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私小説「そこには本があって」

生まれたときから当たり前にそこにあった。そこには文字がたくさんたくさん連ねてあって、数多くの考えるべきこと、美しいこと、おぞましいこと、為すすべない物事が記されていた。それは私のおもちゃだった。そして当たり前に紙と鉛筆があった。少し大きくなるとワープロを与えられた。私は文字の連なりが持つべき意味に潜り込み(それは寒さをしのぐ家畜が藁の山を求めるのに似ていた)、思う存分に世界を泳ぎ、渡り、時に溺れ、それが、そう言うことが面白かった。面白かったから、自分でも文字を綴る子どもになった。それは私のおもちゃだった。私はたくさんの考えるべきことの前で、仮に、と定義して、自分の脳に鞭打った。"命題がある。解釈せよ"。そういう子どもになった。文字の連なりは、私にとって世の中そのものだった。石だったり布だったり鉄だったりゴムだったり砂だったりするものから出来る世界は、私には馴染まなかった。文字列は私に空想することを働かせた、ほとんど強制的に支配した。私はそんなように生きた。結果として、誰とも話せなくなった。

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