンピースとボレロに、大振りなイヤリングと、美しいブローチをつけ、きれいにお化粧をした姿で現れた彼女を、その人は「いやにおめかししちゃってるじゃん」とちょっとからかってみせます。
「今日はお客様がいるからちょっとね。」と静かに微笑み、ふたりは向き合ってテーブルにつき、開けた赤ワインをその人が彼女のグラスに注ぎます。
その日の食事は確かステーキでした。
お客さんが来ているからとはいえ、こんなふうにおしゃれをしてみんなの前に現れるその女性が、とても素敵だなあと思ったし、今でもそんな風になれたらなと思っていたりします。

その人と最後に話したのは、電話でのことでした。
「久しぶりだね、離婚してから何してるの?元気にしてるの?」と訊かれて、近況を話して、最近クラシック聴くのにハマってるんです、と話して、いつかコレクションのSP盤を聴きに行きたいです、と伝えました。
そうすると、ひとしきり嬉しそうに声を弾ませ、遊びにおいでと言ったあと、意外な言葉が電話口から聞こえてきました。
「いや、今ね、実は体調が悪くてね。なんか体に力が入らなかったり、上手く歩けなかったりしてね。来週から検査入院なんだ。」
その言葉に、私は上手く言葉が出なくなってしまいました。
もともと大きな病気をした経験のある人でもあり、生死の境を彷徨いながらも、きちんと戻ってきて生きている人だったし、きっと大丈夫だと思っていました。
「入院したらお見舞いに行きますよ。たまには顔見ないと。」
「本当に?それは楽しみだなあ。楽しみに待ってる。」
そう約束して電話は切れました。

約束をしたのにお見舞いにいかないまま、しばらくの年月が流れ、あの人はどうしているだろうとふと思い出し、ネットを検索してみました。
エッセイを書いている人だったから、新作が出ているだろうと思ったからです。
でもそこで知ったのは、その方が少し前に亡くなったということでした。

元気でいるとばかり思っていたのに、検査してわかった病気は、筋萎縮性側索硬化症(ALS)で、電話で話してから数年後に呼吸不全で亡くなられていました。
延命処置をしなかったあたりが、あの人らしいなと思いつつ、私が電話をした頃に、これまで書いていたエッセイではなく、長編小説を書いていたことも知りました。
たまたま仕事関係の相手のパートナーだった私を、すごく気遣ってかわいがってくれたのに、約束が果たせなかったことを、その時、とても後悔しました。
でも、会いに行っていたら良かったと思う反面、もし入院しているときに行ったら、格好悪いからと嫌がったかもしれません。

あの部屋にもしも訪れることがあったとしても、もうそこにはあの人はいなくて、黒猫たちももういなくなっていることでしょう。
凛とした潔い美しさのあるパートナーの女性は、海の見える部屋で、何を思うのかなあと、時々考えたりします。
原宿の交差点で繋いだ手のぬくもりを、忘れることはきっとないし、嘘だか本当だかわからないような、やたらとスケールの大きな話も、きっと記憶に刻まれたまま、私はこれからも生きて行くんだなあと思います。
大切な、小さな燈火のような思い出をたくさんくれた人。
忘れずにいることが、私にとっての供養なのかなと、今は思っています。


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