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本屋が好きな理由

はじめに断っておくと、僕はAmazonのヘビーユーザーだ。
Prime会員になってから、日用品をはじめ、あらゆるものをAmazonのプラットフォームで購入している。デジタルに関するプラットフォームはAppleとGoogleに依存することもあるけれど、「何にお金を使っているか+何を経由してお金を使っているか」を考えるとAmazonに占める割合は相当大きい。

本だって、僕が前日夕方くらいまでに欲しいと注文した本が、下手したら翌日の朝に発送されている。僕が今住んでいる地域にはあまり良い本屋がないので(あるにはあるけれど、品揃えが大衆的で好みではないのだ)、自然と選択肢がAmazonに限られてしまうのだ。

それでも、僕は本屋が好きだ。
渋谷オフィスから歩いて10分ほどかかるが、時間があればAoyama Book Centerに足を運んでいる。仕事の休憩時間なのでどうしても仕事関連のところに足が向かいがちだが、頭を切り替えてアートや小説、デザイン、洋書などのコーナーにも足を運ぶようにしている。
本を手に取り、ページを繰っていると、ついつい時間を忘れてしまう。

買うつもりのなかった本を買ってしまう。
会計時に「ああ、お金を使ってしまったな」と一瞬後悔するものの、今では一期一会のものだと納得することができるようになった。社会人13年目、裕福ではないが、関心のある本を選べないほど余裕がないわけではない
「今日僕が休憩時間を利用しなければ、この本には出会わなかっただろう」という思考は、あまりに楽観的なものだろうか。

博報堂ケトルの嶋浩一郎さんの著書『なぜ本屋に行くとアイデアが生まれるのか』を週末に読んだ。僕がなかなか言語化できていないことが記されることが多く、何度も膝を打った。

中でも「知ること」に関して、検索と読書の違いを以下のように例示していたのは、今後勝手に引用していきたいなと思ったところだ。

検索で探すのは、石油を掘るのに近いものです。石油を掘るのに当てずっぽうで始める人はいません。石油という目的があるのですから、地層などを調べてある程度出そうなところを掘削するはずです。
読書はそれとは違って、子どもの砂遊びに近いものです。別に特定の目的があるわけではないけれども、シャベルで砂を掘り返してみる。なにかが出てきたらいいな、くらいの気持ちで、なにが見つかるかよりも掘ることそのものが大事なのです。(太字は私です)

同じく本書からの引用だが、「人間が知りたいもののうち言語化できるものは5%しかない。残り95%は具現化できていないものだから、本屋を巡るだけで潜在的な欲望が喚起される」という内容もその通りだと感じた。

僕たち人間というのは、脳に与えられている容量もほんの一部しか使えていないのかもしれない。『メモの魔力』でも前田裕二さんが「あまりに情報が頭を素通りすることが多い。それらを適切にキャッチアップしないともったいない」と記しているのと本質的には同じだと思う。

僕も若手に「感度を高く」という話をする。
「じゃあどうやるの?」という問いはあまりにも無邪気だから、実は返答するのが難しい。(情報のキャッチアップは人それぞれ、かもしれないから)

でも、これからは自信を持って、こうアドバイスしようと思う。
「迷わず本屋に行けよ。行けばわかるさ」

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