ふと思い出しては慰められている事
こんばんは、Kanaです。
昨年のクリスマスシーズンのこと。
イルミネーションで輝く街で写真撮影をしている人を見かけるのも日常的だった時期に、
私たちもイルミネーションの前で記念撮影をしていました。
撮影スポット的なところで撮っていて、私たちの後ろに順番を待っているぽい家族がいました。
私は母と彼と3人で居たので、私は母の写真を撮っていて、後ろに並んでいた家族からなんとなく「はやくしてくれ…」という気配を感じたので、それなりに巻いたけど、まだ申し訳なさが勝つ。
私たちが離れたあと、
後ろに並んでいた家族のお父さんと子供ふたりだけ撮影スポットにいて、カメラマンはお母さんがしていました。
撮りたての写真をチェックしながらその様子を見ていた私は、お待たせしたお詫びに撮影をしてあげよう、と思いお母さんに声をかけました。
「よかったら撮りましょうか?」
「いいです。」
(間髪入れずに返答。しかもめっちゃ真顔。)
冷た過ぎてイラッとしたのとへこんだのと複雑な心境だった私は、早速彼にその帰り道でシェアしました。
「あ、結構ですありがとうございます〜」とかでいいじゃん。めっちゃ冷たい。と言う私に彼は、
「彼女はきっと未来で後悔するね。
子供たちは大きくなって今日の写真を見る。お母さんだけ写ってない。どうしてお母さん写ってないの?って聞かれるね。その時に彼女は思う"ああ、あの時の女の子に撮ってもらわなかったから… 私はなんてばかなことをしたの…" 僕はそう思うよ。大丈夫大丈夫。カナは優しかっただけだから気にしなくていい。」
そう、諭してくれました。
それですっと肩の荷が軽くなったことがあって。
価値観が異なる事で、自分の中になかった捉え方があることを知れた。という経験が初めてだったので、ああこうやって気持ちがおさまる事ってあるんだ。という新発見がありました。
それと同時に、この先こういうちっさなことがあってもちっさな内に解決できるだろう。きっとこうして救われるだろう。
そう思うとパートナーとしての将来が見えました。
彼はよく「ピンチはチャンスだ」と、言います。
私が小学生の時に見た映画の中で言っていて、いいセリフだなあと初めて胸に刻み込んだ言葉なのですが(笑)、大人になっても度々ピンチが訪れる度に「これはチャンスかもしれない」「このピンチをチャンスに変えるなら、どう捉えたらいいだろう?」そう考えていました。
この話を彼にした事は多分ないので、私が大切にしている言葉だとは知らないはずですが、日本語を自分で覚えた彼がこの言葉を知って気に入っていたことに、とてもシンパシーを感じたのです。
私は彼を尊敬し、信頼しています。
今日は2月最後の日でしたね。
来月3月で、私たちは出会ってから2年が経過します。
この2年の中で交際し、同居し、約束をし、遠距離をし、今は婚約者のような状態。
この出逢いにとにかく感謝しかありません。
私たちによくしてくれたお互いの両親にも、そもそも交際をプッシュしてくれた友人たちにも、
ここまで運んでくれた運にも感謝しかない。
(時々ふと思い出しては慰められているエピソードと、)そんなことを思う今日この頃なのでした💐
最後まで読んでいただきありがとうございます𓂃𓂁
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