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フリーランスという立場でみる『魔女の宅急便』


昨日はPMSと低気圧という最悪の状況が重なってしまい、1日のほとんどをベッドの上で過ごすことになった。起き上がったのは息子の世話をするときだけ。

そんな状態だったから、テレビのある部屋に布団を敷いて、息子と一緒に『魔女の宅急便』を視聴した。一気に観ると目によくないので、CMのたびに休憩しながら。息子はキキに夢中になり、私はキキの両親の気持ちになって泣いた(『となりのトトロ』でもずっと泣いてるし、ジブリ作品は親になるとやばい)。

アニメ映画『魔女の宅急便』が後悔されたのは1989年。私の生まれる前のことだ。しかし私は子どもの頃からこの作品が大好きだったし、自分が子どもの頃に観ていたものを、自分の子どもと一緒に観ているのが不思議だった。

で、現在の「フリーランス」という形で仕事をしている立場で本作品をみると、なかなかに深いな、と思う点が多かったので、ここに記したいと思う。

キキは「魔女としての修行」のため、13歳から1年間、独り立ちして知らない町で暮らすことになる。それが魔女の血を引く者のしきたりなのだ。冒頭、故郷を旅立ったキキは、先輩の魔女と出会う(この先輩魔女さんが、ツンとしててとてもかわいい)。

© 1989 Eiko Kadono/Hayao Miyazaki/Studio Ghibli, N

キキが彼女に「修行、どうですか?」と尋ねると先輩は「あたし、占いができるので」と答える。先輩は得意スキルを活かし、生計を立てているそうなのだ。今まで「独り立ち」というものに憧れていただけのキキは、ここではじめて「自分の得意分野って、なんだろう……?」と考え始める。

やがて海の見える街で配達の仕事を始めたキキ。自分の特技は「飛ぶこと」だったので、飛行スキルを武器に仕事を始めたのだ。下宿先のグーチョキパン店ではまかないが出るものの、配達の仕事は完全歩合制である。

なんとか仕事をこなしつつあるキキだったが、やがてスランプに陥り、飛べなくなってしまう。今まで飛び方なんて考えたことなかったのに……。どうすればいいのか途方に暮れるキキの元へ、ひょんなことで知り合いになった女性・ウルスラがやってくる。

© 1989 Eiko Kadono/Hayao Miyazaki/Studio Ghibli, N

ウルスラは画家で、夏のあいだはアトリエに籠って絵を描き続けていた。スランプに陥るキキに、彼女は「そういうときはあがく。描いて描いて、描きまくる」とアドバイスする。そして、それでもだめなら、散歩をしたりしてそこから離れることを勧めてくれるのだった。

この一連のキキの気づきともがき、そして成長が、フリーランスとして仕事をしている自分にはものすごく刺さった。私たちは働く限り、常に「自分の得意なこと」を模索する運命にある。物を書くのが嫌になることも、昨日までどうやって書いていたのかわからなくなることだってあるのだ。

でもそのたびに、もがき、時にはそこから離れながら、成長を続けていくしかないのかもしれない。

幸運なことに私はこの仕事を始めてから、一度も「やめたい」と思ったことがない。でも何度も「このままでいいのだろうか」「今は書けない」と苦しんだことはある。そのたび、誰かに助けを借りたり、自分でもがいたりしてなんとかやってきた。キキもきっとそうだ。

物語のラスト、キキは大切な友人・トンボを救うために飛行する。飛べないかもしれないという恐怖と戦いながら、それでも、自分を信じて、飛ぶのだ。キキには「飛ぶ」という唯一無二の武器があるのだから。

クライマックスのシーン、息子が画面に身を乗り出して「キキ!がんばれ!がんばれ!」と応援していた。がんばれキキ。がんばれ、私たち。

(Day.16)

▽執筆しました ”『魔女の宅急便』キキはママになっていた! アニメ勢が知らない「その後」”▽

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