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江戸時代は「藩(大名家)」が基本の時代。
そこから脱藩した者は、
「脱藩浪人」と呼ばれていました。

明治時代からは、日本列島から
抜け出て大陸などに出ていった者を
「大陸浪人」などと呼びます。

戦後になり、大学受験に不合格、
学校に属さずに再び大学受験を
志す人は「(大学)浪人」と呼ばれる。

本記事では、浪人について書きます。

「浪」という漢字は
さんずいに良いという字から成る。
「なみ」「ろう」と読みます。
流れる水がザーザーとうねる、
どこに運ぶか、どこに運ばれるか
わからない、自由で流浪の「なみ」…。
拙者は流浪人、また流れるでござるよ…。

ここから、さまよう、とか
ほしいままに動く、
なみのように定まらない、などの
意味もついていきます。
何かに縛られず、
なみのようなフリーダムな人は、
「浪人」と呼ばれるようになる。


明治時代には「ロマン」という言葉に
「浪漫」という漢字が当てられて、
夢を持つ、空想的で冒険的な意味合いも
含まれていくのです。

…ただですね、浪人は
必ずしも「良い」面ばかりではない。
郷里や組織から離れてフリーダムな反面、
自己責任、自己管理、自己防衛、
そういったものが必要になる。

いざという時、組織が守ってくれない。
組織からの追手が来ることもある…!

江戸時代は基本、藩という
各地の大名の組織が治める世の中でした。
その庇護から脱する、脱藩する、
ということは非常な危険を伴いました。

江戸時代では「犯罪者」だったのです。

かの有名な土佐脱藩浪人、坂本龍馬も、
志を持った「志士」とはいえ
命がけで「脱藩」をしていますよね。
変名もよく使っている。
藩から見れば「裏切者」。
見つかれば処刑されるのです。

彼は「海援隊」など自前の組織をつくり、
藩が無視できない実力をつけたため
土佐藩と手を結んだりができましたが、

「脱藩浪人」の中には
非業の死を遂げた者も無数にいる…。
だからこそ、少数の成功者が
脚光を浴びている、とも言えましょう。

(龍馬も、最後は暗殺されます)

さて、明治時代になるとどうか?

「廃藩置県」が行われ、
藩に属する、ということがなくなった。
「国民国家」という近代化、
直接、国に属するようになります。
国と民の間にあった藩が、なくなる。

ただ、明治時代から敗戦までは
日本列島に留まらずに
外に出ていこう!という時代でしたから、
大陸などに出ていく人も、多かった。
中国大陸、朝鮮半島、満州だけでなく、
シベリア、東南アジアにまで出向く。

特定の組織に属さない、
自分たちのことを幕末の志士になぞらえ、
大陸浪人、などと自称したと言います。


このような活動は、
江戸時代にはほとんど無かった。
領民が勝手に外に出ることを
禁止していましたから。

(江戸時代の前、
室町時代の頃には「倭寇」や
秀吉の頃には「日本人町」など、
かなりフリーダムな人たちはいました)

ただ、最終的に大日本帝国政府は
第二次世界大戦で、敗戦します。
日本列島に戻ることになり、
大陸浪人もまた、消滅していきます。

戦後はどうか?

国内は「学歴社会」になりますよね。
藩もなくなった。国も負けた。
個人はどこに拠り所を求めたか?
変わらず国に滅私奉公をする
人もいた一方で
多くの人が「家庭」と「学校」と
それから「会社」に、居場所を求めます。

原則18歳までに、どの学校に属して
それ以降はどの大学に属すのか?
18歳からは、どの会社(組織)に属して、
どこで定年まで過ごすか?
誰と結婚して家庭を持つのか?

「一社専従」「終身雇用」が
(特に男性は)スタンダードになり、
高度経済成長、安定成長の中で
「学歴」「社歴」が
(どんな「家庭」を持っているか、も)
個人の活動を証明するものになった…。

ただ、ここでいう学歴、社歴は
「学校に『属した』経歴」
「会社に『属した』経歴」であり、
「何を学習してきたか」
「何を達成してきたか」では
ありませんでした。

学習歴、実績歴ではない。
あくまで学校歴、会社歴、です。

それが戦後~バブル期まで続く。
戦後まもなくの混乱期はまだしも、
高校進学率が100%に近づき、
大学進学率が上がっていく頃から、
「どこの学校に行ったか」
「どこの会社に行ったか」が
個人を特定し証明する、よすがになる。

そのため、そこからはみ出た人は
「浪人」と呼ばれていきます。

18歳で高校卒業後、すぐに
大学に合格できなかった人は
「浪人」(大学浪人)になる。
(中学生で高校に不合格になった人は
中浪と呼ばれた時代もありました)
卒業すぐに就職できなかった人は
就職浪人、と呼ばれる。

フリーダムで縛られない、その実、
「組織に属さない人」=
「よくわからない人」という
レッテルを貼られるようになったのです。

当然、転職する人は
一社専従、終身雇用の「藩」から
抜け出す「脱藩浪士」のような扱い。
犯罪者、裏切者、そのような
イメージが強くあった。

…これがバブル崩壊までの
安定しており、ある意味、息苦しい
社会の一断面だった、と言えましょう。

現在は、どうでしょうか?

転職は、むしろ、もてはやされている。
学校も「不登校」や「高認試験」や
「フリースクール」など複線化が進み、
必ずしも単線一本ではなくなっています。
(あえて家庭を持たない人がいることも
認識されてきている)

見つかれば即処刑、のような、
忍者の組織を抜けた「抜け忍」のような、
そんなことは無くなっている…。

と、思いますか?

いや、今はまだ
「過渡期」のように、私には思えます。

年齢層、都会と地方、
歴史と地理、時間と空間によって
かなりのグラデーションが存在する。
決していま皆様がいらっしゃる
ご自身の家庭や組織や地域の感覚が、
他にも当てはまるとは言えない
のです。

年齢が上になるにしたがって
「転職=脱藩浪人」のような
イメージを持つ人が多い傾向がある。
地方に行くにしたがって
「会社に属さない=大陸浪人」のような
イメージを持つ人が増えてくる…。
家庭を持たない人への風当たりも…。

もちろん、時代が変われば
「脱藩浪人」が「維新の志士」に
変わったように、
じきに評価は逆転する、かもしれない。

しかし、まだそうじゃない。

まだ認識は
変わり切ってはいないのです。

それまでの何十年も
積み重なってきた意識があるので…。
反作用のリアクションもあるので…。

最後に、まとめます。

本記事では「浪人」について
歴史を踏まえて色々と書いてみました。

『SNS』の大海においても、属する国や
公務員や大きな組織などによっては、
自由にフリーダムにはできない人も多い。

組織からの束縛、禁止があり、
見つかると「処刑」される人も…。

読者の皆様は、いかがでしょう?

※ジブリのホームページの画像提供から
『耳をすませば』の一場面をどうぞ。
主人公は、中学三年生・受験生ながらも、
職人になるため世界に飛び出す
男に感化され、自分の夢に向かい
「抜け出す」試行をしています。

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