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【エッセイ】大人の泣きかた

「約束はきっちりと守りましょう」と、子供の頃から痛いほど言われてきたものです。「時間ドロボーにならないように約束の時間は守りましょう」だとか「借りたものはきっちり返しましょう」だとかは、相手の人が困らないために必須ですが、人には絶対守れない約束だってあります。

それは「大人は泣いてはいけない」という約束です。大人が泣くということに対して、別にいいよと言われる方も多いものの、実際は、結構厳しかったりします。

以前に勤務していた職場で、みんな帰った後の会社の窓際で、50代後半の女性が泣いていたところに遭遇したことがあります。まだ入ってきたばかりの中途入社の方で、仕事に慣れないので、年齢が二回りくらい下の上司から、よく怒られていました。だけど、みんなの前でその人は決して泣き顔をみせることはしませんでした。

あの人の心の中には、「大の大人が泣くことは恥ずかしいことだ」ということが頭の中にあったに違いありません。そして、みんながいなくなったと知った途端、緊迫していた涙腺がゆるんでしまったに違いありません。

あの時、私は会社の別の部屋で、違う課にいる人と長話をしてしまって、帰る時間がいつもより遅くなってしまいました。そして、荷物を取りに戻ってきた場所に、誰かがいることに気づいたのです。部屋のちょっと奥の方の窓際、眼鏡をはずして肘を何度も横に動かしながら、素手で涙をぬぐっているところに遭遇してしまった私。

あの人は、日中ため込んでしまった涙を、電車に乗って家に帰りつくまで持って帰ることができないと思ったのでしょうか。もしかしたら、スーパーに寄って買い物をする途中、我慢できずに泣いてしまったら困るとか。そんな不安を抱えるよりも、今、誰もいない場所ですっきり泣いて、さっぱりする方がいいと思ったのかもしれない...…。

私はそのままそっと、デスクから手荷物を持ち出して帰ろうと思ったのですが、目があってしまい、気づかれてしまったのです。

部屋の窓際に立つその人の目は、泣いて真っ赤でした。なんだか思い切り悪いことをした気持ちでいっぱいになって、どうにかして、その場を丸く立ち去ろうとオタオタしていると、その人は私の方に近づいて言ったのです。

「花粉症はイヤですね。びっくりさせてごめんなさい。お先に失礼します。」

そう言いながら、その人はさっさと、一陣の風のごとく、私の目の前を通り過ぎ、出ていったのです。

とても真面目なあの人。あんなに辛そうなのに、とっさにどうしていいかわからず、オタオタしている私に気を使い、明るくその場を去っていったのです。こういうのを大人の泣きかたっていうのかもしれない。ふと、そう思ってしまいました。

「あれは、どう考えても花粉症じゃないよね。」
そう思いながら、私はゆっくりと、トートバッグを肩にかけました。

外に出ると日が暮れていて、海側の遠い空がうっすらと赤く滲んでいました。自然にさっきの人の泣き顔を思い出してしまいました。

大人って、泣きたいときに泣くことも大変だよな。

真面目な人が、心底真面目に泣きたいとき、いったいどこで泣けばいいのでしょうか。会社で泣けない。街なかで泣けない。リビングにいる家族の前で泣けない。と、するなら、結局は、みんなが寝静まった後まで待って、お布団にくるまって声を殺しながら泣くしかないのでしょうか。あまりにも寂しすぎます。

中には、涙を武器にする人もいます。ふだんはクレームや噂話しに、先頭をきって声を上げるような人なのに、都合が悪くなると、同情を誘うように体を小さくみせて、弱いふり。そんな人が泣くとき、周辺の人は、罠にはめられたように、腫れ物に触るように優しくするのに、超真面目な人が泣くときは、決まって「こんな大人が信じられない」「アマエテイル」だとか、冷たい視線や呟きを浴びせる...…そんなところを目にしたこともあります。それは、あんまりです。ひどすぎます。

同情を引く涙ではなく、我慢に我慢を重ねて勝手にこぼれてくる涙はどうにもできないのです。何か失敗をしてしまったとき、重ねてしまったとき、うまくいかなくて、取り返しがつかなくて、そんな自分が情けなくて、悔しくて、勝手にからだが反応してしまう、それは、素のままの涙なのです。

あの日に遭遇した、あの人のとった私への所作。それは、模範的な大人の泣きかたなのかもしれません。けれど本当は、悲しいときは、ただ悲しいでいいと思うのです。そして、泣いている本人も、強い人にならなくてもいい。カッコいい人にも、何ひとつ、なにものかになる必要なんてないと思うのです。

「大人だから、これから一生、人前で泣きません。」

そんな約束は、誰にもできません。けれど、

「恥ずかしいけれど、私はこれからも泣くかもしれません。」

そんな約束なら、空に誓ってすることができます。

せめて、一人でこっそり泣いているときは、そっとしてあげたい。そして、そんなことがあったことを、その日の涙に対する一人のみかたとして、周りの誰にも言わないであげたいと思います。

あれから暫くして、私は別のところに転職してしまったけれど、あの人は、今頃どうされているのでしょう。定年になって、楽しく暮らしていらっしゃるのでしょうか。「あの頃は辛くて泣いていたけれど、今はそれなりに楽しい。どうにか乗り越えることができてよかった。」......そう思って、時々、うれし涙を流すことができているのでしょうか。

そして、ついつい、うれし泣きしているところを誰かにみられて、「花粉症って、イヤね」と、おだやかに笑うことができているのでしょうか。







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