読解力2

読解力を鍛えるには「書く」しかない! 総集編①

連載シリーズ「読解力を鍛えるには『書く』しかない!」を再開します。
総合的な論理的思考力の向上を狙った、高井家独自の中学受験対策プログラム「お父さん問題」を軸に、私の文章術のノウハウをご紹介します。
少し時間が空いてしまったので、まずは過去10回分をまとめた総集編をお送りします。

はじめに 高井家名物「お父さん問題」とは

本連載のテーマはタイトル通り、「読解力を鍛える」です。最終的には書籍化を予定しています。内々定段階ですが、版元も決まっています。

▽きっかけは受験の「出遅れ」

「お父さん問題」の発端は2011年ごろ、小学5年生だった長女が「中学受験したい」と言い出したことでした。それまで「受験は高校から」と想定していたので、かなり出遅れた受験生でした。
実際、書店で有名私立校の過去問を調べて、「あ、これは手遅れだ」と悟りました。算数、理科、社会とも、「詰め込み」を相当やらないと解けそうもない類の問題が並んでいました。
ところが、都立中高一貫校の過去問をチェックしてみると、「こっちならやり様でイケる」と思いました。問題の質が違ったからです。

私の目には、私立受験は「解答導出の精度と速度」の勝負で、都立校の問題は「臨機応変の問題解決能力」を問うものと映りました。後者は、いわゆる「地頭」をきっちり鍛えれば勝負になる。そこで編み出したのが、我が家独自の学習プログラム「お父さん問題」でした。基本は作文講座です。

▽中学までは全教科「国語」だ

私の口癖に「中学までは全教科『国語』みたいなもんだ」というのがあります。「母語を論理的に操る能力」が学力の根幹だという意味です。高度な数学など例外はありますが、人間の思考のほとんどは言語(母語)に基づいているから、それは当然と言えば当然です。

母語を操る能力の三大要素は「話す」「読む」「書く」です。人間はこの順に母語を習得します。
ただし、母語の流暢さと論理的思考力は必ずしも一致しません。「口は達者だけど論理的ではない人」や、「読む」や「書く」が苦手な人はいくらでもいます。
総合的な言語操作力を鍛えるにはどうすれば良いのか。私の考えでは、それには言語習得のフローを逆流させる、フィードバックプロセスが有効です。

▽三姉妹全員、都立一貫校に合格

「書く」ことは「読む」のレベルを確実に引き上げます。
そしてそれは「話す」、他者の考えを適切に読み取り、自分の考えを整理して伝える対話能力も高めてくれます。これは記者として「書くこと」に向き合ってきた私の経験則です。

結果から書けば、高井三姉妹は「お父さん問題」を受講して、そろって同じ都立中高一貫校に合格しました。
どこまでが「お父さん問題」の効果かは判然としませんが、少なくとも三女の合否を左右したのは確かです。
三女は2018年春まで2年、ロンドンで暮らし、戻って1年足らずで受験を迎えました。「2年の空白」は大きく、帰国時点では想像以上に国語力が落ちていました。
そこからの「復元」と上積みに「お父さん問題」はかなりの威力を発揮しました。以下、三女の復活劇をご紹介します。なお、学習過程の公開は三女の快諾を得ています。このnoteの連載や書籍化のる収益の一部は彼女に分配されます……。

▽「教科書が読めない子どもたち」の衝撃

高井家の受験対策プログラムを公開するきっかけになったのは、2018年に話題を呼んだ新井紀子氏の「AI vs 教科書が読めない子どもたち」(以下、「AI vs」)でした。

「AI vs」で新井氏は、最新の人工知能研究と広範な学習力調査をもとに、「読解力を鍛えることが日本の教育の喫緊の課題だ」と提言しています。
詳細は同書に譲りますが、私が重要と考えたのは以下のポイントです。

・ 中学卒業段階で約3割が表層的な読解力を欠いている。
・ 進学校でも5割の生徒は内容理解を要する読解問題の正答率が5割程度
・ 読解力は中学生の間はそろって上昇するが、高校では向上しない
・ 読書量、得意科目などと読解力の間には相関がない

「AI vs」は旧帝大などへの合格実績が高い名門校について、興味深い見解を記しています。
かいつまんで書けば、高い進学実績は、在学中に読解力を高める教育がなされているからではなく、中学受験の段階で読解力のある生徒を「選別」している結果と考えられるというのです。
この分析に、私は「やはり、そうか」と感じました。都立中高一貫校の過去問を見たときの「これは『地頭』の勝負だ」という直観を裏付けるものだったからです。

新井氏は「AI vs」で、読解力の向上につながる有効なメソッドや要因は見つかっていないと記しています。
このnoteの連載は、この課題に対する1つの仮説として、「読解力というインプットの力を上げるには、作文というアウトプットによる訓練が有効だ」
という私見を示すものです。

私は20年以上、記事を書いたり、編集したりする仕事に携わってきました。この間、自分自身のスキルアップ、あるいは若手への指導を通じて、「どうやったら論理的で分かりやすい文章を書けるか」という試行錯誤を繰り返してきました。
その過程で「書く」のレベルアップには「読む」が必須で、「書けるようになる」と「読めるようになる」という相乗効果への確信を深めてきました。この連載では、三女の学習記録や、読解力や文章術についての私の体験談やノウハウ、言語によるコミュニケーションについての考察などを盛り込んでいきます。

「AI vs」は、「中学受験の段階である程度の選別が済んでいる」というちょっと気が滅入るような分析が紹介されていましたが、同時に、大人になってから読解力が向上した例もあると指摘しています。
人間、何かを学ぶのに、手遅れということはありません。
私のノウハウの公開が、受験を控える若者や親御さんや読解力に不安を感じるすべての人に何らかのヒントになれば幸いです。

(1)「正解のない問題」にこそ意味がある

「お父さん問題」の始まりを簡単にご紹介します。
2011年1月、私と長女(当時5年生)はある契約書にサインしました。以下に抜粋します。

契約書
◎契約事項
長女は下記の契約事項を順守する。
・お父さん先生の問題を週2回やる(小学6年生まで)
・環境インテリア大臣の職責を全うする(中学卒業まで)
・お父さんは長女に速やかにiPod Touch 32Gを買い与える
・お父さんは土日続けてビリヤードにいかない(除く帰省時)
◎違約事項
契約事項に反した場合、長女は以下の刑罰を受けるものとする。
・学習面および大臣としての重大な職責違反を犯した場合
iPodを没収し、購入代金を弁済する。
・土日に続けてビリヤードに行った場合
 iPhoneの仕事以外の使用禁止および1ヵ月ビリヤード禁止。

両者署名の上、リビングに数年掲示してありましたが、快適な生活空間の維持という「環境インテリア大臣」の責務は全うされることはなく、私だけ「土日連続ビリヤード」禁止を馬鹿正直に順守する不平等条約となったのは大変遺憾でありましたが、長女は「お父さん問題」についての約束はちゃんと守りました。

▽第1問は米銃乱射事件

「お父さん問題」の具体例をご紹介します。まず長女に出した第1問。

米国のアリゾナ州の政治集会で銃が乱射され、9歳の女の子が死亡した。米国の銃問題について、次の3つの問いに答えなさい。
問1 乱射事件について、5行程度で簡潔にまとめなさい。
問2 「銃を減らそう」という主張がなかなか実現しない理由を3つ挙げなさい。
問3 事件について、感じたことや考えたことを10行程度で書きなさい

「お父さん問題」の多くは3問形式です。Wordで出題・解答のやり取りをします。5行は原稿用紙半分、10行は原稿用紙1枚程度の分量になります。
1問目と2問目はネット検索でも本でも何でも参照して良く、「いかに手際よくファクトをまとめるか」と「論点整理」の練習です。
1問目と2問目は準備体操で、3問目の「原稿用紙1枚程度に自分の言葉で自分の考えを論理的に書く」のがキモになります。

イメージをつかんでもらうため、別の問題も挙げてみます。

地球は太陽の周りをまわっていますが、昔の人は地球の周りを太陽やほかの星が回っていると思っていました。これを[天動説]といいます。地球が回っていると考えるのは「地動説」といいます。
問1 天動説から地動説にかわった歴史的な経緯を5行でまとめなさい。
問2 そもそも、どうして人々は天動説を信じていたのでしょうか。理由を2つあげなさい。
問3 地動説を唱えた人々は迫害されたりしました。そのことについて、感想を10行で述べなさい。

キリスト教、イスラム教、仏教の3つを世界の三大宗教といいます。
問1 それぞれの特徴を5行×3の合計15行程度で簡潔に述べなさい。
問2 上の3つと、日本の神道の違いを5行程度でまとめなさい。
問3 日本人は宗教色が薄いといわれます。その長所と短所をあげて考えを述べなさい。

ご覧のようにパターンは同じです。

▽「正解のない問題」に向き合う

最初のうちは、1問目と2問目の準備体操にも子どもはてこずりますが、ここは「コピペOK」なのでそのうち手慣れてきます。
前述のとおり、キモは3問目。これには子どもは苦労します。「正解のない問題」を出題しているからです。
3問目だけ並べてみましょう。

・銃乱射事件について感じたことや考えたことを書きなさい
・地動説を唱えた人々が迫害されたことについて感想を述べなさい
・日本人の宗教色が薄いことの長所と短所について考えを述べなさい

いずれも、ぼんやりとした解答の方向性は見えるでしょうが、たとえば3つ目の日本人の宗教観となると、自由度が極めて高く、答えはヒトぞれぞれ、千差万別でしょう。

日本の学校教育では、自由度が高い「正解のない問題」に向き合う機会はほとんどありません。社会問題を取り扱っても、期待される模範解答があるのが常です。気が利く子どもなら教師が望むそつのない答えを忖度できてしまう。それでは「自分の頭で考えて論理を組み立てる訓練」にはなりません。

大人になれば、あるいはもっと早い思春期の段階から、否が応でも人間は「答えのない問い」に直面します。
この問題に正面から向かう基礎体力が、論理的思考力です。受験対策にとどまらず、こうした知的訓練を早くから積むことの重要性はどれだけ強調されても良いでしょう。

▽「論理展開力」に添削の焦点を絞る

「お父さん問題」には、正解はありません。どんな答えだろうと、見解や内容の是非は採点対象としません。求められるのは論理展開力、つまり「自分の意見をどれだけ説得力を持たせて読み手に伝わるように書けているか」です。
重要なので繰り返します。
「この意見はおかしい」という添削は一切しません。
代わりに「この主張を伝えるのに、この書き方は適切ではない」という点については、かなり突っ込んで指導します。

最初の出題時には、問題のテキストだけを「ポン」と与えます。ヒントなどはなし。自分の頭で考えてもらうためです。
それを元に、数日から1週間ほどかけて、第1稿を子どもが書きます。それをプリントアウトして、私が「なぜこのままでは『伝わらない』のか」を指摘しながら「赤」を入れます。
それを元に子どもは第2稿を書きます。提出期限は厳しくは決めません。「やらされ感」をもたないようにするためです。
第2稿が出てきたら、最初と同じように膝を突き合わせて「伝わらない部分」を指摘して「こうすれば伝わる」と教えます。
第3稿で「キャッチボール」は終了です。この時点ではそこそこの文章になっているので、第1稿と比べて改善のプロセスを点検します。
「模範解答」を書いてみせることもありますが、それは不可欠なものではありません。

(2)「2年の日本語の空白」からの復活劇

お父さん問題の骨子をおさらいしておきます。

・は原稿用紙1枚程度の論述がメイン
・自由度の高い「正解のない問題」を出す
・狙いは「自分の頭で考えて論理を組み立てる」こと
・添削は、意見の是非ではなく、論理展開力に焦点を絞る
・2回ほどリライトして「筋の通った作文」に仕上げる

我が家の出題例は時事・社会問題に偏っていますが、それは仕事柄、私が得意な分野に寄せているだけです。問題が堅いテーマばかりである必要はありません。もし「真似してみよう」という方がいらしたら、ご自分が詳しい分野に引き付ければ良いだけです。
たとえば、こんな設問でも、良い「お父さん問題」になると思います。

・効率的に夕食を用意するために必要なスキルは何か
・おいしい卵焼きのつくり方は
・サッカーの1ームは11人であるべきか
・どうして人間の目は前にだけついているのか

テーマが何だろうと「読み手を勘定に入れて論理的な文章を書く」という訓練になれば良いのす。それが、自分が読み手になったときに「書き手の立場で文章を読む」能力、つまり読解力を身につけるのに役立つのです。

▽劇的の向上した三女の作文

「お父さん問題」はどれぐらい効果があるのか、実例として三女の例を挙げてみます。少々、親馬鹿気味ですが、ご容赦を。
まず約半年後に帰国を控えていた2017年夏、ロンドン時代にお試し的にやった「お父さん問題」の回答。お題は「日本とイギリスの良いところ、悪いところ」でした。

私が思うにイギリスと日本の大きな違いは人。
日本にはほぼ日本人しかいないが、イギリスにはいろいろな人がいる。                     
例えばテロが少ない、多いだと、イギリスにはいろいろな人がいるから意見が一致することが少ないと思う、しかも宗教が違ったりすると、根本的に考えが違うから、テロみたいな激しい意見のぶつかり合いが多々あると思う。
次のポイント、物の使いやすさと品ぞろえが良いか悪いかという話。                                この話はイギリスと日本の学校の掃除タイムや給食にかかわりがあると思う。なぜなら、日本では生徒が掃除し給食の用意も片付けもする、一方、イギリスでは掃除はタームや一年の終わりぐらいにしか生徒はやらない、その上給食は大人に配膳してもらってそれをもらうだけなうえ、片づけは、生ごみ、カトラリー、ごみ、でわけてバケツに放り込むぐらい。だから日本人の方がイギリス人より細かいところまで気にする、ひとまとめにすると几帳面。几帳面だから日本製の物は使いやすいことが多い。

バッサリ言ってしまえば、これは作文として成立していません。
正直、この解答を見た時、私は軽いショックを受けました。
三女は頭の回転は速い方でロジカルな思考力はあります。ロンドン時代も日本語のコンテンツには頻繁に触れていました。それでも作文はこのレベルで、論理的な文章の読解力もかなり落ちていました。

次は帰国後、2018年6月の一文。お題は「お父さん問題」の定番、「天動説と地動説」でした。第3問の問題文に続けて三女の文章を載せます。

問3 地動説を唱えた人々は迫害されたりしました。そのことについて、感想を10行で述べなさい。
(回答)
次に私が気になるポイントは地動説を唱えた人々は迫害されたりした、ということです。今は、基本的人権が尊重されているため、何かを唱えることによって迫害されたりすることは法律を侵さない限りありません。だから、私はその時代にも基本的人権がきちんと尊重されていればよかったな、と思いました。それに、意見が違うからといって、人を傷つけたりする人がいるということを残念に思いました。本来、意見が違う人がいたら、話し合って、理解しあって最善策を協力して見つけ出すことが一番良いとみんな分かっているはずなのに、意見を言っただけで迫害された人が出てしまったからです。私はこれから、意見が違う人とも話し合って、協力できるようにしたいと思います。

ロンドン時代よりはかなりマシですが、一読して、これは「子どもの作文」という印象を持たれるでしょう。このレベルでは都立中高一貫校の入試では「アウト」です。
私は「『2年の空白』は思ったより大きい……これは三姉妹で初めて『残念でした』かも……」と不安になりました。長女、次女と比べて同時期のレベルがかなり低かったからです。

実際には、三女の作文力はその後、劇的に向上しました。この約半年後、受験直前の12月の解答例を挙げます。お題は人工知能でした。

問1 人工知能とは何ですか。簡単に5行程度にまとめなさい。
問2 最近、人工知能が注目を集めています。なぜか、10行程度でまとめなさい。
問3 このまま人工知能が発達すると、社会はどう変化すると思いますか。良い変化と悪い影響を織り交ぜて、自分の考えを15~20行程度で書きなさい。

そして以下が三女のリライト前の初稿です。

(解答1)
人工知能とは、文章や音声、画像、状況など、与えられたデータを認識する能力と、その認識結果に対して、一番良いと思われる答えを出す最適化の能力が組み合わさったものである。また、人間が学ぶと何十年もかかる膨大な知識や技術を一瞬でコピーできるため、様々な分野で人間の力を超え始めている。
(解答2)
最近、人工知能が注目を集めているのは、ディープラーニングという、自分で学習する機能が付いた、今までとは違うシステムの人工知能が開発されたからだ。
例えば、そのタイプの人工知能に大量の画像を読み込ませたところ、自分でネコをネコと認識できるようになった。最初から、ネコはこれだ、という情報をインプットせずとも、大量のデータを分析して、ネコはこれだ、という答えを見つけた、ということだ。
そして、その学習能力によって、今までの人工知能に欠如していた常識を、長い時間をかけてデータ化せずとも、自動でそのことをできるのではないか、という道が開かれた。この技術が発達し、人工知能が自分で自分を改良できるようになれば、急速に成長していくと考えられている。
(解答3)
私は、このまま人工知能が発達すると、過労で死ぬ人が減少すると思う。パソコンにデータを打ち込んだり、そのデータを処理したり、などの作業は、もうすでに人工知能が人間よりも数段早く行えるのだから、このまま進歩すれば、他の作業もできるようになるはずだ。だが、その一方で、失業者が増えてしまうかもしれない、という不安があると考える。人工知能は人間よりも仕事が早い分野もあるうえに、機械なため、疲れることなく、24時間給料なしで働いてくれるからだ。そんな、雇用側からしてはいいことづくめの人工知能の普及が進めば、人間の仕事場はたちまち人工知能たちに奪われてしまうだろう。
しかし、芸術や人を思いやる心などの、感情を表現するものでの力は、人工知能よりも人間が上回っている。人工知能がいくら過去のデータを読み取ろうとも、これだけは、永遠に人間を超えることはできないと、私は思う。時に人の言葉が心に響くのは、共感する力が言葉をかける人にあるからだ。
例えば、一度も痛い、と思ったことがない人に「大丈夫?」と聞かれても、慰めにはならない。それと同じことで、人工知能は恐怖や痛み、喜びがないため、かける言葉が心に響くわけがない。
このようなことから、私は、このまま人工知能が発達すると、社会に良い影響も、悪い影響も、両方ともあたえるが、心がない人工知能ではできない分野の成長につながると思う。

これを読んで私は、「これならまず受かるだろう」と安心しました。
まだ表現に稚拙さや粗さが残っているものの、ちゃんと筋が通った構成になっています。この直前に三女は、「言葉屋」という少年少女向け読み物で人工知能とディープラーニングについて読んだばかりだったようです。それを割り引いても、及第点以上の出来です。

こうした文章を書けるようになることが、「読解力+作文力=論理的思考力」を鍛えるという「お父さん問題」の目指す成果です。三女自身も、この回で「やれる」という大きな自信をつかんだようです。
ここまでたどり着くのにマジックを使ったわけでありません。あったのは、地道な試行錯誤と紆余曲折でした。

(3)「読者を迷子にしない」書き方

「お父さん問題」の具体的な添削例を紹介します。前項で紹介した「天動説と地動説」をテーマとした出題の解答を再掲します。

(回答)
次に私が気になるポイントは地動説を唱えた人々は迫害されたりした、ということです。今は、基本的人権が尊重されているため、何かを唱えることによって迫害されたりすることは法律を侵さない限りありません。だから、私はその時代にも基本的人権がきちんと尊重されていればよかったな、と思いました。それに、意見が違うからといって、人を傷つけたりする人がいるということを残念に思いました。本来、意見が違う人がいたら、話し合って、理解しあって最善策を協力して見つけ出すことが一番良いとみんな分かっているはずなのに、意見を言っただけで迫害された人が出てしまったからです。私はこれから、意見が違う人とも話し合って、協力できるようにしたいと思います。

この回は、通常の「指摘→リライト→再指摘→リライト」といった手順は踏まず、私が直接リライトして手本を示しました。早めに「型」を見せておこうと判断したためです。

まず私は「元の解答は同じところをグルグル回っているだけだ」と指摘しました。迫害の事実と「話し合いが大事だ」という主張を繰り返するだけで論理を補強する事実や展開がない。
そして、唐突に「私はこう思う」という結論に飛ぶ。
これは子どもの作文の典型であり、大人でも見かける「どこに向かっているのか分からない文章」です。

▽結論から逆算してルートを描く

上の文章で唯一はっきりしているのは、三女が「書きたい」と思ったゴールが「意見が違う人とも話し合って、協力できるようにしたい」という部分です。
私は「そう書きたいなら、結論から逆算して『地動説の迫害の歴史がそれとどう関係しているか』という構成を考えるべきだ」と指摘しました。
これは論理的な文章を書く大原則の1つです。
スタートからゴールまで大まかなルートを描いて、それに沿って論を進めないと、読み手はどこに向かっているか分からなくなります。
「読者を迷子にしない」は、公私ともに私の信条です。

三女の文章の骨格を生かしつつ、私がリライトしたのが以下の文章です。

基本的人権が尊重されていれば、何かを唱えることによって迫害されることはない。私はその時代もそうだったらよかったと思う。しかも、地動説は科学的に正しい説だった。それが不当な理由で迫害されたことは人類の歴史に汚点を残した。
本来、意見が違う人がいたら、話し合って、理解しあって最善策を協力して見つけることが一番良い。私はこれから、意見が違う人とも話し合って、協力できるようにしたいと思う。これまでの常識とは違うことが分かっても、科学的に考えて正しいとしたら、それを受け入れるような柔軟な思考を持つことが大事だ。

順に見ていきましょう。回答文の部分を太字にしておきます。
三女が繰り返し書いた「基本的人権の侵害」は最初の2文に圧縮してあります。2文目は削っても意味が通りますが、「感想を述べよ」という問題の趣旨を考慮して残しました。
「しかも、地動説は科学的に正しい説だった」という一文は、論を補強して説得力を持たせる部分です。
ここには「準備運動」の1問目、2問目の解答が生きています。客観的ファクトの積み上げも論理的な文章の重要な要素です。「お父さん問題」で1、2問目で事実関係の要約をやらせるのは、調べる過程でファクトを押さえ、3問目の論述への助走、準備運動とするためです。

後半は「三女の言いたいこと」をそのまま素直に展開しています。
前回書いたように、「お父さん問題」では意見の是非は採点・添削の対象外で、あくまで論理展開力の開発に力点を置きます。「この意見はおかしい」という指導はしません。
その観点から大事なのは「これまでの常識とは違うことが分かっても、科学的に考えて正しいとしたら、それを受け入れるような柔軟な思考を持つことが大事だ」という最後の一文です。
これがないと、前半と後半の文章はつながりが明確にならず、読み手に納得感を与えられません。

少し脱線すると、この模範解答で一番の効果的なのは「それが不当な理由で迫害されたことは人類の歴史に汚点を残した」という一文です。
これが置いてあると、地動説を巡る歴史の大局観を示し、言論の自由が保証された現代との比較が自然に展開できます。
この一文は「客観+主観」のブレンドになっています。これは説得力をもたせるのに有用なテクニックです。客観的事実と自分の主張を組み合わせると、納得感が高まります。その効果を悪用した怪しげな健康法や自己啓発本、悪徳商法のパンフレットなどをよく見かけます。こんな例です。

「少子高齢化で年金財政は厳しく、個人で老後資金を1億円用意しないと『貧乏老人』になるのは必至です
「肌の張りを保つのにコラーゲンは重要な成分で、このサプリメントは自然な食事でとれるコラーゲン3日分を含んだ『美肌』の味方です

こんな調子で、太字部分だけがポンと置いてあれば、「本当にそうなのかな?」とひっかかる読者でも、何となく「なるほど」と思わせてしまう。
この「客観と主観のブレンド」はやや高度な文章術なので、子どもにそこまで要求する必要はありません。

▽「グルグル感」と「ノイズ」

「正解のない問題」に自分の言葉で答えるという作業は、初めのころは三女にとってかなり負担の大きい作業でした。第1回は回答まで2週間ほどかかりました。ようやく第2回にとりかかかったのは夏休みに入ってからでした。

キリスト教、イスラム教、仏教の3つを世界の三大宗教といいます。以下の問に答えなさい。
問1 それぞれの特徴を5行×3の合計15行程度で簡潔に述べなさい。
問2 上の3つと、日本の神道の違いを5行程度でまとめなさい。
問3 日本人は宗教色が薄いといわれます。その長所と短所をあげて考えを述べなさい。

添削では、問1と問2の解答にファクトや事実認識の誤りがあれば、初稿の段階できっちり指摘します。慣れればネット検索とコピペで、それほど手間はかかりません。キモの問3への解答は以下のようなものでした。

日本人の宗教色が薄いことの長所はイスラミックステートのような宗教同士のぶつかり合いが少なくなることだと思う。短所は宗教色が濃い人に比べて、強く信じ続けられる神がいないことだと思う。
私は、宗教色が濃いよりも薄いほうがいいと思う。理由は、強く信じ続けられる神がいなくても、友達や家族、学校の先生のような人たちを信じればいいからだ。それが難しい人がいたとしても、世界には約70億人も人がいるのだから、その中の全員を信じられない、なんて人はいないだろう。だから、私は宗教同士のぶつかり合いを避け、世界の平和を保つためにも、宗教色は薄いほうがいいと思う。

「天動説と地動説」よりはかなりマシになりました。イスラム国(IS)を「イスラミックステート」と書いているのはロンドン時代の名残ですね。
まだ同じ論点・視点を繰り返す「グルグル感」はあります。それでも、「天動説と地動説」の初稿のような、同じ場所に戻るメリーゴーランド状態と違って、らせん階段のように「言いたいこと」へと上っていく方向性が感じられます。

らせん階段のたとえをそのまま使えば、私が添削で指摘したのは以下の3点でした。
(1) 階段をまっすぐにする
(2) 「足りない段」を足す
(3) 「要らない段」を削る
指摘を受けた三女の第2稿がこちら。変更点は太字、削除部分はカッコ書きします。

日本人の宗教色が薄いことの長所はイスラミックステートのような宗教同士のぶつかり合いが少なくなることだと思う。短所は、(宗教色が濃い人と比べて)強く信じ続けられる神がいないことで、心のよりどころがなく、心が安定しない人もいることだと思う。
私は、宗教色が濃すぎるよりも薄いほうがいいと思う。理由は、強く信じ続けられる神がいなくても、友達や家族、学校の先生のような人たちを信じればいいからだ。(それが難しい人がいたとしても、世界には約70億人も人がいるのだから、その中の全員を信じられない、なんて人はいないだろう。)だから、私は宗教を利用したぶつかり合いを避け、世界の平和を保つためにも、宗教色は薄いほうがいいと思う。

最初のパラグラフの最後の一文、「足りない段」が加わったことで、「グルグル感」が消えて、1つの見解としてまとまりが出ています。らせん階段が真っすぐな階段に修正されています。

次に「要らない段」、つまりノイズの削除を見てみましょう。
「宗教色が濃い人と比べて」を落とすのは、小さい削りのようで、大きな効果があります。これが残っていると、読み手は「日本人の宗教色が薄いことの長所は」という流れに沿ってきたのに、無用な比較が頭に浮かんで思考に断絶が生じます。これは無用なノイズです。

もっとはっきり「ノイズ=要らない段」だと分かるのは、後段の「それが難しい人がいたとしても、世界には約70億人も人がいるのだから、その中の全員を信じられない、なんて人はいないだろう」の部分です。
おそらく書き手である三女は、「例外もいるだろうから補足しておきたい」と書き足したのでしょう。こうした念のための補足、ある種の保険やエクスキューズは大人の文章でもよく見かけるノイズです。

無論、文章というものは、何でも言い切れば良いわけではありません。
重要な論点なら、しっかりと行数を費やすか、別にパラグラフを立てるなりして納得感を高める方が得策です。しかし「書き手の不安」がにじんだ保険のようなノイズは、機能しないだけでなく、流れがよどみ、スムーズな理解を妨げる躓きの石になります。

「たいていの文章は削れるし、削った方が良い文章になる」というよく言われるノウハウが有効なのは、たとえば「とにかく1割減らそう」という目で見ると、こうした「ノイズ」に敏感になるからです。

▽「音読」のススメ

「グルグル感」やノイズを感知する良い方法が「音読」です。読み上げて文章のリズムと展開を点検するのです。
言語の本性はオーラルコミュニケーションです。「耳で聞いてスッと分かる」のは論理的な文章、特に小論文など短い文章の1つの完成形です。
音読すると、「またそれ?」「あれ?そっち行くの?」と思う部分や「何かひっかかる」「話、飛びすぎ」といった違和感を感知しやすくなります。
本業でも「1回音読してみなさいよ」は私が若手に言う口癖の1つです。

この回は私が第2稿に少し手を入れて、ひとまず完了としました。ギリギリとリライトさせられて作文が嫌いになっては元も子もありません。仕事なら、そこまでやらせますが…。
人間、何事もステップ・バイ・ステップでしか上達しないものです。
まだ8月と年明けの受験まで間があったので、「このペースで徐々にレベルアップすればギリギリ間に合うだろう」という感触がありました。

(4)「型無し」の文章は個性ではない

「お父さん問題」の添削例の紹介を続けます。夏休みのど真ん中に出題したのは、長女、次女も挑戦した定番の問題でした。

インターネットが普及して20年以上経ちました。以下の問いに答えなさい。問1 インターネットが本やテレビと比べてより便利な点は何ですか。5行でまとめなさい。
問2 インターネットが無かったときと今の生活はどのように変わりましたか。
問3 インターネットやスマホのいい点、悪い点をそれぞれ具体的に挙げて合計20行程度にまとめなさい。

これも解答の幅が広すぎて、「正解のない問題」と言ってよいでしょう。
例によってキモとなるのは問3ですが、今回は「『型無し』は個性ではない」というテーマに沿って、問1、問2の添削過程を詳しく見ていきます。
まず三女の初稿。

解答1
インターネットの本やテレビと比べて便利な点は、情報を発信するのをより短い時間でできることだ。また、発信する際に、一人の力だけでも発信することができるため、より多くの人から、情報を集められることや、フェイスブックやインスタグラムなどを使って、家族や友達の生活や旅行内容などを知り、自分の生活や旅行内容などに生かすことができることでもある。
解答2
インターネットがなかったときは、何かを調べるときに、誰かに直接聞いたり、辞書を引いたりしていたが、今は、GOOGLEなどで、検索すれば、すぐ調べたいものが見つかるだろう。他にも、誰かを待っているとき、インターネットがなかった時代は、その人の家に行って確かめたり、すれ違いにならないように来るまでずっと待ち続けたりしていた。しかし、今は、LINEや、メッセージで、相手に、来ることができないのか、それとも遅れているのか、遅れているのだとしたら、どれくらい遅れているのかを、聞くことができる。つまり、インターネットが無かったときと今の生活は、人間があまり体力を使ったり、時間を使ったりせず、すぐ情報が届くよう変わったといえるだろう。

これはお世辞にもすっきりした文章ではありませんが、大人では書けない味がある一文でもあります。「子どもの作文」らしい。たとえば「ネット(=スマホ)がない時代は、外出時にお互い連絡が取りにくく、待ち合わせなどが不便だった」と書けば終わってしまう話を、ああでもない、こうでもない、と説明しているのが、何ともおかしい。

▽あえて「個性をいったん殺す」

昨今は「個性を伸ばす」のが教育のあるべき姿とされるようですが、「お父さん問題」は、「子どもらしさ」をいったん殺すことを狙いとしています。作文術の大人の階段、「型を身につける」、今風にいえばテンプレを覚えてもらうのです。

型があるから「型破り」になる。型がなければただの「型なし」だ

こんな言葉を目にしたことがある方も多いのではないでしょうか。歌舞伎の中村勘三郎さんのお気に入りのフレーズだそうです。
論理的な文章、伝わる文章には、明確な「型」があります。
その「型」を身に着けるのが「お父さん問題」の狙いです。
これは書く能力だけでなく、読解力も引き上げます。
書く「型」が身につくと、書き手の立場から文章の流れをとらえて意図をくみ取る力も上がるからです。

そうした狙いのもと、私は三女に「子供っぽい部分」を全面削除して、コンパクトにするよう指示しました。出てきた第2稿がこちらです。

解答1
インターネットの本やテレビと比べて便利な点は、作り手が情報を発信するのをより、少ない時間と手間でできることだ。一人の力だけでも発信することができるため、受け手は、より多くの人から、情報を集められるのだ。例えば、フェイスブックやインスタグラムなどを使って、家族や友達の生活や旅行内容などを知り、自分の行動に生かすことができる。
解答2
インターネットがなかったときは、何かを調べるときに、誰かに直接聞いたり、辞書を引いたりしていたが、今は、GOOGLEなどで、検索すれば、すぐ調べたいものが見つかるだろう。他にも、海外にいる人達と、これまでより、大幅に安い価格で、通話することができるようになったのだ。つまり、インターネットが無かったときと今の生活は、人間が時間や手間をかけずに、すぐ情報が届くよう変わったといえるだろう。

子供っぽさがかなり消えているのがお分かりでしょう。同時に、文章から面白みも消えています。
好き嫌いだけなら、私は最初の解答の方が好きです。
親としては、子どもらしい作文はホッコリとする良いもので、私は昔は「そのうち大人みたいな文章を書くようになってしまうだろうから、放置しておこう」と思っていました。
しかし今は、考えが変わり、小学校の高学年ぐらい、遅くとも中学1~2年のうちには、何らかの形で「書く力」と「読む力」を底上げする、大人の階段を登る過程を踏んだ方が良いと思いなおしています。
これは新井紀子氏の「AI vs 教科書の読めない子どもたち」の影響です。
新井氏が同書で指摘したように「学校では読解力を高める教育はしてくれない」し、「本を読んでいればそのうち『読解力』は身につく」わけでもないと知ったからです。

▽「つまらない文章」を書くのが第一歩

問1と問2の私の添削例はこんなものです。

解答1
インターネットの本やテレビと比べて便利な点は、作り手が情報をより少ない時間と手間で発信できることだ。一人だけでも発信できるため、受け手は、より多くの人から、情報を集められる。例えばいろいろな専門家がネットに流している情報を得たり、家族や友達のフェイスブックやインスタグラムなどから生活や旅行内容などを知ったりできる。それを自分の行動に生かすこともできる。
解答2
インターネットがなかったときは、何かを調べるときに誰かに直接聞いたり、辞書や本で調べたりしていた。今は、GOOGLEなどで検索すれば、すぐに調べたいものが見つかることが多いだろう。他にも、海外にいる人達と、これまでより大幅に安い価格で通話やメールのやり取りができるようになった。つまり、インターネットが無かったときと今の生活は、人間が時間や手間をかけずにすぐ情報が届くよう変わったといえるだろう。

「三女の意見の骨格は変えない」という基本方針のもとで、字句や順序を整理しています。
これは、今読み返してみても、実につまらない文章です。
しかし、それが「型」というものなのです。
テンプレもいいところの凡庸な文章であり、裏返せばそれは「『お約束』を守った意味の通る文章」なわけです。

「子どもの個性を殺して良いのか」という疑問もあるでしょう。
しかし、「型=凡庸」を身に着け、他人の文章を消化できるようになったその先にしか、意味のある個性は花開かないと私は考えます。
繰り返しになりますが、「型」がなければ「型無し」でしかありません。「型破り=個性」はその先にあります。

(5)真似れば書ける ラノベ創作編

この回は番外編として、三女がラノベを模倣した小文を紹介しました。
ご興味があれば以下のリンクからご笑覧ください。

(6)「子どもの作文」からの脱皮法

子どもの作文から大人の文章へ脱皮するカギは、「型」を身につけることです。これはそんなに難しいことでありません。大事なのは「上手くなくても良いので型通りに」という目標設定の低さです。
インターネットの普及をテーマにした出題の添削例で具体的に説明します。まずは問題文を振り返っておきます。キモの問3だけです。

問3 インターネットやスマホのいい点、悪い点をそれぞれ具体的に挙げて合計20行程度にまとめなさい。インターネットやスマホのいい点、悪い点をそれぞれ具体的に挙げて合計20行程度にまとめなさい。

次女の初稿がこちら。

インターネットやスマホのいい点は、LINEやメッセージで、すぐ友達や家族と連絡を取ったり、写真やビデオを離れていても見せたりすることができることである。例えば、インターネットが無い場合は旅行先で撮った写真を一枚一枚カメラで見ながら選んで、現像して、郵送する。だが、スマホでは、選択のボタンを押せば、一気に選ぶことができるし、選んでいる最中に、ぶれているものなどを削除することもできる。選んだあとは、発信のボタンを押せば、相手に届く。それに、スマホの中で写真をダウンロードすれば、もう一度現像しなくても、他の人から渡された写真を、違う人に見せることも、ボタンを押すだけでできる。
悪い点は、相手の表情が見えないため、誤解されてしまうことだ。例としては、先ほど良い例で挙げたLINEやメッセージがそうだろう。画面上に映る文字だけでは、相手が本気で言っているのか、それとも冗談で言っているのかがわからない。よく、これは冗談だよ、と示すために、(笑)や語尾に「~」をつけたりしているが、それでも伝わらない時もあるため、直接話すより誤解されやすいと言えるだろう。二つ目は、自分の個人情報が気を付けていても、思わぬところから、漏れてしまうことだ。例えば、自分の家の前で撮った写真にお店の看板が映っていて、住所がわかってしまったりすることだ。それに、インターネットがもし、なかったとしたら、住所が誰かにばれたとしてもあまり大問題にはならないが、インターネットがあると、拡散するスピードがけた違いに速くなるため、大問題になってしまうのだ。

おまけ
早くスマホ欲しい(>_<)

子どもらしい、うねるような悪文です。「おまけ」はご愛敬。
ちなみに高井家は「都立中高一貫校に受かったらスマホを買ってもらえる」という分かりやすい「エサ」で三姉妹を釣って大成功しました(笑)

まずは「子どもっぽい表現は禁止」という無味乾燥な方針のもと、いったんリライトをさせました。第2稿はこちら。

インターネットやスマホのいい点は、なかったときよりも、便利になったことだろう。例えば、LINEやメッセージで、すぐ友達や家族と連絡を取ることができることがそうだ。仕事や学校から帰ってくるときに遅くなりそうな場合などは、すぐ連絡できるため、家の人が余計に心配しないですむし、逆に、家にいる人が、外に出ている人に、何かを頼むことなどもできる。特に、仕事などでは、インターネットがないと、やっていけない会社もあるだろう。
悪い点は、相手の表情が見えないため、誤解されてしまうことだ。例としては、先ほど良い例で挙げたLINEやメッセージがそうだろう。画面上に映る文字だけでは、相手が本気で言っているのか、それとも冗談で言っているのかが、直接話すよりわかりにくいため、誤解されやすいと言えるだろう。二つ目は、自分の個人情報が、気を付けていても、思わぬところから、漏れてしまうことだ。例えば、自分の家の前で撮った写真にお店の看板が映っていて、住所がわかってしまったりすることだ。それに、インターネットがもし、なかったとしたら、住所が誰かにばれたとしてもあまり大問題にはならないが、インターネットがあると、拡散するスピードがけた違いに速くなるため、大問題になってしまうのだ。
おまけ
早くスマホ欲しい(>_<)

それなりに大人が書きそうな文章に近づいています。リライト前に私が出した指示は、
①「話し言葉」は使わない
②重複やくどい部分はすべて削る
③「本や教科書で読んだことがあるような文章」で書く
という3点です。

▽「話し言葉」「ダブり」「列挙」を避ける

この初稿は悪文の要素が詰まった良い題材なので、削ってしまった部分も含めて、どう添削して「どこかで読んだような文章」にしていくのか、具体的に書いてみます。太字がリライト例です。

①写真やビデオを離れていても見せたりすることができることである。
 →写真などを離れた人とも共有できる。

元の文章は「悪文」の典型例の「~することができる」という表現です。「見せたりすることができることである」と、ご丁寧に「こと」を2回も重ねています。
動詞を名詞化したうえで「できる」としてしまうのは、大人でもやりがちな冗長な書き方です。「書くことができる」なら、単に「書ける」とすれば良い。文章全体も6割ほど減量しています。「言わずもがな」の部分をコンパクトにするのは「大人の文章」の要諦です。ノイズを減らせば、「言いたいこと」にまっすぐと読者を導けます。

②インターネットが無い場合は旅行先で撮った写真を一枚一枚カメラで見ながら選んで、現像して、郵送する。だが、スマホでは、選択のボタンを押せば、一気に選ぶことができるし、選んでいる最中に、ぶれているものなどを削除することもできる。選んだあとは、発信のボタンを押せば、相手に届く。それに、スマホの中で写真をダウンロードすれば、もう一度現像しなくても、他の人から渡された写真を、違う人に見せることも、ボタンを押すだけでできる。
 →インターネットがない場合、現像した写真は旅行先などから郵送しなければならない。スマホなら、写真を画面で選んで送信するだけで済む。受け取った人は、別の人とも同じようにネット経由で共有できる。

ここは「悪文の素」が詰まっています。詳しく見ていきます。
まず「ダブり型・説明過多型」。こんな短い文章で5階も「選ぶ」「選択」という言葉が出てきます。直した文章では1つになっています。読点「、」の多様もよくある悪文。「読点は一文に2つまで」が大原則です。
「インターネットが無い場合は旅行先で撮った写真を一枚一枚カメラで見ながら選んで、現像して、郵送する」は、「削りしろ」たっぷりの冗長な一文です。書き手(三女)はデジカメなどと比べたスマホの利便性を説明したかったのでしょうが、それは「インターネットの利便性」とは別問題です。

「スマホでは、選択のボタンを押せば、一気に選ぶことができるし、選んでいる最中に、ぶれているものなどを削除することもできる。選んだあとは、発信のボタンを押せば、相手に届く」という部分は、相当に根が深い悪文です。
「選択」「選ぶ」が4つ出てくるダブりだけでなく、「最中に」という一言が曲者です。この一語があると、読み手は「時制」を意識してしまいます。「最中」があるなら「事前」と「事後」もあるだろうと連想してしまう。
実際にはこの一語には全く意味がないのに、文章の流れから注意がそれます。「することもできる」も、また登場しています。

③例としては、先ほど良い例で挙げたLINEやメッセージがそうだろう。
 →先ほど挙げたLINEなどが典型例だろう。
④よく、これは冗談だよ、と示すために、(笑)や語尾に「~」をつけたりしているが、
 →「これは冗談だ」という意味で「(笑)」などと末尾につけるが

③は「例としては、先ほど良い例で」がダブりで不要。
④の「よく」も話し言葉的で子供っぽい表現です。
いずれも交通整理しただけで「大人の文章」に近づきます。
こうした細かい部分で「うねり」やノイズを取っていくことが、文章の流れをストレートで速いものに変え、それが納得感を高めます。

⑤それに、インターネットがもし、なかったとしたら、住所が誰かにばれたとしてもあまり大問題にはならないが、インターネットがあると、拡散するスピードがけた違いに速くなるため、大問題になってしまうのだ。
 →もしインターネットがなければ住所が外部に漏れたとしても問題になりにくい。ネット時代は拡散スピードがけた違いなため大問題になってしまう。

ここも元の文章はうねりまくっています。読点も多い。「それに」「ばれた」は話し言葉なのでアウト。美点は対比がうまくできている点でしょう。その美点を活かすには、文章にテンポが必要です。
その障害になっているのが、大人でもやりがちな「逆接の『が』でつないだ長文」です。
添削例では2文に分けて、「だが」という接続詞も省いています。ここは好みが分かれるところかもしれません。「あった方が読みやすい」という人もいるでしょう。「省けるものは省く」が私の趣味です。
細かいところでは、原文では2回出てくる「大問題」を、「問題」と「大問題」という風に書き分けています。この方がコントラストが出ます。

リライトの際の指示を再掲します。
①「話し言葉」は使わない
②重複や冗長な部分はすべて削る
③「本や教科書で読んだことがあるような文章」で書く
具体例をご覧いただいて、意味するところや、添削のやり方のイメージはある程度つかんでいただけたのではないでしょうか。
ご覧のように、添削はそれほど大変なことではありません。この程度なら、文章を磨くというより「整える」の範囲内です。
リライトする側も、添削する側も、それほど根をつめて完璧を目指す必要はありません。2~3度と書き直して、「前より読みやすくなった」と感じられれば十分です。
実際、この回でもギリギリと詰めることはせず、適当なところで推敲は切り上げました。三女のやる気と自信を殺いでしまっては意味がないからです。
「道はなお遠いな」とは思いつつも、季節はまだ夏でした。「このペースなら年明けの受験に間に合うかな」という手ごたえもありました。

(7) 「本が読める!」と叫んだ娘

引き続き「お父さん問題」の添削例を紹介します。
この2回分は三女の身近な話題と好きなゲームを取り上げています。
前にかいた通り、「お父さん問題」のテーマは何でも良いのです。大事なのは筋道立てて論理的な答えを書く訓練になることです。
下の問題は2018年の夏休みの終わりごろに出し、第1稿は2学期に入ってから返ってきました。

塾について答えなさい。
問1 塾とはなんですか。
問2 塾に行くことのメリット、デメリットをあげなさい。
問3 あなたが塾に行きたい理由を説明しなさい。

これは長女のころから続く定番の問題です。身近なテーマで、受験を前に「なぜ塾に行くのだろう」と自問する機会にもなります。
以下が三女の初稿です。

塾とは、学校の授業の捕捉や、受験対策などができる、勉強の場だ。教室や自習室、ご飯を食べるところなど、設備が整えられている。

塾に行くことのメリットは、同じコースの人と自分でどれくらい差があるのかを知り、お互いに良い影響を与えられることや、自習室が使えることだ。自分の欠点を知り、相手の欠点を教えあえばどちらも自分を高めることができる。自習室は、静かで温度も適切なため集中しやすく、勉強がはかどる。
デメリットは、授業の終了時刻が遅いと寝る時刻も遅くなってしなってしまったり、自由時間が減ってしまったりすることだ。授業が何日か連続で行われることがあるときなどは、睡眠不足となって、勉強に集中できなくなり、本末転倒になる恐れもある。

私が塾に行きたい理由は、自習室が使えるからと、塾の友達としか話せない話をすることができるからだ。自習室は、入ったら勉強するしかないため、私が嫌いな計算問題なども、家にいるときよりはるかに速く終わらせることができる。塾の友達としか、話せない話というのは、主に他の学校のことや、宿題のことだ。塾では、学校に関係なくグループわけされるため、他の学校の同学年の友達とおしゃべりすることができる。宿題は、わからなかったところや、どのくらい終わったかを聞きあい、意識や知識を高めることができる。

ニャン(=^・・^=)

「ニャン」はともかく、この初稿に私は「良い感じに仕上がってきたな」と手ごたえを感じました。「子ども言葉」が抜けて、まとまりの良い「型」が身に付きつつあるのが見て取れます。
例えばこのあたりの表現は「大人の作法」に沿ったものです。

・相手の欠点を教えあえばどちらも自分を高めることができる。
・自習室は、静かで温度も適切なため集中しやすく、勉強がはかどる。
・勉強に集中できなくなり、本末転倒になる恐れもある。

これらは紋切り型で、特段うまい表現でもなく、個性もありません。
しかし、そこには簡潔ですっと頭に入るロジックの流れがあります。うねるように行きつ戻りつする子供っぽさが消えています。
これが「型」が身に着くということです。
つまらないかもしれないけれど、情報伝達力は安定します。
そして世の文章の大半は「味気なくても伝わること」が最も重要な役割なのです。「味」を出せるのは「型」の先の話です。

「正解のない問題」である3問目への解答も、初稿段階で体感がこもったそれなりに説得力のある悪くない構成です。
私がリライトで指摘したのは、まだ残っている子供っぽさやくどさ、話し言葉風の表現を落とし、すっきりとした書き言葉に整理することでした。
2回書き直した最終稿がこれです。太字が主なリライト部分です。

私が塾に行きたい理由は、自習室が使えるからと、塾の友達としか話せない話ができるからだ。自習室は、入ったら勉強するしかないため、私が嫌いな計算問題なども、家にいるときよりはるかに速く終わる。塾の友達とは、他の学校のことや、塾の宿題のことを話せる。塾では学校に関係なくグループわけされるため、同学年の友達と会話することができる。塾の宿題でも、わからなかったところや、進みぐあいを聞きあい、やる気が増したり、知識を深められる。

ニャン(=^・・^=)

ご覧の通り、表現が簡潔になり、「文章はできるだけ削った方が良いものになる」という鉄則に沿ったものになっています。文章全体の分量も1~2割減っています。「ニャン」に三女のしつこい性格が出ています。私に似ています(笑)

▽好きなテーマで楽しんで書く

この頃には三女は、学校や塾の反復訓練のような学習より、挑戦しがいのある「お父さん問題」に面白さを感じるようになっていたようです。
次に出した問題は、高井家名物の1つ、ボードゲームに関するものでした。

モノポリーについて、以下の問いに答えなさい。
問1 モノポリーが現実と似ている点、違っている点を3つ挙げなさい。
問2 モノポリーでは交渉が大事な役割を持ちます。なぜか答えなさい。
問3 モノポリーの強い、弱いを分けるポイントについて、自分の考えを10行程度で書きなさい。

この問題、三女は「書きたい!」とノリノリでした。三女は大のボードゲーム好きで、ひところは1人4役で数時間かけて遊ぶほどのモノポリー好きでした。ちょっと変な人です。
好きなだけなく、ゲームのプレイで求められるロジカルシンキングにも強く、気を抜くとゲームが得意な私でも負けてしまうほどです。それでも、作文では高いレベルの論理展開力があったわけではないのは、前回までにご覧になった通りです。
論理的思考力という根っこは同じでも、文章で表現するには別のコツが必要なのです。ここが文章術の面白くも厄介なところです。

大好きなモノポリーの問題に対する三女の解答は以下のようなものでした。

モノポリーが現実と似ている点は、お金を出して土地を買うところや、他の人の家に泊まったらお金を払わなければいけないところ、お金を出すとホテルや家を建てることができることだ。
違っている点は、三回連続ゾロ目のスピード違反以外では、何もしなくても警察に捕まり、牢獄に入れられることや、家を四件建てるとホテルになるところ、五十ドル支払うと、牢獄から出られることだ。

モノポリーで、交渉がとても大事な役割の持っている理由は、交渉を巧みに使うことで、今まで最下位だった人が、最上位にのぼりつめられる可能性があるからだ。モノポリーで一位になるためには、同じ色のグループを揃えることが最初の第一歩となる。しかし、よほど運がよくない限り、自分が揃える前に他の人に取られてしまう。そこで、お金をつけたり、相手が欲しがっているカードを付け加えたりして、なんとか自分が欲しいカードを手に入れるための交渉を行うわけだ。つまり、交渉は自分が勝者となるためのステップの一つということだ

私はモノポリーの強い、弱いを分けるポイントは、交渉の仕方だと思う。先程述べたように、モノポリーでは、交渉がとても大事な役割を担っている。モノポリーで強い人は、交渉をする際に、決して下手に出ず、相手が条件を出されても、その条件をのむような状態で交渉する。逆に、弱い人は、このカードを渡したらどうなるか、この条件をのむことで、どのような利益を相手に与えることになるかを考えず、目先の欲だけで、いかに不利な状態であっても交渉を持ちかける。加えて、強い人は多少不利な状況にあっても、表情を崩さないため、どのタイミングで交渉すればいいのかが分かりにくい。しかし、弱い人は、少しでも不利だと、すぐ顔に出るため、まんまと相手にその隙につけこまれ、そのまま破産することが多い。

おまけ
今度みんなでモノポリーしようよ~ (^O^)

「おまけ」に三女のモノポリー愛がにじんでいますが、それはさておき、この解答はモノポリー論としては、的を絞ったよくまとまったものです。プレイヤーの心理まで考察してあるのは、「やりこんでるな、コイツ」とニヤリとさせられます。
文章には主語・述語の乱れなど混乱が見られます。おそらく大好きなゲームの話題で興奮したのが原因でしょう。この出題は息抜きでもあったので「緩め」なのはご愛敬。
乱れを整えた2問目の最終稿がこちらです。太字が修正点。

モノポリーで、交渉がとても大事な役割を持っている理由は、交渉を巧みに使うことが、勝敗を分けるからだ。モノポリーで一位になるためには、同じ色のグループの土地を揃えることが最初の第一歩となる。しかし、よほど運がよくない限り、自分が揃える前に他の人に買われてしまう。そこで、相手が納得する条件を付けて、なんとか自分が欲しいカードを手に入れるための交渉を行うわけだ。(最後の一文を削除)

比較すると、すっきり読みやすくなっているのがよく分かります。基本は「削れば良くなる」という鉄則に従って交通整理しただけです。最後の味のある一文を削るのが、「型」優先のお父さん問題方式の添削の特徴です。

3問目の添削もこの方針に沿った「ひっかからずに読める」ようにするやすり掛けのような文章の整理が中心になりました。太字が変更点、カッコ書きが削除部分です。

私はモノポリーの強い、弱いを分けるポイントは、交渉の仕方だと思う。(先程述べたように、モノポリーでは、交渉がとても大事な役割を担っている。)強い人は、交渉をする際に、相手にも自分にも利益がある条件を出したり、お金を使うときの見定めが正確だったりする。逆に、弱い人は、このカードを渡したらどうなるか、この条件をのむことで、どのような利益を相手に与えることになるかを考えず、目先の欲だけで、いかに不利な状態であっても交渉を持ちかけるうえ、この後お金がないと困りそうなときにお金を使ったりする。加えて、強い人は多少不利な状況にあっても、表情を崩さないため、自分が優位な状況で交渉を進められるかが分かりにくい。しかし、弱い人は、少しでも不利だと、すぐ顔に出るため、まんまと相手にその隙につけこまれやすい。
おまけ
今度みんなでモノポリーしようよ~ (^O^)

私が言葉の整理以外に指摘した初稿の穴は、「強さ、弱さの部分の例示が具体性に欠けるので説得力がない」という点でした。そうした適切な論理のステップを踏まないと、ただの印象論におわってしまい、読み手が納得できる文章にはなりません。

▽「本が読める!ウヒョー!」

この2つの問題に取り組んでいた9月ごろ、読書をしていた三女が突然「なんか、最近、本が読める! 意味がわかる! ウヒョー!」と小躍りしたことがありました。
小説などではなく、論理的な内容の本、教科書に出てくる評論等が頭に入ってくるようになったようです。
「書けるようになると読解力も向上する」という「お父さん問題」の狙いを詳しく話していたわけではないので、これは三女の魂の叫びだったのだと思います(笑)

論理的思考の土台となる「母語の力」を上げるには、「話す→読む→書く」という言語習得の手順をさかのぼり、「読むための書く」を磨き、「読むと書く」の総合力が「筋道立てて話す」能力につながるというのが私の持論です。
「ウヒョー!」という三女の叫びは、私にとって「わが意を得たり」という成果でした。

(9)伝わる文章は「飛び石」でできている

今回は言語コミュニケーション、特に文章で情報を伝えることの本質についての私の考え方を述べます。一言で表せば、

言語・文章は飛躍が不可避であり、「適切な飛躍」が伝える力になる

というのが私の持論です。タイトルの「飛び石」はこの適切な飛躍の比喩です。これは私自身の文章術の要諦でもあり、論理的思考力、読解力を高める「お父さん問題」の添削方法の根っこでもあります。

▽一を聞いて十を知る

それこそちょっと飛躍がすぎるでしょうから、順に説明します。
「一を聞いて十を知る」という言葉があります。物事の一端を聞いて全体像を理解することです。出典は論語。
一方、「一から十まで」という言い回しもあります。
こちらは「一から十まで説明しないと分からない」といった具合に、聞き手の理解力・読解力の低さを表す場合に使われるケースが多いでしょう。

「文章は飛躍が不可避で、適切な飛躍が伝える力になる」という私の持論は、この2つのフレーズ、「一を聞いて十を知る」と「一から十まで」の中間でバランスをとるのが文章術のキモだというものです。

▽「一から十まで」は伝える力が落ちる

イメージをつかんでいただくため、具体例を挙げてみましょう。

「石の上にも三年」という言葉は、現代の職業観には当てはまらない。この言葉は「耐えれば成果が上がる」という意味で、三年は「ある程度長い間」の例えだ。
新卒や転職ですぐ辞めてしまう人に、「とりあえず三年我慢してみろ」と助言する人は多い。一つの会社に勤務し続ける終身雇用の時代なら、雑巾掛けにも意味があった。この場合、雑巾掛けというのも例えであって、スキルアップにつながらない雑用を指す。
日本ではかつて、最初に就職した会社に定年まで勤める人が多かった。「転職・起業アリ」の時代では、若いうちから自分の「市場価値」を上げることが重要だ。
無論、嫌だからといって、すぐに会社をやめてしまうような「逃げ」は論外だ。だが、「石の上」のような不快でしかない不毛な働き方に我慢するのも得策ではない。
無駄な苦行に耐えるのではなく、自分の力を伸ばす努力にエネルギーを割くべきだ。

どこにでもありそうな、別にどうということのない文章ですが、これが「一から十まで」というタイプの文章です。
センテンスごとに分解してみてみましょう。

流してある文章と違い、こうして要素分解すると「一から十まで」のくどさが見えてくるのではないでしょうか。

▽「飛び石」の方が伝わる

次に「私ならこう書く」という飛躍バージョンをご覧ください。

この飛び石の間隔を私は「イー・スー・チー方式」と名付けているのですが、麻雀をやらない人には伝わらないので、ご参考まで。
これを「流し」の文章にしてみましょう。

「石の上にも三年」という言葉は、現代の職業観には当てはまらない。一つの会社に勤務し続ける終身雇用の時代なら、雑巾掛けにも意味があった。
だが、「転職・起業アリ」の時代では、若いうちから自分の「市場価値」を上げることが重要だ。無駄な苦行に耐えるのではなく、自分の力を伸ばす努力にエネルギーを割くべきだ。

こちらの方がストレートに主張が、この場合なら最後の「無駄な苦行に耐えるのではなく、自分の力を伸ばす努力にエネルギーを割くべきだ」という部分がすっと入ってくるでしょう。
再構成にあたって太字の「だが、」という逆接を挿入しました。これも短めの文章を書く上での大事なポイントですので後ほどご説明します。

私はこうした飛躍でテンポをキープする書き方を「飛び石を置く」と呼んでいます。文章を書く際には、常にこの「飛び石の間隔」を意識しています。間隔が広すぎれば「分からない」となってしまうし、狭すぎれば「回りくどい」となってしまう。
このバランスをどう取るかは、ある程度の訓練や慣れが必要でしょう。大切なのは、こうした意識をもって書き手・読み手として文章に接することです。「スッと頭に入ってくる」「読んでいて気持ちが良い」という文章は、多かれ少なかれ、こうした「飛び石」の構成をもっています。意識していれば、だんだんと呼吸が分かってきます。

読み手が「飛び石」を埋める作業が、いわゆる「行間を読む」という行為の一部です。「行間を読む」にはもっと深い意味、「書き手の真意を、書かれていないことから読み取る」というニュアンスもあります。それはより高度な言語コミュニケーションに当てはまることでしょう。
しかし、そんなハイレベルな次元でなくても、我々はいつも文章を読む際に、ある程度、行間を読んでいるものです。
そこには日本という国、日本語という言語の特性も関係しています。

▽日本語は「空気を読む」言語

文化・言語を分類する枠組みに「ハイコンテクスト・ローコンテクスト」というものがありまうす。コンテクストは「文脈」とでも日本語に置き換えられるでしょう。日本語は世界のなかでも極めてハイコンテクストな言語だと言われています。

クリアな物言いで誤解を避ける傾向が強い欧米とは対照的だというのは経験的にも納得感があります。たとえば翻訳モノのビジネス書や評論の類は、分厚くて、文章もくどく感じるケースが多いものです。これは言語・文化のコンテクストの「濃度」の違いによると私は考えています。「一から十まで」という語り口の本が多いのです。
日本のような「ハイコンテクストな文化」は、常に「行間を読む」ことを読者に要求します。書き手がそれを勘定に入れて文章を書くからです。
それを勘定に入れて「飛び石」を置いていけば、すっきりと論理的に相手に伝わる文章になります。
そして「書き手側の論理」がある程度身につけば、読み手に回った際にも行間を読み取る力、つまり読解力が大きく向上します。

「中学までは全部『国語』だ」という私の口癖は、中学受験レベル、言い換えると文系・理系といった形で高いレベルの役割分担が求められる手前の段階、あるいは日常的なコミュニケーションでは、言語による論理的思考力の重要性の方が高く、出番が多いという意味です。「国語=母語を操る力」の向上は、勉強や受験という狭い範囲にとどまらず、人生を渡っていくうえで大きな差が出ると私は考えています。

▽「一を聞いて十を知る」の快感

「適切な飛び石」は伝わりやすい文章の要諦ですが、そこからさらに先の世界もあります。先ほどの文例をさらに切り詰めてみます。

たった2文まで切り詰めた、まさに「一を聞いて十を知る」という構成です。これでも通じる人には通じるのです。
私の敬愛する山本夏彦翁に「言葉というものは電光のように通じるもので、それは聞く方がその言葉をまっているからである」という名言があります。
皆さんにもそんな経験があるのではないでしょうか。
たとえば会議の席で参加者のうち2人だけが「一を聞いて十を知る」式のコミュニケーションでどんどんキャッチボールをして話が進んでしまう。その2人の間で超ハイコンテクストなやり取りを支える共有認識がある、まさに「聞く方が言葉を待っている」状態にある。こういうコミュニケーションには独特の高揚感と快感があります。

この「一を聞いて十を知る」を積み重ねると、会話のテンポと到達点は「飛び石」方式の比ではない、特急列車のようなスピード感が出ます。

これは書きなぐりに近い粗いものですが、各ステップは「一を聞いて十を知る」に近いストライドで飛躍しています。考え方の近い方なら気持ちよく読めるかもしれません。そうでない方には、読むだけで疲れる、あるいは意味不明なセンテンスの羅列にみえるかもしれません。
ここまでハイコンテクストな書き方は論理的な文章構成を通り越してゲームに近いもので、「お父さん問題」の目標からは大きく外れています。極端なケース、余興のようなものとお考え下さい。

▽「ひっくり返し」は原則1回だけ

余興はほどほどにして、実用的なアドバイスを付記しておきます。
前述の「1・4・7」方式への短縮の際、「だが」という逆接を挿入しました。その狙いをご説明します。まず、その文章を再掲します。

「石の上にも三年」という言葉は、現代の職業観には当てはまらない。一つの会社に勤務し続ける終身雇用の時代なら、雑巾掛けにも意味があった。
だが、「転職・起業アリ」の時代では、若いうちから自分の「市場価値」を上げることが重要だ。無駄な苦行に耐えるのではなく、自分の力を伸ばす努力にエネルギーを割くべきだ。

「だが」の一語が、前半と後半の切り替えとポイントの強調の役割を果たしているのがお判りでしょう。
逆接には、読み手の注意を引き、「ここから流れが変わる」と予感させる効果があります。だからこそ、逆説の多用は慎むべきです。文章の流れが揺れて読み手が混乱します。ここで最初の文章を再掲します。

赤字部分は、直前かもう1つ前の文と逆接の関係にあります。こうした多用は読み手の理解にブレーキをかける悪文です。この程度の長さの短文ならば「『ひっくり返し』は1回だけ」が原則です。上の例なら3は許容範囲ですが、8と9は不要なノイズです。
8は「それでも多少は我慢も必要だろう」という予想される反論を恐れて挿入しがちな「保険」です。これは書き手の不安がにじむ言い訳でしかありません。9に至っては、その「不安な保険」を再度、自分で打消し、元の主張を繰り返しているだけで、「ノイズの再生産」のような失敗例です。

繰り返しになりますが、コンパクトな文章、原稿用紙1~2枚という分量なら、「ひっくり返し」は原則1回にとどめることを意識すると、流れがスムーズになり、メリハリがある文章に仕上がりやすくなります。

(10)文章術の要諦は省略 達人編

この回では、省略こそが文章術の妙である、という事実を古典などを例に紹介しています。独立した読み物になっていますので、ご興味があればリンクからご覧ください。

予告編! 「お父さん問題」と高井流文章術を公開!

ここまで過去の連載をまとめてきました。
連載再開後の第11回からは、まず「お父さん問題」の添削例をいくつかご紹介します。具体例をもとに、論理的でわかりやすい文章の書き方を解説します。
その後は、四半世紀近い新聞記者として経験で培った自分なりの文章術をご紹介します。こちらは大人の読者、ビジネスマンや文筆業を目指す方々にもご参考になるものにしたいと思います。

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こうご期待!

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