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本当に感じていることは何?

感覚は、私たちが世界との交わりを通じて受け取る奇跡の扉です。視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚、筋感覚など、これらの感覚を通して私たちはあらゆるものと深い対話ができます。感覚は主観的であり、個々の経験に基づいています。同じ刺激でも、人によって感じ方や解釈が異なります。

感覚は、私たち次第ですが、時として鏡のように振る舞い、私たちに自己を見せてくれるかのような役割を果たすことがあります。しかし、人間が感覚を用いても、自分の見たいようにしか見ることができず、客観的な視点からの見方が難しい場合があります。なぜなら、感覚は個々の主観に基づいていらからです。つまり、同じ刺激を受けても、人によって感じ方や解釈が異なるということです。

さらに、人間は自己を肯定的な光で見る傾向があります。自己保持のために自己の欠点や弱点を認めることが難しい場合があります。逆に人間は、自己を破壊的な光で見ることもあります。事物を否定的な視点で見て、自分に本当はない問題や、心配すべきでないことに対して過度に心配したり、否定的に考えたりする場合があります。

感覚を通じて得られる情報も、これらの視点に左右されることがあります。例えば、自分の行動を正当化するために、状況を過度に解釈したり、他者の意見を無視したりすることがあります。このようなバイアスが、客観的な視点からの見方を阻害する要因となります。

また、感覚と価値観は密接に結びついています。私たちは感覚を通じて世界を知覚し、判断を下します。ようするに、感覚を個人の価値観でこういうものだ、と名前をつけているのです。価値観は私たちの感じの受け取り方に大きく影響を与えます。例えば、同じ風景を見ても、心地よいと感じる人にとっては美しいという価値観を持ち「これは美しい」と思いますが、不快と感じる人にとっては、美しくないという価値観を持ち、「これは美しくない」と思います。価値観が大きくずれている人は、ずさんな感じ方となってしまうのがよく分かります。

感じたことは、私たちの信念を形成する基盤となります。例えば、ある人が友情に感動した経験から、「人々は互いに支え合うべきだ」という信念を持つことがあります。また何かに失敗した経験から、「自分には能力がない」という信念を持つことがあります。

私たちは感覚よりも、感覚を名づけている価値観と信念に基づいて行動しますが、それらに囚われずに行動する練習は役に立ちます。私たちはありのままの自分を受け入れ、柔軟性を持って行動できるように練習します。ありのままとは、できない自分や、怒っている自分や、格好悪い自分など、理想とは違う、人に知られたくない、自分でも認めたくない自分も含みます

価値観と信念は私たちの判断と考えに影響を与え、感じたこと(例:良い、悪い、心地いい、悪い)が価値観であり信念(例:これは良い、これは悪い、これは正しい、これは間違っている)だと言えるのですが、非常に長い期間の練習を通じて、私たちは感じ方や信念や価値観や考えが自然と変わり、柔軟に行動できるようになります。そうなることで、より豊かな人生を送ることができるでしょう。

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