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自分を愛せないからといって   愛を持ってないわけじゃない

「自分を大事にできない人は
他人も愛せない」
そう教えられてきたけれど
それもまた
“呪い”のひとつでしかなかった


自分に愛なんかないと思ってた

この世にある命の全てを
大切にしてやれないんだと思ってた


疑問を抱かせてくれたのは
一緒に過ごした犬と猫だった

もう頑張らなくていいこともあれば
頑張るしかないこともあって
頑張りたいとさえ思う時もあったりして
もう投げ出したくなることだって
しょっちゅうある。

上手なペース配分って
今ひとつ、未だに掴めない。


報われないことなんかいくらでもあった

「頑張る方向性が違っただけ」
そう言う人もいる

どれが正解かなんて
多分、誰かにわかることでもないし
決められることでもないんだと思う。

病気になってしまうほど頑張ってしまっても
早く治そうとまた頑張ってしまってたり

頑張り癖がついてる人は
洞察力のない人や
鈍感力の強い人の言動に
左右されてしまうことが多い気がする。

鈍いのと強いのは違うのに

弱さを良しとしない中で生きてしまうと
自分も他人も
認めたり 尊重したり 受け入れたりするより
責めたり非難する方が
当然のようになってしまう。


自分を好きになれなくても
「こう感じてる自分は好き」とか
「これに夢中になってる自分は好き」とか
部分的なとこは見つけることができた。

これが自分の大切な人だったら
なんて言葉をかけるだろう

そう考えられるようになっただけ
ずいぶんな変化だし
心の張り具合いは緩くなった気がする

「捉え方」は意識しなければ変えられないし
決して容易なことではなかったけれど
楽になりたくて
とにかく頑張った。

憎しみとか怒りとか罪悪感とか
ずっとずっと抱え込んでいたから
それってすごく
苦しいことだったから
捨てられるなら早く捨てたかった。


全ては無理だろうけど
それもまた
まるっと受け入れてしまうことも
時には必要だったりもするけど

生きようと思ったら
そんな地味なことを
でも大事なことを
ひとりコツコツ頑張るしかなくて
頑張らないでいるなんて
多分
不可能に近いのかも

でも
肩の力を抜くことなら
きっとできるんだと思う

こんな自分じゃダメだって
思ってしまうけど
どんな自分なら
良いんだろ
その自分って
誰目線の自分なんだろう

りんこ。

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