一人前
一人前、という言葉がある。
私の周りではほとんど耳にすることがない。そういう言葉を使いそうな人を、本能的に遠ざけてきたのかもしれない。
私にとっての「一人前」は、振りかざされる言葉である。経済的に自立できている、というぼんやりとした意味の裏に、それができていて当然だ、できなければならない、という通念の押しつけが感じられる。
私も10代の頃までは、その通念を共有していたが、今は違う。人は独立独歩に生きられる、という前提自体に違和感を覚えている。
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私が「一人前」という言葉について考えるに至ったのは、最近『〈一人前〉と戦後社会』という本を読んだためだ。本書は、人々が自身の生活に求めてきた理想を、戦前から始めて、各年代ごとに詳述している。
一般的な「一人前」の指標を、個人の経済力に置くとすれば、正規か非正規か、フルタイムかパートタイムか、というのは、分かりやすい基準として前面化されやすい。
「非正規で働いている」というだけで、不安定、経済力が無い、と見做され、実際どんな労働に従事しているかまでは問題にされにくい。この決めつけは、正規であっても無縁ではなく、正規=安定という固定観念の前では、個々人が抱える労働上の問題は無視されやすい。
同じ労働内容でありながら、正規と非正規の間に明確な待遇の違いが存在することは、労働者間の溝を生む。日本での「同一労働同一賃金」の適用が望まれるが、未だその目処は立っていない。
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個々人を支える場や集団の確保なしに、ただ「自己実現」が称揚されると、本来は社会全体で解決すべき問題が個人の選択次第でなんとかなくなる、なんとかしなければならないものとされる。つまり「自己責任論」の温床となるのだ。
かつては、場や集団の役割を担っていた会社も、今では人材育成よりも利益重視の流れの中で、私たちを公・私問わず支える場所ではなくなりつつある。
人の生活は個人プレイだけでは成り立たず、互いに支え合って生きていかなければならない。このことを自覚できている人が、「一人前」と見做される社会であってほしい。
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