見出し画像

【歴史・時代小説】『本能寺燃ゆ』第五章「盲愛の寺」 74

 元親の〝四国切り取り〟の件は、十兵衛が何度も登城し、説得を試みた。

 はじめは首を横に振っていた殿であったが、十兵衛の説得が効いてきたのか、徐々に考え直すようになって、

『分かった、十兵衛、おぬしがそれほどまでいうのならば、その方が良いのであろう。だが、いまの織田家の当主は勘九郎じゃ。明日、あれが登城してくるので、その意見も聞きつつ、最後の決裁は明日言い渡す』

 と、あと一歩のところまできた。

 これで、何とかひと安心、あとは信忠を説得すればよいと思っていたが、

「なりませぬ!」

 と、信忠は頑なにこれを拒否した。

 十兵衛が、こんこんと四国の状況、元親の人柄・武功、これからの戦況などを詳しく話すが、すべてに首を振る。

 殿も、ときに口を出すが、

「大殿、長宗我部だけに力を持たせるのは、あまりにも危のうござりまする」

 と、首を横に振った。

「長宗我部は、あくまで土佐のみの支配を許し、あとは三好や河野、西園寺らの支配を認め、これら相互に見張らさせるのが得策でございます。土佐のいち国人に、双名洲全土を差配させるは、のちのち織田家にとって命取りとなりましょうぞ」

「なるほど……、しかし、逆に考えれば、双名洲ぐらいなら土佐(元親)に朱印を与えて支配した方が、楽ではないか?」

「いち領主が、大きな領地を持つのは好ましくありませぬ。将軍家も、細川や山名などが大きな領地持ちすぎ、斯様に世を乱すこととなったではございませぬか。大きな領地は、慢心を生み、ひいては主君に対して下心を抱くことになりましょうぞ」

「まあ、そうじゃが……」

 と、殿は十兵衛を見る。

 信忠は、きっと十兵衛を睨みつける。

 十兵衛は、厳しい顔をしている。

「いち武将に過大な領地を持たせることが、どれほど愚かなことか!」

 それは、十兵衛のことを言っているのか?

「その慢心の権化が、佐久間でござりまするぞ! あれは、大殿から拝領した領内で我が物顔で振る舞い、私腹を肥やし、己に不利と見れば、大殿を亡き者にしようとしたのでござりまするよ」

 そんな馬鹿な話があるか?

 確かに、近習ら乱らの調べでは、領内で聊か悪い噂もあるが、殿に反旗を翻そうなどと恐れ多いことを、あの信盛が考えようか?

「それは……、どういうことじゃ?」

 殿は、顔を顰める。

 信忠に代わって、控えていた斎藤利治が答える。

「さきの丹羽右近大夫(氏勝)の件でござりまする。あの一件をつぶさに調べさせましたが、大岩を落としたのはわざと……、佐久間殿が裏で糸を引き、共謀したようで、その中に安藤伊賀守(守就)も関わっておるようです」

「それは、まことか?」

「間違いございませぬ!」

 と、信忠は言い切るが、殿はあまり信用していないようだ。

 当然だ、信盛も氏勝も、守就も、これまで織田家のために尽くしてきたのだ。

 そんな話があろうか?

「おぬしらは……、右衛門尉らが図って、この儂を殺そうとしておるというのだな」

 殿は眉を顰め、しばらく考えていたが、

「分かった、その一件はよくよく調べよう。されど、いまは土佐の一件じゃ。おぬしは、織田家の当主として、土佐に〝四国切り取り〟は認めんというのだな」

 信忠は頷く。

「あい分かった」、殿は十兵衛に向き直った、「十兵衛、〝四国切り取り〟の一件は認めん。土佐のみ差配……と言いたいところじゃが、まあ、儂が忘れておったこともあるので、南阿波の差配も認める。じゃが、それ以上は認めん。良いな」

 十兵衛は、「承知いたしました」と、頭を下げた。

 そのあと、信忠は岐阜や関東、摂津などの近況を報告し、腰をあげた。

 去り際、十兵衛を睨みつけ、ふんと鼻を鳴らして出て行った。

 殿は、その背中を眺めながら、

「あやつも、当主としてだんだんと頼もしくなってきたのう、そう思わんか、十兵衛」

 と、笑顔で訊ねる。

 十兵衛は、「左様ござりまするな」と、笑顔で答えるが、引き攣っているが分かる。

「あれに、〝天下〟を任せて良いかもしれぬな」

 殿の言葉に、十兵衛の顔が一瞬、本当にほんの一瞬険しくなったのが分かった。

 だが、次の瞬間笑顔で、

「左様で」

 長宗我部元親に対し、土佐と南阿波のみ支配を許すという話を聞いて、内蔵助は、

「土佐殿に、なんと話そうか……、腹がちくちくする」

 と、腹を擦りながら、妻子とともに黒井へと帰っていった。

 伝五は「所詮は、かほどの暗君だ」と、鼻で笑い、庄兵衛は「見損ないましたな、これほどの〝うつけ〟とは」と、ため息を吐いていた。

 左馬助は、

「天魔の城は法灯に滅す……か」

 と、信長の城を見上げてにやりと笑い、十兵衛とともに坂本へと帰っていった。

 帰り際、十兵衛は、

「権太殿、申し訳ございませんが、いま以上に、密に、密に、殿の様子、殿以外の取り巻きの様子を詳細に教えてください。密に、密に」

 と、念を押していった。

 もちろん、己の〝利〟のため ―― 十兵衛のために!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?