見出し画像

初めて褒められた記念日

初めて褒められた日のことを、覚えているだろうか。

初めて立った時、初めてテストで100点を取れた時、かけっこで1位になれた時、展覧会に作品がノミネートされたり。

描いてる絵を「いい絵だね」と褒められたり、自分で選んだ洋服を「可愛いね」と褒められたり、何かいい思い出があるはずだ。

私は、親に認められたことがない。

…と言うと大袈裟だけれど、全く嘘とも言えない。

小学4年生の時、自分でかけ算のプリントを解いて、100点満点だった。クラスでは、満点だったのは私ともう一人の男の子だけだった。

算数は苦手だったから嬉しくって嬉しくって、頑張ったから褒めてほしかった。「すごいね〜!」って。

ほくほくしながら家に帰って、「ねぇ!かけ算のプリント、私と○○君だけが100点だったんだよ!」と母に報告した。

絶対褒めて貰えると思った。本当に自信があった。

「えぇ?それは私が手伝ったからでしょ。」

違う。そのプリントは間違いなく私が自力で頑張ったやつだ。何言ってんだこいつ。

「えっ違うよ!これはちゃんと、最初から最後まで自分でやったやつだよ!」

私は言った。

「何言ってんの!私が手伝ったから出来たんでしょ!自力で100点取ってから言いなさい!」

と言われてしまった。すごくすごく悲しくて、100点なんてなんの意味もないように思えた。

そのプリントは、捨てた。

母はこういう人だ。

テレビを見ていても、実際に会って話したことも無い芸能人をすぐに「嫌い」って言う。

すごく偏った考え方の持ち主で、それが間違ってるなんて夢にも思わない人だ。

「そのブランドのものは買わないで、嫌いだから。」
とか、

「どうしてそんなに自分のことみたいに他人の心配をするの?馬鹿みたい。」

「あなたの考えは間違ってる。」
とか。

私の考えはもしかしたら間違ってるのかもしれないけど、私が持つ物やアイデンティティに関してはとやかく言うことじゃないと思う。

母が褒める時は、明らかに何かをやらせたい時のものだ。勉強とか。

小学2年生の時、絵を描いてると「上手ね〜将来は漫画家さんになるの?」と言われたことがあった。

軽く「そうしようかな〜」と答えたら、お絵描き教室の体験に連れていかれた。

「あぁ、そういうことね。綺麗な絵を描ける子供になって欲しいだけか。」

と思った。

褒め言葉も薄っぺらくて、私のやる気なんて上がるはずもなかった。

母は、私にマウントを取ってくる。

口で上手く表現は出来ないけど、こうなんか、しれっと「私の方が上なのよ」って感じでくる。

母は、子供を自己実現の道具にしたがる。

「あなたは私にとって宝物よ」
「あなたがここまで大きくなってくれてよかった」

とか言ってくる。

本音もあるんだろうけど、本気でそう思ってる人が普段子供に対してマウントを取ったり、アイデンティティを否定するような発言を繰り返すだろうか?

あなたはただ「良い子供を育てた、良い母親」になりたいだけなんじゃない?

私を、ただ自分の理想を叶えるための道具にしないでくれよ。

気持ち悪い、すごく嫌いだ。

だけど、世話になっているし、本とか服とか色々買って貰って、養われてる恩がある。

着ている服に関して「もっと女の子らしい服着れば?」位は言われても、容姿に関しての褒めは過剰なほど凄かった。「あなたは可愛いね」「美人に生まれてよかったね」

あなたの口から言われても、あんまり嬉しくないですね。

それに厳しい家庭だったから、友達と遊ぶ時間も少なく、グレることを考えるのも面倒なくらい心を外に向ける余裕も与えられなかった。

父は悪い人ではないが、生まれてからずっと暮らしているけど、私や母の食べ物の好みなんて一切覚えてない、家庭に無関心な人だ。心の拠り所にはならない。

そんな家庭でグレる勇気もなく、不登校にもなれず、毎日学校に行きながら育った。

自分が嫌いで生きづらさを抱えたまま、大学1年生になった。通学距離が長く、アルバイトをする許可も店の名前を出したら出たので、社会に滞在する時間が長くなった。

慣れないけど、そこそこ頑張った。飲食店はどこのポジションについても、結構体力の要る仕事だ。

あんな母親と長い時間一緒にいるのだから、当然私の自己肯定感は幼い頃から低く、

「私は何にもできないし、だから努力しない。疲れちゃうもん。」

という思考になっていた。というか、今でも結構そうである。

不器用だからアルバイト先でも褒められることが少なくて、でも話を聞いてくれる同僚や先輩方に恵まれて、私はなんとかやっていった。

大学2年生になって仕事にも大体慣れてきた頃、夏休みのランチピークの時だった。

室内でも、動き回ってるとやっぱり暑い。

必死で色んなテーブルに料理を運んでは片し、運んでは片しながら、オーダーを取っていた。

私にとっては、いつものことだった。

必死な顔で料理を運んでいった先に、2人の子供達がいた。

顔馴染みじゃない、男の子兄弟2人。家族で来ていた。

「こちら、○○ハンバーグでございま〜す。」

いつも通り、料理をテーブルに置いていく。

両手いっぱいに料理を持って、汗だくで必死な顔で接客している私。

第三者から見たら、相当見苦しい姿だったと思う。少なくともベストではない。

そんな私に弟くんの方が言った。

「お姉ちゃん、頑張って〜!!!」

私は誰かに、人生でこんな大きな声で応援されたことは無かった。

すごくビックリして、何が何だか分からなかったけど、とりあえず変な笑顔で「ありがとう…」と答えたと思う。今考えれば、それだけで嬉しかった。

その後すぐ、お兄ちゃんの方がこう言った。

「違うよ!!!」

あぁ…違うんだ…。と、一瞬少し凹んだ。

そうだよね。

だってお姉さんは、店員さんだもん。
お料理運ぶの、当たり前だよね。

そう納得しかけた。

お兄ちゃんはこう続けた。

「お姉ちゃんは、いつも頑張ってるもんね!!」

頭が一瞬真っ白になった。

私が、頑張ってる?

ただ、仕事してるだけなのに?

ただ、料理運んでるだけなのに?

そもそもあなた達、そんなにここ来たことないのに、どうしてそう思うの?

本当に分からなかった。

分からないのに、涙が出そうになった。

「ありがとうございます」と早口で言って、そそくさと裏に入った。

深呼吸して、涙を堪えた。

誰かから見たら、私も頑張ってる様に見えるんだ。

あぁ、私、頑張れない最低クズ人間って訳じゃないのかな。

私、褒められてもいいのかな。

その日のシフトを頑張って勤め上げた後、美味しいアイスを買って食べながら帰った。

家に帰って1人になると、やっぱり涙が止まらなかった。さっきと違い、ちゃんと嬉しいな、って気持ちの涙が沢山溢れていた。

その出来事が嬉しくって、私はスマホのカレンダーに「誰かに中身を褒めてもらった記念日」と登録した。

毎年、その通知が来ると嬉しくなる。

お金が無くても、スタバを買ってみたり、ちょっと好きな物食べたり。

親や親戚や友達、先生が褒めてくれたことは、それ以前にも何度かあった。

でも、それらは「○○ができる自分」に対しての褒め言葉だった。褒め言葉って、本来はそういうものだし、何も間違ってはいないと思うのだけれど。

小さい頃から欲しくても得られなかったものを、こんな偶然に、突然知らない人から貰えることがあるなんて思わなかった。

「頑張っている自分を、初めて褒めてもらえた。」

それは今でも私の中の小さな誇りだ。

ありがとう、名前も知らないちびっ子兄弟。

あの後お店で見かけることも多分なかったけど。

私もあんまり顔覚えてないけど。

でもずっと、この言葉を大切にしていきます。

ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?