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【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第三章「皇女たちの憂鬱」 中編 24(了)

 3月25日、船は娜大津(なのおおつ)(福岡県福岡市博多港)に到着、磐瀬行宮(いわせのかりみや)(福岡県南区三宅)に入った。

 5月9日、宝大王は、朝倉橘広庭宮(あさくらのたちばなのひろにわのみや)(福岡県朝倉郡朝倉町)に移動した。

 九州に入ってからの数ヶ月間は、西国の豪族からの兵の徴収に費やされた。

 だが、百済援軍の編成がなされないうちに、西征の長旅が老体に応えたのか、鏡姫王が心配していたとおり宝大王は病に倒れたのである。

 朝倉宮には、全ての群臣たちが集められた。

「間人は、間人はいますか?」

 彼女は朦朧とした意識の中で、娘の名前を呼んだ。

「はい、ここに」

 間人皇女は前に進み出て、宝大王の手を確りと握った。

「間人、私の可愛い娘よ。お前には、苦労ばかりさせてしまったね。弟の下に嫁ぐと決まった夜、お前の涙に気付いていながら、何もしてやることができなかった。有間の時も、王族としての世間体から、お前たちを救ってやれなかった。私を怨んでおくれ。それで、お前の気が晴れるのならね」

 宝大王は、間人皇女の頭を擦りながら言った。

 間人皇女は激しく頭を振った。

 涙が、大王の夜具に染みを作った。

「お母様、なぜ怨むことができましょうか? 私を生んでくださったことを感謝すれども、怨むことなどできません。お母様が私を生んで下さったので、私は愛を知ることができたのです。そして、その愛はいまも心の中にあります」

「間人……、もう良いのだよ。もう誰の遠慮もいりません。あなたの自由に生きなさい。それが、人にとって最も幸せなのだから」

「お母様……」

「倭姫」

「はい、こちらに」

 倭姫王が、前に進み出る。

「あなたにも、悲しい思いをさせました。いまさら、許してとは言えませんね」

「大王様……、決して大王様のせいではありませんわ」

「倭姫、私は、先に黄泉国へと参りますが、古人に何か伝えることはありますか?」

「大王様……、ただお父様に、必ず仇は取りますと」

「そう……ですか……、分かりました」

 宝大王は、大きく息を吸い込むと、中大兄と中臣鎌子の名前を呼んだ。

「私から、豊浦臣や林臣、山田臣、古人皇子に謝っておきますから。特に葛城、お前のことは、有間に十分詫びを入れておきます」

 2人は、顔を見合わせた。

「皆の者に伝えます」

 宝大王は、最後の力を振り絞った。

「以後、東の山の石積みを行う必要はありません。あれは、あの人と私だけの夢ですから………………」

 最後の方は、消えかかって聞こえなかった。

「お母様?」

「ああ、あなた……、来てくださったのですね。ええ、すぐそちらに………………」

 間人皇女は、動かぬ手を強く握り締めた ―― その手は、まだ温かかった。

 斉明天皇の治世7(661)年7月24日、史上初めて生前譲位を行い、史上初めて重祚を行った女帝 ―― 宝皇女は、彼女が最も愛した飛鳥から遠く離れた西海の地で、その波瀾に満ちた人生に幕を下ろす。

 国風諡号は、天豊財重日足姫天皇(あめとよたからいかしひたらしのひめのすめらみこと)。

 漢風諡号は、皇極・斉明天皇である。

 当時の人々にも、そして後世の人々にも彼女については賛否両論の意見があろう。

 だが、彼女こそ、こう言われるべきである

 ―― 鉄の女………………!

 と。

 8月1日、宝大王の柩は磐瀬行宮に運ばれた。

 その時、朝倉山に大笠を被った鬼が現れ、葬儀を見送ったと伝えられている。

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