民主主義の欠陥を埋める知性を信じたい。(トゥキュディデス『人はなぜ戦争を選ぶのか』を読んで)

僕の思い過ごしかもしれないが、「日本における過去の戦争」の話題がめっきり減ったような気がしている。

ロシアのウクライナ侵攻や、米中対立など、日本の安全保障のリスクが高まっているようだ。政治家は防衛費の見直しを盛んに喧伝しているけれど、妥当性を巡る議論は乏しいままだ。

さらに、自国がかつて犯してしまった過ちについての振り返りは、継続的に行なわれているだろうか。じわじわと日本に都合の良い解釈が重ねられ、戦争の悲劇が歪められているようにも感じる。

ただ、かくいう自分も、過去の戦争のことを知っているかといえば、心許ない。そんな問題意識を抱き、1冊の本を手に取った。2,500年前、古代ギリシアにおけるペロポネソス戦争について著したトゥキュディデス『戦史』。それを編み直した書籍『人はなぜ戦争を選ぶのか』である。

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そもそも、ペロポネソス戦争とは何か

ペロポネソス戦争(ペロポネソスせんそう、古希: Πελοποννησιακός Πόλεμος、英: Peloponnesian War、紀元前431年 - 紀元前404年)は、アテナイを中心とするデロス同盟とスパルタを中心とするペロポネソス同盟との間に発生した、古代ギリシア世界全域を巻き込んだ戦争である。

Wikipediaより

紀元前500年〜紀元前449年のペルシア戦争、紀元前460年〜紀元前445年の第一次ペロポネソス戦争に続く、古代ギリシアにおける覇権争いによる生じた戦争だ。

もともとペルシア戦争で、弱い立場だったギリシアの各都市が連帯したことが皮肉にも争乱のもとになってしまった。ペルシア帝国を退けた後で、「で、これから誰が仕切るの?」という話の中で急激にアテネが頭角をあらわし、そして恐怖政治によって各都市を実質的なコントロール下においた。ペロポネソス戦争は、アテネの恐怖政治に不満を持った都市が、もう一つの盟主・スパルタを巻き込んで行なわれたもの。ちなみに、アテネもスパルタも「戦争をしかけてきたのは相手方だと主張」しているそう。

アテネの恐怖政治に不満を持っていた都市がある一方、アテネも恐怖政治を敷く理由があった。領土拡大と共に各都市を支配することによって、住民たちは経済的繁栄の恩恵を受けてきたからだ。「周りの国を甘やかせると税金を徴収できなくなる」というロジックによって、妥協を許さぬ恐怖政治が行なわれたのだった。

民主主義と「それっぽいロジック」が過ちを犯したことを学ぶ

本書で書かれている内容を端的にいうならば、「古代アテネで弁舌を振るった為政者の詭弁を読み解く本」ということになる。

先に述べた領土拡大とは、戦争を仕掛けて、その都市を制圧することを意味している。自由意思によって加盟がなされたデロス同盟だったが、離脱することは許されなかった。反乱の芽と見做され、武力鎮圧の憂き目にあったのだ。

例えば為政者のひとり、ペリクレスは次のように民衆に訴えかけた。

我々は戦争を不可避のものとして受け入れなければならないのであり、その覚悟を持てば、相手方の決意のほどが、我々の決意には到底およばないということがわかるだろう。
また、今一度思い起こしてほしいのは、都市や個人にとって、大いなる危険には大いなる名誉が伴うということだ。(中略)
彼ら(筆者注:ペルシア戦争でペルシア帝国に勝利した先人たちのこと)の示した模範に恥じない生き方をし、勝利のためにあらゆる手立てを尽くし、既存の領土を微塵も損なうことなく、子孫に継承しようではないか。

(トゥキュディデス(2022)『人はなぜ戦争を選ぶのか』文響社、P81〜82より引用、太字は本書より)

これは第1章の「戦争の正当化」で紹介された演説だ。第一次ペロポネソス戦争終結時に30年平和条約が結ばれたにも関わらず、相手との妥協を一切許さずに「戦争こそが正義」と訴えたものだ。

妥協をしたら、相手が調子に乗ってしまう。

このロジックで脳裏を過るのが、靖国参拝を巡る騒動だ。毎年この時期になると、中国や韓国を対立構造に置きながら、舌鋒鋭い言葉が飛び交う。両者が「後には引けない」ような我慢比べをしているように感じてしまうのは、僕だけだろうか。

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同じようなロジック(というか政治信条)を武器に、ペリクレスは立場を留保している人たちを厳しく叱責し、持論に都合の良い事実をもとに演説を繰り返していた。それらはとても分かりやすい。その場に居合わせたら手を叩きたくなる民衆の心情も分かる。(そして実際、多くの場面において古代アテネは、避けられたはずの戦争を何度も仕掛けていったのだった)

「人はなぜ戦争を選ぶのか」という問いに立ったとき、考えなくてはならないのが、民主主義で「戦争をする」という判断が下されていたという事実だ。

民衆の多くが、ペリクレスの意見に賛同した。結果的に恐怖政治による被人道的な支配を繰り返すことになる。最終的に、アテネはペロポネソス戦争で敗北という結果に終わる。勝ち負けが重要なことではないが、明らかに無益と思われる戦いへと向かわせた為政者の罪は重い

現代に生きる僕たちは、このことを教訓として学ばなければ、同じ過ちを繰り返してしまうことになるだろう。

民主主義が、弱い立場の人たちを皆殺しにした

個人的に衝撃を受けたのが、第5章「強者と弱者」で紹介されたエピソード、メロス島の対話だ。

スパルタからの和平交渉を拒絶したアテネ、ひたすらに恐怖政治による支配を目論む彼らは、煮え切らない態度をとっていたメロス島に対して最後通牒を突きつける。それは、

・自分たちの支配を受け入れるか
・支配を拒否し、戦争によって都市を滅亡させるか

の究極の二者択一だった。第3の案を提示するメロス島の要望はまるで受け付けない。最終的に「降伏しない」という決断を下したメロス島に対し、戦争を仕掛け、「成人男性は全員処刑、女子供は奴隷として売り払う」という悲劇を産んでしまった。

なんと凄惨な仕打ちだろうか。

戦争前の対話で、アテネの使者は次のように言い放ったという。

正義という概念が物事を決定する要因になり得るのは、お互いが対等な条件にある場合に限られる。
権力の座にある者は、権力によってその力の行使を認められているのであり、弱者はそれを受け入れるほかない。

(トゥキュディデス(2022)『人はなぜ戦争を選ぶのか』文響社、P166より引用、太字は本書より)

そもそもこれは対等な国同士の戦いではないのだから、勇気を証明するとか、恥をさらすとかいった次元の話ではない。諸君らは祖国の存亡が懸かっているのであり、そもそも己よりはるかに強力な相手に抗う望みはない。

(トゥキュディデス(2022)『人はなぜ戦争を選ぶのか』文響社、P171より引用、太字は本書より)

あまりに一方的な言い分だ。2,500年前のこととはいえ、あまりに無慈悲だろう。

アテネの使者も、それを支持してしまった民衆も、後世まで長く咎められてしまうような出来事である。

*

本書では冒頭に、トゥキュディデスの予言が引かれている。

人間性というものが変わらない限り、未来は多かれ少なかれ、過去の再現となる。

(トゥキュディデス(2022)『人はなぜ戦争を選ぶのか』文響社、P81〜82より引用)

人間は、なかなか変わらない。

いまのところ、同じような過ちを何度も繰り返してきている。

だけど僕は、人類とはもっと賢いオプションを選べるはずだと僅かな希望を感じている。「それがいったい何か?」という答えは持ち合わせていまないけれど、戦争と平和について考え続け、考えを深めていくことで、きっと平和に帰着するような解決策が見出せるはずだと思うのだ。

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日本にとって8月は、大切な月だ。

1945年に広島、長崎で原爆を投下され、15日には終戦を迎えた。「二度と同じ過ちを繰り返してはならない」と、戦地を体験した人たちを中心に、平和が強く希求され、今日に至っている。

残念なことに、一部の愚かな正義感によって歴史修正が喧伝されている。情報社会において、それらを見極めることが難しいという由々しき事態に僕は強く危機感を抱いている。年に一度くらいは、過去の過ちを当事者意識をもって見つめるべきだと僕は考えている。

そんな静かな思考に、本書は温かく寄り添ってくれるはずだ。

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