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細い指

洗面所と脱衣室が工事中だから、洗濯機をガレージに置いて洗濯している。
工事業者からそれを提案された時には、そんなことできる訳ないと思っていたのに、外に置いた洗濯機を使うのは、なんだかそういう国の人になったみたいで思いの外愉しい。ご近所の方は、玄関からガレージへ洗濯物を運ぶわたしや、白いホースの伸びたガレージスペースを不審に思っているのか知ら。いや、きっとたいして気にも留めていないだろう。今朝も洗濯カゴを持って玄関先を行き来した。

洗面台を替えるのが、今回のリフォームの一番の目的だったろうか。父が車椅子に座ったまま使える、洗面ボウルの下の空間が空いた洗面台がもうじき据え付けられる。古い洗面台は工事初日に取り外されてしまって、父の洗面や歯磨きは今とても手間がかかる。台所のシンクで大きな四角い洗面器に水を汲み、父のもとへ運ぶ。これで手を洗って、と差し出して、ハンドソープやタオルを供するけれど、父は戸惑い気味だ。その手を取って、結局はわたしが洗面器の中で洗うことになる。

非日常の日常は、見過ごしているさまざまなことに目を向けさせる。父の手を取って洗いながら、その指の存外に白く、か細いことに気づく。あんなに大きく厚かった父の手。時はこんなものをも、波が砂を撫でるように削っていく。


お風呂も新しくなる。
黒いタイルの、天井の高い、あのお風呂はもう消えてしまった。小さな箱のような、きれいで暖かく手入れの簡単な、真新しいお風呂が間もなく出来上がる。

黒タイルのお風呂は、祖父がこの家を建てた時からのものだ。窓枠や天井は檜で、できた当初はいい香りであったに違いない。長く時を経たいまも、私は黒い空間に立ち昇る湯気を眺めながらぼんやりするのが好きだった。高い天井にお月さんのように滲んで見える照明を飽かず眺めた。ただ冬は寒く、段差だらけだから、これからの母のことを考えて替えることにしたのだ。浴槽もなかり傷んでいた。そうこれでよかった。こう自分に言い聞かせる。それでも、便利で安全、がこんなにもさみしいとは思っていなかった。今はまだ古き良き、への感傷から抜け出せずにいる。

足早な桜は、曇天にはらはらと散る。もう躑躅が蕾をつけ、ふわふわとした欅の芽も見る間に濃くなっていく。
消えていくものへの悲しみ。時が経つことへの悲しみ。そんなものもまた、時という波が浜を洗うように少しずつ削りとり淡くなって、やがて消えていくのだろうか。
大工さんに頼んで、浴室の黒いタイルを数枚残してもらった。その静かな重みを、胸の空白と天秤にかける。






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