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生きづらさを愛と光へ!NO.19 『経験は宝』『武器は走りながら拾え』『出逢い』『感謝』『ありがとう』『幸せ』


今、思いつくままに、今日の思いを、今日のnoteのテーマにしてみました。

今日は、うちの娘は今中学2年生で、在校生の立場ではあるのですが、お世話になったり、仲良く話したことがある先輩の卒業をお見送りしたいという気持ちのようですが、昨日の卒業式の予行練習から、今日の卒業式、そして数日前も登校ができた娘です。

いやいや、私ならそんなに休んだら、まず学校へ行く勇気がありません。

しかし娘は違っていて、休む休まないを自分で決めているのです。
それに加え、今のクラスのみんながとても温かく接してくれて、10日ぶりに学校へ行ったとしても、何事もなかったように、普通に話しかけ、接してくれるそうです。

初めは吃音症状があるので、授業で発表がある日は休むといった感じだったのですが、いつの間にか、自分で休む休まないを決めるようになりました。

それには、ある方の助言もあったり、本で学んだりして、自分で決めさせる歳であることがわかり、本人に伝えたのもあります。

学校が好きで、いや、そんなに好きではなくても、行かなきゃ、行きたくないけど、行くか!と行くことができれば問題は生まれないのですが、それができない子どもさんも沢山いるのです。
まあ、そのうちの1人がうちの娘なのですが。

私も長い間、生きづらさを抱え、生きてきました。

抱えた原因も、結局は、心にあったと今なら思うことができます。

私が10歳の時、母が44歳でしたがその時、母は乳がんが転移して、病院に再び入院することになりました。
その時、母は確かに私に言いました。
他の姉弟が聞いていたかは、わかりませんが、今度はもう家には帰れないかもしれない…

その通りに、私が大好きだった母は、44歳でこの世を去りました。

その事がショックすぎて、心のケアを誰かがするわけでもなく、立ち直ることができずにそのまま大人になりました。

結局、私の生きづらさであった、腹鳴恐怖症は、思春期で多感な時期に、それほどのショックな出来事があり、そして、あれもダメ、これもダメと、言われ続けて育った子どもの頃に原因がありました。

生きづらさを抱えた原因は、育った環境にあったと今の私は言い切ることができます。
そんな時、学校で鳴ったお腹の音に異常に囚われてしまい、自分だけ何でなんだと自分と闘い続けていました。
それに加えて、親の遺伝的要因や、自分自身の気質というものも大きかったと思います。

一昨年の12月、東京で30年働いてきた弟が、長崎にUターンしてくると聞いた時は流石に、かなり驚きましたが、その当時の想いを今振り返ると、かなり嬉しかったのだと思います。

弟は、東京にいた時、お正月、ゴールデンウィーク、お盆とほとんどが長崎に帰省していました。

その度に、うちにも泊まったり、バーベキューや飲み会をしたり、悩みをいつも聞いてもらったり、温泉へ行ったり、食事をしたりと、姉弟仲は良かったですし、うちの息子や娘が生まれた時もみんな赤ちゃんの時は、抱っこしています。
それから色々と家族とも関わってきました。

子どもたちも今では大きくなりましたが、弟には、私の悩みや相談を長年聞いてもらっていました。

弟は私からするととても行動力があります。
初めからそうだったのではないですが、やはり、東京で過ごした30年で培ったのだと、今振り返り感じています。

弟は、私の悩みを聴きつつ、ここに行ってみようとか、こうしたい、というこんな私の想いを叶えようとしてくれてたと思います。

そう過ごしてきた今までの月日が、弟が心理カウンセラーの道に進もうと思ったキッカケにもなったようです。

私も、自分の子どもの頃のことは本当につい3年前までは嫌いで思い出したくもない、そんな感じでしたが、奇跡的に私のことを本当の意味で理解してくださる先生と出逢うことができて、今の私がいますし、子どもの頃のことも、サラッと言えるようになりました。

奇跡的な出逢いだった先生とも、初めはLINEで繋がることでさえ、とても勇気がいりました。
正直、それまではネット上で怪しいものも沢山見てきたからなのですが、しかし私が出逢った先生は本物でした。

そんな時も弟は背中を押してくれましたし、弟は常に前を向いて生きています。

うちの娘があまり学校へ行けなくなって初めの頃、弟の心理学仲間である、素敵な心理カウンセラーの1人の女性の方に、Zoomで繋いでもらったのですが、その時は、私もまだまだ、娘のことは本当の意味で分かっていなかったのだと今なら思います。

学校に行かせたい!
部活を辞めてほしくない!この想いが強かったのだと思います。

それからしばらく間が空いたのですが、ある事で、福岡の方で集まるキッカケがありました。
その時に、その後の娘の話を色々したのですが、その素敵な女性の心理カウンセラーの方から、不登校の子どもさんを持つ、お母さん、お父さんのコミュニティを〇〇さんと一緒に作りたいというお話をいただきました。

正直その時は、凄いことになってきた、という少し前向きな気持ちと、私にできるのかな?という想いが湧いてきました。

素敵な女性の心理カウンセラーの方なのですが、色んなことを沢山学ばれていて、知識も豊富、気が利くし、頭もキレッキレで、凄く良い人だったよ!と、その日そのカウンセラーの方に会うことができなかった娘に、興奮気味に話したのを今思い出しました。

そのコミュニティですが、いよいよ明日オープン予定です。

見えないものが形になる、形になるまで人って信用しないものですよね、なかなかそうだと思います。

しかし、弟もそうですが、他の心理カウンセラーの方を見ていても、意思が強くしっかりとした考えを持ち、行動している、ないものを作る、未来を作る、そんな素敵なコミュニティに、今の私が、無理なく、今できる範囲のできることをやりながら、参加できることを、夢のようで、今からしっかりと考えながら、諦めずに、学び、前に進んでいく、そんな今日の、中学校の卒業の日に、晴々とした私の気持ちです。

長い間生きづらさを抱えてきたこそできた経験、「経験は宝」ここまで思えるのに、どれだけ月日がかかったのでしょう。
「経験は宝」この言葉は決して軽いものではありませんが、私は生きづらさを抱えて生きてきて、まさかこの生きづらさが活かさせれる時が来るとは思いませんでした。

「経験は宝」という立派な色紙をカウンセラーの先生にいただき、私の人生が報われた気持ちになりましたし、このお言葉はとても重みのあるお言葉です。

まだまだやるべきこと、学ぶことは沢山ありますが、以前、弟からもらった本が、「武器は走りながら拾え」まさにその言葉通りです。

「出逢い」と簡単に言ってましたが、改めて「出逢い」で人は変わると、実感できたのは、もしかしたら、学校に行けない子どもさんが行く教室の先生との出逢いがあったからなのかもしれません。

学校を通して教えていただき、娘をその教室の見学に連れて行った時のこと、その前に母親の私は一度、教室の様子を見に行ったのですが…

先生は、60過ぎの男性の先生だったのですが、今までに出逢ったことがないタイプの先生でした。

話し方もとても優しくて、一人一人の子どもさんの存在を尊重されていて、いいよ、いいよ、ここでは好きなようにしていいから、ということを仰ってましたが、そんなことなかなか言えることではないですし、そうだよね、先生も寝てたいもん、本当はね、なんて楽しく話をしてくださり、先生の経験談なども聞いて、娘は何となく、このまんまで良いし、でも、自分はこれからどうしていくのか、そこで考え感じ取れたんだと思います。

それから急に、と言ってもまた学校は休んだりしましたが、割と前のように、普通に学校に行ったりして、親の私は、普通に行けるじゃん!と思ったりしました。

「感謝」今の私があるのは、良くも悪くも、今までの人生で出逢った方々のおかげです。
今まで出逢った皆様に感謝しています。

「ありがとう」そんな方々に、ありがとうと笑顔で言える今日。

「幸せ」これが本当に心が喜ぶ、「幸せ」というものか、やっと、こと歳になって「幸せ」と心から感じることができる。

明日のオープンに向けて、ハラハラドキドキの今日の気持ちです。



今日も最後までお読みいただき、心よりありがとうございます^ ^




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