見出し画像

「小五郎伝」タイトル変更「桂小五郎青雲伝ー炊煙と楠ー」の舞台裏

昔の友達とお酒を飲んだら

 久しぶり、昔の友達と会いました。
 お酒の席ですが、いつものように、遅刻してしまいました。皆が振り返る中、「ごめん、ごめん」と私は席に着きました。
 なんと、皆は、私の話しで盛り上がっていたのです。いったい、何を話していたのでしょうか。
 私はビールをいただきまながら、見回しました。

押し付けた原稿について

 一人が言い出しました。
「あの原稿な」
 七年ほど前でしょうか。
 例の「小五郎伝」の原稿を人数分コピーして、私は皆に「読んでくれ」と押し付けたのです。
 450枚近いものです。
 お陰で、私のバックは軽くなり、皆のカバンは重くなりました。
 感想を強引に聞こうという魂胆ですね。
 次の飲み会で、私は感想を聞きました。本当に読んでくれたのかは、皆はあいまいな顔をしていたので、私にはよくわかりませんでした。忙しい面々ですから、困ったなという顔をしていました。
 以来、私はその件を忘れていたわけです。
 いつものように。

奥様の感想

 ところが、今回の飲み会では、私が来る前に、皆は、この小説の話しで、なんと盛り上がっていたのです。
 私はまったく知らなかったのですが、皆、奥様に原稿を渡して読んでもらっていたのです。別に互いに申し合わせていたわけではないのです。
 もちろん、私の方も、そんなことをお願いした覚えはありません。
 でも、その感想は。
「女房が、ファンになったんだよ」
 全部読んで、楽しんでくれたのです。
 私は驚きました。
「出版したら、絶対に買うって、女房が言ってたぞ」
 マジかよ。
 私は、コロナに感染した話でもしたら盛り上がると思っていたのです。用意していた話題が、全部、吹っ飛んでしまいました。
 確かに、本作は、各章全てで、女性が活躍しているのです。
 皆の感想は、ありがたかったです。励まされました。
 後は、本作の狙いや創作の裏話で、宴席は盛り上がった次第です。

家で考えたことはタイトルの変更

 宴会が終わり、私は家に帰り、酔いが醒めたとき、私は本作のタイトルを変えようと決意しました。
 もともとタイトルについては、noteに掲載する際に、随分悩み、途中で変更した経過があります。
 私はもう一度、初期のタイトルに戻すことにしました。
 女性か見ても、分かりやすいタイトルにしようと思った次第です。ただし、「炊烟」については「炊煙」にいたしました。桂小五郎・木戸孝允文書には、「炊烟」という言葉が使用されていますが、現代用語に書き換えた次第です。
 本作は、女性陣は、母、義理の姉二人、妹、養母、遊女お豊、初恋の早苗と、次つぎと出演しては大切な役を演じてくれています。
 本作のテーマは、副題「炊煙と楠」に込められています。というわけで、初期のテーマに戻した次第です。

リンクは次の通りです


「維新の志士桂小五郎」になった時 

 私は、桂小五郎が、二十歳の時であると思っています。
 まさに、萩から江戸に遊学する時です。
 桂小五郎の人間中心主義、身分制度へのフラットな平等感覚、人の死と生への豊かな感受性、生き残るぞという独自の死生観、女性への無限な優しさ、危機に対する対応力、マネジメントとリーダーシップ、といった才能と人格形成は、まさに生まれ育った萩を舞台に描かなれば表現できません。
 特に、家族が六人亡くなることを経験し、桂小五郎は、「人は死の前で無力だ。死の前では、身分制度は通用しない」という思いを深めたのではないでしょうか。
 母が亡くなり、桂小五郎はあまりの悲しさに、引きこもりとなりました。「死にたい、出家したい」と呻いていた、まさに青春時代のどん底です。
 家族を救えず、自分も救えず。
 稽古場にも行かず、部屋の中で、自分を見つめ続けた青春。
 こうして、桂小五郎は、復活します。自分の足で歩き始めます。
 ついには、「国を救う男になろう」と大きく成長していくわけです。その第一歩が、萩から江戸に旅立つときだったのです。
 こうした桂小五郎の成長には、様々な女生との出会いと別れが不可欠だったのです。

創作の原点  

 桂小五郎の萩での記録は、間接的なものばかりです。
 0歳から二十歳までですから、現在残っているのは、せいぜい習字の作品くらいでしょうか。
 あとは、いたずら書きか。
 あまりにも志士時代の木戸孝允文書が多いため、今まで出版された評伝は、志士として活躍し始めた時代中心でした。
 ところが私には、記録の少ない萩時代にこそ、創作の可能性があると思えてならなかったのです。
 まあ、新人賞向きの作品ではないでしょうね。有名人の、それもキャラクターが0歳から二十歳まで、22章22段階も変化し続けるのですから。一方で、キャラクターには一貫性が必要なわけです。
 こんな創作方法は、怖いもの知らずとしか、言い様がありません。
 でも、「記録がないなら作ってみよう」という発想が、まさに本作の創作の出発点になった次第です。
 このようなわけで、タイトルを変更した次第です。
 お楽しみください。
 


この記事が参加している募集

一度は行きたいあの場所

サポートしていただき、ありがとうございます。笑って泣いて元気になれるような作品を投稿していきたいと思います。よろしくお願いいたします。