わたしも「かわいい」の武器が欲しかった
わたしはこのnoteの他にTwitterをずっと続けている。
いつから始めただろう。
確か大学生の頃に初めてスマホを手にした時だった気がする。最初は仲の良い友達と繋がるためだけに始めた。
けどわたしがその友達だけの繋がりがあるTwitterに飽きるのに時間はかからなかった。
みんなのTwitterはつまらなかった。
当然わたしのTwitterのつぶやきは面白かったかと言われればそんなことはない。
行ってきた場所の報告とか、それに反応しなければいけない使命感みたいなものとか。別にそんなものはどうでも良かった。というよりもわたしはそんなに友達が多いタイプでもなかったし、言い訳に聞こえそうだけど、沢山の友達はいらなかったし、友達を繋ぎ止めるための”作業”は進んでやる方ではなかった。
身近な仲間内でも、芸能人のようにちやほやされる子は当然出てくる。可愛い子がTwitterを始めれば人は群がっていた。
そんな当たり前のことがつまらなくて妬ましかった。
お互いのことが知れているだけで嫉みは止まらなかった。
そんな中で、友達関係を一切入れない今では死語に近いかもしれないけど「裏アカウント」に興味を持った。
ここならわたしが何かに嫉妬することはないんじゃないかと思った。
すぐにわたしは別の新しいアカウントを作って、自分の興味のある人だけをひたすらフォローしていった。
最初は面白みなど何もない生まれたてのわたしのアカウントは誰からもフォローされなかった。けど徐々に話しかけてくれる人が増え、徐々にわたしの求めていたTwitterの楽しさが見えてきた気がした。
そこからわたしは色々な種類のアカウントをたくさん作った。
ただ仲の良い人たちを集めた小さなアカウントや、趣味が近い人を集めたもの、ネタ系のツイートをするためのものとか。
その中でも続けてこれたのが、今一番メインで動かしている「いちとせ しをり」としてのアカウントだ。
今のうちに知らない人には誤解されそうなので言っておくと、わたしは女の子ではない。ただわたしは昔から女の子になりたかった。それは女の子の格好がしたいとかそういうことではない。女の子の心がずっと欲しかった。
でもわたしはやっぱりネットの世界でも完全に女の子になることは出来ない。女の子として生まれてきた女の子にわたしは勝てなかった。勝ち負けではないかもしれないけれど、わたしは勝ちたかったのだ。わたしの方が”女の子”になりたかったのに。
ネットの世界でも可愛い子は輝いていた。
わたしだって可愛い自撮りを上げたかった。可愛いツイートをしたかった。可愛い文章を書きたかった。可愛い絵を描きたかった。可愛いだけで見てもらいたかった。わたしが必死にTwitterをしていることも知らずに、可愛い女の子たちはどんどんわたしよりも遠くに行ってしまった。
もちろん可愛いだけが、女の子の魅力ではないと思う。
ただ可愛いから頑張れたこともあったはずだ。可愛いからつまらないことも言えたはずだ。可愛いから利用できた感情もあったはずだ。
けどわたしのフォロワーの中には「結局何をやっても”女だから”としか見てくれない」と嘆いている方もいた。
それも立派な苦しみだ。可愛いから全部大丈夫なわけじゃない。
それでも貧乏な人に向かってお金持ちの人が「お金持ちも大変なんだ」と言っても貧乏な人は実感が湧きづらい。
それでもわたしに向かって「可愛いのも大変なんだ」とか「女の子も大変なんだよ」と言われたらわたしは何も言い返せない。
けどわたしは女の子に憧れてしまうんだ。理由なんてよくわからない。気づいたら憧れていた。本能的に人を好きになってしまうときと同じように。
悔しい。悔しい。
わたしが可愛かったら、この文章ももっと読んでもらえたかもしれない。それでもわたしは文章を書くのが好きだから、女の子にちょっとでもなった気分になれるネットの世界が好きだから。
だからわたしは可愛い女の子たちに負けないためにTwitterを続けるよ。noteを続けるよ。
そう言いながらわたしは、自分のTwitterのタイムラインに流れてきた可愛い女の子の自撮りに「いいね」してしまうんだ。どうして…?
書き続ける勇気になっています。