哲学を文学にすると
まともに哲学書を読み通したことがないのに、哲学をなぜ自分のそばに置いているかといえば、学生時代ぼくの周りで、といっても左翼小児病にかかった小さなサークルではということだが、ぼくだけが埴谷雄高を理解していると思われたからだ。みんな一様に難しいというのに、ぼくには何か既視感のような感触が確かにあった。「死霊」の最初のページからどこかに馴染みの雰囲気があった。中学校の理科の実験室の暗がりのような場所とか、街外れの古い病院の木製の手すりのある回り階段とか、鬱蒼とした森に続く小道で斃れ