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親に否定ばかりされる私の人生は、やはり他人から見ても否定されるべき代物ですか?

例えば歌手になることを夢見て上京して、その夢が叶わなかったとして。でもその道すがらで見つけた「素敵なもの」を新しい夢にして頑張るのはいけないことでしょうか?

夢は1つじゃないといけないものなのでしょうか?

夢が破れたらその人の人生は「終わり」なのでしょうか?「ダメ」なのでしょうか?

私の人生なのに、一度きりの人生なのに、親の決めた「常識」から外れたら、否定されるべきでしょうか?


プロローグ~真っ黒なメール~

親から届いた沢山の否定メール。本当は全部書き起こして見てもらいたいって思った。でもその言葉自体私の手元に残しておきたくなくて、全て削除してしまった。

残しといたらいつまでも気になって、気持ちが落ち続けるのわかってたから。でもメールを消したところでそれらは私の頭の中で生き続ける。不快な窮屈な生き物として。それらに一人じゃどうしても耐えられなかった時に友達にスクショして送った画像が数枚、手元にある…。


そして私は…

「夢を追いかけて上京した」。それは確かな事で、小さい頃からの変わらない夢があって、それを一度も追いかけることなく「夢」のままにして死にたくないと思った。それにいつまでも実家住まいで親元にいるのもダメだと思ったし、親は先に死ぬのだから自立しなきゃと思った。

親の束縛や干渉が嫌で嫌でたまらなかったのもあって、夢を追いかけなくても地元に残るのは絶対に嫌だと思って上京した。一生独り身で生きるにも、恋をするにも地元じゃいちいち親の監視があるから。


上京して懸命に生きた。余裕も無かったし、親の事が嫌いだったし、だから連絡をしなかった。

今回の引っ越し騒動の時に緊急連絡先の件で父親から「夢を追いかけるって言って出てって、何の連絡もなく、どうしているのか不明」「夜心配で寝れなかった」とメールが送られてきました。(本当は何度も着信があったけど、電話が怖い私にとって、親からの電話となれば尚更何もしゃべれなくなること分かっていたので出ませんでした)

この時私は隣人の騒音で夜は一睡もできない状況。ずっと気を張ってびくびくしながら夜の時間を耐えて、やっと朝の5時くらいに疲労と共に寝るって生活を送っていました。「(隣人の騒音が酷くて)夜寝れないから引っ越す」と伝えたのに、「夜心配で寝れなかった」ってよく送って来れたなと思いました。

神経が過敏になっていたので物音ひとつで目が覚めてしまう状況下、この親のメールで目が覚め睡眠時間は3時間も無かった。ノイローゼが凄くて「ねぇ、もぉ、夜眠れないって言ってるじゃん!!!寝てないんだよ!!!寝かせてよ!!!!」「何でそうやって否定ばっかするに!?今日だって夜は一睡もしてない。ずっとなの!!!!もうほんとこれ以上悩ませないで!」と頭がおかしくなってる中メールを送りました。

その後、「親は心配するのが当たり前」と送られてきて、「心配する」んじゃなくて「励まし」や「後押し」をするのが親としての在り方だと私は想っているわけで。

海外では「自分も迷惑をかけているのだから、人の事も許してあげなさい」ってあるのに、日本では「他人に迷惑をかけないよう生きろ」ってあって。

私はHSPだから自分では「他人に迷惑かけないように」と思っているけど、相手には「迷惑かけてもいいんだよ」って想いがあって。親は此処まで言っても私がどれ程苦しんでるかなんて想像してみることもしてないんだろうなと思った。

その後も本当にいろいろあって、なんとか引っ越しの手続きができて、その時に「落ち着いたら連絡します」って私が送ったのにも関わらず今度は「落ち着いたか?どうなってる?」と連絡が入り。

この時私は「騒音問題」「引っ越し問題」「親問題」から解放されて残りの「仕事探し」に懸命になっていた。精神的にも落ちて何度も「死のう」と考えて、それでも頑張って立ち上がって、「仕事探し」の事だけ考えていた最中に親からのメール。

私は器用じゃないからいろんなことを一度にはできない。だから一個ずつ片付けてて、、このメールが来たとき本当に叫びだしそうになった。実際浴槽の壁を殴ってた。

親はいつだって自分の事しか考えてない。「心配」って言葉を並べて、その上に胡坐をかいている。

「落ち着いたら連絡するって言ってんじゃん!もう、なんでそうやって急かすの!!私と父のペースを一緒にしないで!!!そうやって人を追い詰めて楽しいですか!?」

今までは言いたいことも我慢して生きて来てた。でも自分の事で手一杯なのに、ここ数カ月あまりにも苦しくて、冷静な言葉を並べることが出来なかった。

何で「連絡がない」=「まだ落ち着いてない」って思えないのかな?「落ち着く」って期限があるの?だったら人間は苦しむことなく平和だね。「1か月後に落ち着きます」って分かっていたら、どれだけ気が楽に生きて行けるだろうね?そしたらきっと死ぬ人だって減るだろうにね。

冷静じゃなく書きなぶってメールを送ったから誤字ってたりもあったし、想いだすだけでイライラして過食に走ってしまうのでこれ以上は書くのを止める。


ただただ「凄いなぁ」って思った。

人を此処まで追い詰めるのが上手い親って何なんだろうなって。


HSPにとって記憶とは…

モノを消しても、「嬉しい記憶」や「悲しい記憶」を鮮明に覚えているHSP。幼少期から今にわたるまでそれらの記憶を1つたりとも忘れられない。特に「苦しい記憶」のがはっきり覚えている。生まれてから死ぬまできっと「苦しい記憶」のが多くて、それはきっと周りの力によっては「良い記憶」に変えることもできるのだろう。だけど、それには手助けが必要で。理解者が必要で。

だからこそ理解してくれない人からは自分から離れて行かなければ息が吸えなくなってしまう。だから私は親から離れたい。


しがらみが世を蔓延っているのだ

よく「嫌なら逃げればいい」と聞く。その通りだと思う。だけど窮地に立った時には既に周りが見えなくなっていることが多い。どれだけ大きくて太い道を歩いていたとて、照らされた明かりが足元しかなければ不安になるし、不安定な足場の崖の上に立っていたとして明かりが無ければそれすらも気づかない。

そして逃げて初めてわかるのは、生きていくには世の中は不条理だと言う事。否、世の中と一括りにはできないから「日本は」としておこう。

もし家出同然で旅立ったとして、お金が有ったとしても家を借りるには「緊急連絡先」の存在が浮上する。仕事を見つけるにも「身元保証人」が必要になってくる。結局のところ、壁にぶち当たって生きていくのをはばかられるのだ。親と縁が切りたくても世の中がそれを許してはくれない。一人で生きていくのを許しては貰えない。考えたいことだけに集中したくても、考えたくもない余計な事に手足を塞がれる。

生きやすくするために変わったことが、生きづらさを生みだしている。

全てを同じ物差しで、同じ檻の中で飼うのは不可能なんだと、気づいたときには弱者はきっと滅んでいるんだろうね…


星神侑兎




HSP気質な私に少しだけ救いの手を…。サーポートにより私に生きてる意味を頂けましたら幸いです。