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初めて涙を流した音楽

音楽を聴いて涙を流したことがあるだろうか?
美しい旋律に感動して、歌詞に共感して、ライブの生音に感動して、その曲で昔を思い出して…
音楽を聴いて人が涙を流すのにはさまざまな理由があると思う。
今日は私が人生で初めて涙を流した音楽について書こうと思う。

私が(記憶にある限りで)初めて音楽を聴いて涙を流したのは中学3年生のときである。
1学期の中間テスト前で、その日も家の自室でテスト勉強に励んでいた。

私はよく音楽を聴きながら勉強をする。
今は歌詞があると集中できないので、ジャズや映画音楽、環境音などを聴いているが、その頃はまだ歌詞のある邦楽をメインに流しながら勉強していた。

その頃の私はまだガラケー勢で、音楽のサブスクリプションサービスにも登録していなかったため、購入したりレンタルしたCDをiPodに取り込んで音楽を聴いていた。
そのため、好きなアーティストができても、今のようにすぐに全楽曲を聴くことができなかった。

だから、中学2年生の冬に聴き始めたSEKAI NO OWARIも、その頃はまだ「Tree」と「Entertainment」の2枚のアルバムの曲しか聴くことができなかった。

そんな私のために、私よりも前からセカオワが好きだったクラスの友人がセカオワの楽曲を全部入れたiPodをテスト期間中に貸してくれた。
その中に入っていた、メジャーデビュー前の”世界の終わり”の曲を聴いて私は初めて音楽で泣いた。

インディーズ時代の2010年に発売されたアルバム「EARTH」の中に収録された「死の魔法」という曲だ。

SEKAI NO OWARIに初めて出会ったとき、その曲の世界観に圧倒されたし、自分にはない考え方の歌詞に感動したのを覚えている。

少しずつセカオワワールドに染まっている途中だったが、この曲を初めて聴いたとき、”生と死”についてあまりに真っ直ぐに生々しく書いていることに、そして死というものを客観的にではなく主観的に捉えていることに衝撃を受けた。
死について言葉にするときに、痛々しい言葉を使わずにここまでリアル(に思えるよう)な死を伝えることができる人はなかなかいないだろう。

ああ、死ぬということはこういうことなのか。
全てなくなってしまうのか。
何もかも忘れてしまうのか。
私、死にたくないな。

そんな考えがぐるぐるしていて、気づいたら涙がツーっと流れていた。
人はこんなに冷静に静かに泣けるのだなと思った。


死への恐怖なのか、悲哀なのか。
そのとき涙を流した理由の感情は今ではあまり思い出せない。

でもそれまで人生のずっと先にあると思っていた死というものが、実は常に私や周りの人々の隣に寄り添っていることに突然気がついたのだと思う。

きっとこの曲を今の私が初めて聴いたとしても、思うことは何かしらあれど涙は流さないような気がする。
まだまだ幼かった中学3年生の私だからこそ、胸に込み上げるなにか苦しい感情があったのだろう。

今の私にはもう泣ける曲ではないかもしれない。
それでもこの曲が中学3年生の何もない平凡な一日を思い出の一日に変えてくれたことが私にとって大切なものであるのだ。

これからの人生で私が涙を流す音楽はどんな音楽なのだろう。

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