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「おいしい記憶」〜富山県産ホタルイカと、私〜

※この文章は、読売新聞・中央公論新社・キッコーマンの協賛である『おいしい記憶』エッセイコンテスト用に6月に執筆したものです。

ホタルイカが、嫌いだった。

地元富山では特産物。毎年春には酢味噌で和えられ、当たり前のように食卓に登場した。食感はぐにゃぐにゃ、中身が生臭く、そもそもイカの形そのままで食卓に出てくるのが気味が悪い。小さな宇宙人を食べろと言われているようで、私は正直嫌だった。

母方の祖父母の家は、港町の海岸からすぐそばにある。私は幼い頃からその小さな街が好きだった。春には蜃気楼が見られるという海岸通りを、祖母と何度も歩いた。祖母の実家は地元で大きな網元の家だったそうだ。そのご縁あって、夏のお祭りの夜には特別にイカ釣り漁船に乗せてもらい、海の上から花火を眺めたことが幾度かあった。人で賑わい蒸すような暑さの浜から、船はどんどん離れていく。沖では潮風に吹かれ波に揺られ、私は疲れも忘れて興奮していた。夜の海は暗くて怖くて、でも幼心に面白かった。港では祖母と母が手を振って待っていた。あのときの花火の美しさと、潮の香りはいつまでも忘れない。

ホタルイカが、好きになった。

故郷を離れてからのことだ。私は都内の大学に進学し、お酒も飲める年になり、居酒屋でアルバイトをしていた。ある年の春先、お品書きに『富山県産ホタルイカ』が出てきた。アルバイト仲間の皆が口々に「美味しいよね」「故郷の味だなんて羨ましい」と言ってくれた。私は全然好きでは無いのだけど‥。まかないの時間に、一口だけ頂いた。あれっ?なんだか美味しい気がする‥ビールなんかと合うのかも…。長年毛嫌いしてたのに、拍子抜けしてしまった。自分が少し大人に思えて、故郷を少し誇りに思い直した瞬間だった。

祖母が亡くなったのは2年前の梅雨だった。

私は結婚して、東京に近い海の無い県に住んでいる。三人目の子が生まれた数ヶ月後の、急な出来事だった。あんなに元気な人が…と皆が信じられずにいた。葬儀の帰り道にわざと海岸通りを車で走った。まだ何処かその辺りから、祖母が散歩しながら出てきそうな気がしたから。曇り空の漁港にイカ釣り漁船が何隻も停まっていた。私は泣きながら海の向こうを眺めていた。

今年の春は予想もつかぬ世の中となり、連休は帰省できなかった。外出自粛の中、近所のスーパーに買い物へ行った。数ある商品の中から、私の目に入ったのは『富山県産ホタルイカ』
母直伝の酢味噌和えではなく、スマホで自分好みのレシピを探す。春野菜とあわせてアヒージョを作った。口に入れると潮の香りが広がった。全く別の場所で、全く別の料理だけど、故郷の味。港町を、祖母を思い出させた。


今年ももう6月、祖母の命日が近づく。夏こそ故郷に帰れたらと願う。
ホタルイカの旬は、少し過ぎたけど。

あの大好きな港町に、潮の香りを感じに。

そして、大好きな祖母の仏前に、手を合わせに。

三人の子供達にも、海を見せてあげよう。

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