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愛とか幸せとか正義とか

 こんな時代だから愛とか幸せとか正義とか、真面目に考えてもいいんじゃないかな、そんな気持ちで今僕はnoteを書いている。

 "愛とは完全性に対する欲望と追及である"                                       

プラトンは愛をこう語る。正直哲学専攻でない僕はいまいち意味が分からない。

愛とは良い絵が台無しになるのも厭わないこと。より良い絵を描くために。

 僕の大好きなNetflixオリジナル映画ハーフオブイットでは愛はとても大胆なものだと言っている。

愛とは何なのだろう。

人それぞれの「愛とは」があるのだろう。

僕も愛について考えた。

愛とは永遠の共有への欲望の宇宙

これが僕の「愛とは」。

 好きな人や家族と、楽しいことも、苦しいことも、大きなことも、小さなことも一緒に共有したい。永遠に。この永遠を求めることこそが愛なんだと思う。だから、愛するというのは、届かないものを求めるくらいの大きなエネルギーのある感情なんだと僕は思う。だから愛の力はすごく大きくて重たい。その欲望はきっと宇宙のように限りない。

 それじゃあ幸せとは何なのだろう。

 あなたは今幸せですか?そう問われたらみんな何て答えるだろう。

幸せだよ!そう元気に答える人もいれば、強くNOと答える人もいると思う。

幸せは人によって基準が違う。お金持ちになれれば幸せ、普通の生活を送れれば幸せ、愛する人に愛されれば幸せ、生きているだけで幸せ。人それぞれ。

 そして人はすぐに比べる。あの人と比べたら私なんて不幸者。あの人に比べたら私は幸せだ。あの人の人生はかわいそう。私の人生なんて。人は相対的にそして、主観的に幸せを感じる。

 だから幸せは絶対的に存在するものではない気がする。

 しかし、後になって幸せだったのかもしれないと気付くことは多い。それは何かを失ったときに感じることが多い。好き、楽しい、綺麗、美味しい、感動する、嬉しい、わくわく、こういった一瞬のきらめきこそが実在する本当の幸せなんだろうと僕は思う。

 人を幸せにしたい。そんな強い思いは逆に難しい。幸せが主観的である以上、その人を幸せにすることは非常に難解なことに思える。


ここで正義について考えたい。正義には愛が含まれるし、人を幸せにしたいという感情も含まれると思う。真理が分かりにくい愛と幸せというものが合体した複雑で難解な問題だ。

 僕はまず正義の前に優しさについて考えた。僕は「優しさ」とは想像することだと思っている。その人の気持ちを想像すること。それが優しさ。その優しさの究極的であり、実行的であるものが正義だと僕は思う。
あえて言葉にするならば

正義とは他者を想像して心を重ねることで生まれた矛盾なき実行である


 これが僕の正義。だから正義と正義がぶつかることはおかしいことではない。大事なのは、心を重ねる精度をあげることだ。人の気持ちを理解することは難しいことだ。あなたじゃないんだから分かるわけがないと言ってしまえばそれまでだし、あなたに私の気持ちの何が分かるのって言ってしまえばそれもそれまでになってしまう。この心を重ねる精度を上げるのはやっぱり経験だと僕は思う。だからつらい思いや経験はこの精度を高める。どんなつらい経験もいつかは誰かを救う正義になり得ると思う。


そして、誰かのために生きたいってそう思えた瞬間、人は空虚で掴みにくい幸せよりも大切な何かを手にしている気が僕はする。
あとはいかに一瞬のきらめきを大切にできるか、これは本当に大切なこと。

 世界と人を想像して、感じた心のまま実行する。つらい過去や経験、歴史はその精度を高め得る。

 この世界が愛と幸せで溢れるように、正義を磨きたい。

そして一瞬のきらめきを愛したい。それが永遠に続くことを望むように。

 真剣に僕はそう思っている。


 

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