見出し画像

【歴史・時代小説】『本能寺燃ゆ』第五章「盲愛の寺」 81

 十日に安土に戻ると、馬揃えに招待いただい礼にと、再ヴァリニャーノらが訪れた。

 此度は、安土にできた南蛮の寺とセミナリヨという就学の場所を見学し、

「上様には、過分のご高配を賜り、まことにありがとうござりまする」

 と、ヴァリニャーノらは礼を述べた。

「うむ、あれで少しは教えを広げやすくなるかな。なんぞ不便なことがあれば、遠慮なく申されい。ばりの(ヴァリニャーノ)殿らとは、末永く仲良くやっていきたいと思っておるからのう」

「ありがとうござりまする。某らも、上様との末永くお付き合いをさせていただきたいと存じます」

 と、高井コスメが通訳した。

「他にも、そなたらの教えを広めるために、なんぞ不便なことがあれば、ここだけでなく、京のことでも、大坂のことでも、遠慮なく申されい。儂が、何とかしてやろう」

 ヴァリニャーノとフロイスが顔を見合わせたあと、コスメに話すように促した。

「それでしたら、ひとつ……」

「なんじゃ?」

「実のところ、宣教師らが本国からやってきて、こちらで布教をいたしますと、結構な入用でして………………」

「なんじゃ、金に困っているおるのか? なら……、儂が出してやるぞ?」

「それは、まことにござりましょうか?」

 高井コスメは驚き、フロイスは慌ててヴァリニャーノに耳打ちしている。

 しばし、ヴァリニャーノとフロイスがこそこそと話し合い、ときにヴァリニャーノが考え、またこそこそと話すと、フロイスがコスメに耳打ちした。

 高井コスメは、えっと驚いた顔をしていた。

「上様には、まことにありがたきお言葉を頂きましたが、お金の一件は、こちらで何とかいたしたいと」

「うむ、なぜじゃ?」

「はあ、我々だけ、斯様な優遇をされますると、他の僧侶の皆様から何かとありまするので」

「何かとあるとは……、嫌がらせをされるか?」、殿は苦笑された、「斯様なやつら、儂が切り捨ててやるぞ」

「それは、滅相もございませぬ。ヴァリニャーノ巡察師は、あまり他の宗派の方とは軋轢を起こさず、我々の教えを広げていきたいと」

「生ぬるいな。儂がそなたらの立場なら、他のやつらのことなど構わず、使えるものを使って、己の教えを広げるぞ。まあ、よい、そういう奥深しいところが、ばりの殿の良いところか。そこまでいうなのら、金以外で助けよう、おい、あれを」

 小姓たちが持ってきたのは、一隻の屏風 ―― 広げると、安土の城と城下町が描かれた六扇の屏風 ―― 金銀散りばめられた豪華絢爛な造りである。

 ヴァリニャーノらは目を丸くし、感嘆として見ていた。

「永徳に描かせた、これほどの逸品は他となかろう。いつも、もらうだけもらって、あいつは土産のひとつも寄こさぬと思われては、儂もたまらんでのう」

 殿の後ろには、此度もヴァリニャーノらからもらったお土産が山積みだ ―― その中でも珍しい、この世のすべての邦を描いた丸い『地ノ図』もあった。

「あの『地ノ図』よりは見劣りするが、これもこれで良かろう。これを、ばりの(ヴァリニャーノ)殿に進呈しようと思っておったところじゃ。これを売るなり、見世物として銭をとるなりして、金を工面すればよかろう」

「斯様なものを売るなど、もったいのうござりまする。これは、ありがたくいただきます。しかし、斯様なものを頂いて、何をお返しすればよろしいか………………」

「いや、いままでたくさんもらっておるからな」

「いえ、上様には、セミナリヨなどを造るための土地やお金まで出してもらい、さらに斯様なものまで頂いて、お礼のしようもございませぬ。なにか、お返しできるものがあれば、宜しいのですが、修道士という身の上、左程のものもなく………………」

「ならば、ひとつ、あの黒い大男をもらいたいのじゃが?」

 フロイスは、ヴァリニャーノに耳打ちすると、彼は頷いた。

「斯様なもので宜しければ、喜んでとヴァリニャーノ修道士は申しております。

「うむ、ありがたい」、殿はひどく喜んでいる、「しかし、それは良いが、ならば銭の方はどうするのじゃ?」

 ヴァリニャーノは、フロイスに耳打ちし、答える。

「ヴァリニャーノ修道士が申しまするには、まずは、交易の自由をお許しいただきたいと」

「そんなことか」、殿は笑う、「一向に構わんぞ。むしろどんどんやれ! さすれば、そなただけなく、儂らも儲かる」

「ありがたき幸せ」

 菅公(菅原道真)によって遣唐使が廃止されてから、朝廷は大陸との関係を断っている。

 だが、完全にこれを禁じたわけではなく、福原殿(平清盛)や室町殿(足利義満)、西国の雄であった大内氏などの有力武将や、商人たちなどが盛んに交易していた。

 南蛮人がきてからは、彼らのも航海術や船の運搬力、さらに南蛮の珍しいものなどで、交易はさらに盛んになる。

 南蛮との交易は、鎮西の港(平戸、長崎ら)が中心だ ―― 南蛮人がもたらすのは明の生糸、それを、長崎や平戸まで出向いた商人たちが銀で買い付ける ―― 明側の商人には、本朝の銀が渡る。

 逆に、本朝の商人が、南蛮商人に銀を渡して買い付けを依頼、明で生糸を買ってもどってくる。

 もちろん、南蛮の珍しいものも運ばれてくる ―― そのなかで主は、やはり鉄砲に係るものか。

 南蛮人らは、交易する港を更に東へと広げていきたいようだ。

 それには、港を配下に置く領主や商人たちの組合と交渉せねばならず、それぞれに条件が違うため、かなり難儀である。

 これが天下統一され、すべての港で同様な条件で交易ができれば、お互いにお金には困らないだろうと。

「うむ、儂の港では好きにやればよいが、他の港ではそうもいかぬか……」

 さらに、南蛮人らは、〝銀〟が欲しいらしい ―― 明も銀が不足し、南蛮諸国も銀食器などに加工するために大量に必要だと。

「銀を生み出す山も必要か……、なるほどな、それなら儂が天下を太平にし、朱印を出せばよいということか」

「上様に置かれましては、一刻も早くこの国の〝インペラド〟になられることを願っておりまする」

「い、いんぺら?」

「さすれば、この国の〝インペラド〟から我らの〝セント・パドレ〟や〝ヘイ〟に使者を送ることができるかと」

 この国は我らが教えを広げるに相応しい国であると、また交易をするにもよい国だと、この国の〝インペラド〟から彼らの〝セント・パドレ〟や〝ヘイ〟へ使者を送れば、彼らは、必ずやお金を出してくれようと、フロイスは語った。

 まあ、言わんとするところは分ったが、〝インペラド〟〝セント・パドレ〟〝ヘイ〟とは何か?

 高井コスメに訳してもらった。

〝インペラド〟は〝皇帝〟、〝セント・パドレ〟は〝法王〟、〝ヘイ〟は〝王〟らしい。

「うむ、それは良い考えじゃ。さすれば、我が国とそなたらの国は縁を結び、交易も盛んになって、面白きものがたくさん入ってこよう。その話も、よくよく進めるがよかろう。というっても、一番の大事は、儂がいち早くこの邦の〝皇帝〟となることか」

「左様で」

 と、ヴァリニャーノは頷いた。

「しかし……、儂は〝皇帝〟になれんぞ」

 ヴァリニャーノとフロイスは顔を見合わせる。

「太若丸、〝皇帝〟とは何ぞ?」

 また面倒な問いを………………〝皇帝〟とは、『王の中の王』『王を統べる王』である。

 唐国には〝皇帝〟がいる。

「ならば、この邦の〝皇帝〟は誰ぞ?」

 この邦でいえば………………帝である〝天皇(すめらみこと)〟であろう。

「儂は、〝天皇〟になれるのか?」

 また、例の問いである ―― それは………………と、首を振る。

「残念じゃが、そういうことじゃ」

 すると、コスメが慌てて口を開いた。

「申し訳ございりませぬ、某の訳し方が悪うござりました。フロイス殿らのお国の言葉では、〝インペラド〟は本来〝皇帝〟という意味らしいのですが、わが邦では………………〝将軍〟と言った方が宜しいかと」

 南蛮では、それぞれの国に〝ヘイ(王)〟がいて、その〝ヘイ(王)〟を統治する〝インペラド(皇帝)〟がいる。

 その〝インペラド(皇帝)は、〝セント・パドレ(法王)〟によって冠位を授けられるらしい。

〝セント・パドレ(法王)〟は、耶蘇教を統べる長 ―― それこそヴァリニャーノらの長であるらしい ―― 御山(比叡山)でいうところの〝座主〟や本願寺の〝門跡〟か。

 だが、座主や門跡は政事に口を出すことはあっても、これを司る〝天皇〟に冠を授けることはない。

〝天皇〟は現人神であり、臣下に冠位を与える立場 ―― 〝セント・パレド(法王)〟に似る。

 ヴァリニャーノらは、〝セント・パレド(法王)〟を〝天皇〟、〝インペラド(皇帝)〟を〝征夷大将軍〟、〝ヘイ(王)〟を〝大名、領主〟と見ているらしい。

 なるほど、それなら合点がいく。

 つまり、ヴァリニャーノらは、殿に征夷大将軍になってもらいたいと思っているのだな。

「なるほど、その点はあい分かった」

 そのあとは、ヴァリニャーノやフロイスがやってきた国々の話になり、殿は、城や町の造り、王や公家、町衆の生活、兵の様子などを熱心に聞いていた。

「まだまだお聞きになりたいことがあれば、セミナリヨまでお越しくださいませ」

 と、ヴァリニャーノたちは席を立った。

「金を出して、あいつらを上手く操ってやろうかと思ったが……、あのばりの(ヴァリニャーノ)という男、勘づきやがったか? まあ良いわ、それにしても、この儂に征夷大将軍なれなどと……、将軍なら、いま鞆の浦におるではないか」

 名ばかりの〝征夷大将軍〟であるが。

 殿は、ふんと鼻で笑う。

「将軍など興味はない、貧乏公方にくれてやる」

 殿は立ち上がり、ヴァリニャーノらが持ってきた土産の前にきて、丸い『地ノ図』をくるくるとまわした。

「あいつらの〝法王〟や〝王〟と親睦を深めるつもりもない。なぜなら儂は……」、がっと『地ノ図』を鷲掴みにした、「〝神〟になり、この世のすべてを支配するのだからな、そうであろう」

「左様でございます」

 と、乱や他の小姓は頷いていたが………………

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?