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価値観が似ているというより、羞恥感覚が似ている方が大事かも。(酒井順子『センス・オブ・シェイム』を読んで)

幸か不幸か、あまり羞恥心を感じないタイプである。

特に自分の言動について、「これを言うのは憚られる」みたいな感覚はほとんど持っていない。

そんな僕だが、「日本人=恥の文化」という論調には深く頷いている。特に世間様といった得体の知れないものに対する畏怖のようなものは日々感じるし、なぜ恥の意識によって言動が制限されなくてはいけないのだろうと憤ることさえある。

でも悲しいかな、凡庸な人間たる僕は、いつしか恥の感覚にも慣れてしまって。「まあ、そういうものだよね」と感じていた違和感をそのまま受け止めてしまうのだ。適応力といえば聞こえはいいけれど、そういったスタンスは不誠実なのではないかと時折恥ずかしくなる。

そんな中、エッセイストの酒井順子さんの著書『センス・オブ・シェイム』を読んだ。普段ぼんやり感じていることが見事に言語化されていて、とても面白かった。

例えば、こんな感じだ。

(信号機がなかった横断歩道に、信号機が設置され)しかし信号が出来てから数年が経つと、次第に「信号遵守派」が増えてきました。おそらくは新しい住民が増え、「そこにかつて信号は無かった」と知る人の割合が減ってきたからなのでしょう。車の気配は全くないのに、信号が赤であればじっと待つ、という人が多数派に。
するとどうしたことか、私もまた、次第に信号を遵守せざるを得ない気持ちになってきました。(中略)
なぜ以前は赤の時でも渡っていたのに、できなくなったのか。……と考えますと、「皆がしていないことをするのは恥ずかしいから」なのです。

(酒井順子(2019)『センス・オブ・シェイム』文藝春秋、P55〜56より引用)

もちろん信号を守るというのは当然のことではあるが、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という言葉のように、信号機がある場所でも車が来なければ渡ってしまうということはなくはないわけで。

以前だったら「『渡る』のが普通」だったのに、だんだん「『信号を守る』のが普通」になっていく。

行動変容に至った人の大半は、実はコンプライアンスではなく、恥の意識によるものではないかというのが酒井さんの意見だ。

*

また言語感覚にも恥の意識は存在する。

(若干、公の場では憚られるが)なるほどと膝を打った箇所をまたもや引用したい。

また私の知人の巨乳女性は、ある男性と初めてセックスをしている時、胸のことを「デカパイ」と表現されて、一気に萎えたと言います。
「私の胸が大きいことを表現したい気持ちはわかるけどさ、そういう時は言葉じゃなくて行為で表せばいいでしょうよ。それもよりによって『デカパイ』って、いつの言葉なんだ、っての。自分がおっさんとセックスをしているという現実が一気に襲ってきて、げんなりした」
ということで、その人との二度目のセックスはなかったのだそうです。
セックスの相性というものがありますが、その場合は単に肉体の相性のみならず、言語感覚の相性、羞恥感覚の相性というのも重要。思わず漏らした言葉によって、その人の生まれ育った時代背景やAV好きの程度が発覚してしまうこともあるのでした。

(酒井順子(2019)『センス・オブ・シェイム』文藝春秋、P74〜75より引用)

デリカシーの問題として矮小化することもできるだろうが、より引いた目線に立つと「言語感覚の相性、羞恥感覚の相性」というのは、なるほど!という気がした。

どんな言葉を使うのか。

それは正しいとか正しくないとか、そういった議論とは別に、「こういうときは、こういう言葉を使ってほしいよね」みたいな暗黙の了解みたいなものが存在するのではないか。

僕は現在の会社を起業する前、会社員として3社を経験している。1社目はインターンシップから参加し、また長い時間じっくり就職活動をしたので言語感覚の違いを感じることはほとんどなかった。(意識することもなかった)

だが、2社目、3社目は細部において「ああ、違うな」という感覚は拭えなかった。幸いなことに致命的な違和感ではなかったけれど、「まあ中途入社だし仕方ないかな」といった諦念に近い感覚は存在していたと思う。

こういうときに、こういう言葉を使ってほしい。

それは贅沢な望みなのかもしれない。グローバル社会を生き抜く上で「邪魔な」発想かもしれない。

こういう発想を持つこと自体が日本人かも……なんて唐突に自らのアイデンティティを省みるほどに、案外深いところまで触れることができた一冊だ。

社会は恥にまみれている。

そういう視点を持てれば、ほんのちょっと他者に優しくなれるかもしれない。

──

全てのエッセイは自慢話、なんて言い切る酒井さん。

世間の羞恥感覚を発露する大胆さと、自身に潜む「恥ずかしい」感覚の繊細さ。そのバランスがとてもおかしく、読んでいてすっかりファンになってしまいました。

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