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私が日中貿易商社から放送作家に転職した理由

プロフィールにもざっくり書いてるのですが、私の略歴は
▼日本大学国際関係学部卒業
▼北京大学留学(半年)
▼上海復旦大学留学(半年)
▼対中貿易商社営業(5年)
▼放送作家(10年)
こんな感じです。

留学を経て中国文化にどハマりした私は、就職活動の際に何かしら中国語を使える職場がいいなぁと考えていくつかの会社で面接を受け、内定も何社か頂いたのですが、私が選んだのは対中貿易で長年の実績がある商社でした。

決め手となったのは役員面接。中国語での自己紹介があったのですが、ここで「その程度の語学力では現場で通用しない」とキッパリ言われたんです。私は就活中の採用面接では自己アピールで常に中国語喋れます!とかまして中国語で自己紹介する流れが必勝パターンであり、たいていどこの会社でもこれがウケてトントン拍子で最終面接まで進めたんですが、初めてダメ出しされたのが新鮮だったんです。ただ、当時私は大学の中国語スピーチコンテストでも何回か優勝したりして、そこそこ調子に乗っていたので内心このおじさん達そんなにしゃべれるんか?ぐらいに思ってたんですが、恐ろしい事にその時面接した人も含めて、この会社はネイティブレベルの中国語を話せる人がゴロゴロいて、中国人社員も多かったんですが、彼らも半端なく日本語が上手い。まさに井の中の蛙だったことに気付かされたのでした。

私は営業職でしたが、中国のクライアントとのやりとりはもちろん中国語。ビジネスになるとここまで中国語が通用しないもんか!と毎日頭を悩ませていたものです。実は当時の直属の上司が現在社長になっているのですが、鬼のように仕事ができて鬼のように厳しい人だったので胃がキリキリする毎日でしたが、あの時鍛えてもらったおかげで、社会人としての最低限の礼儀や社交スキルの基礎はできた気がするので今となっては感謝しています。

そんな環境で5年過ごすと、果たしてこの仕事は天職なんだろうか?という疑問が湧いてきて自問自答の日々。私は中国に機械工具を販売する業務だったのですが、その工具を使って作られた自動車やエアコンを使っているお客さんの笑顔までは想像できなかったのです。

そんな中、あるドキュメンタリー番組で放送作家の高須光聖さんの特集をしていました。そこでお話しされていたのは「笑顔をたくさん見れる現場」ということ。なんとなく大変そうだけど楽しそうだなぁ〜ぐらいに見ていたのですが、最後に今後どんな展望を持っているか?という質問に高須さんは「日本の笑いのフォーマットを海外に出したい」と回答したのです。その言葉で私は稲妻が走ったような衝撃を受けて、まさにそんな仕事が自分の天分のように感じてしまったのです。

中国文化が好きで中国語を学んで、対中貿易商社に勤めた。そして、もともとテレビっ子でバラエティ番組ばかり見て育ってきた。そんな自分が日本のエンターテイメントを中国に輸出する・・そんな仕事を近い将来やれたら人生どんなに楽しいだろう?私はその日に退職を決意しました。引き継ぎ期間はおよそ3ヶ月、会社のみんなから何度も歓送会を開いてもらい、快く送り出してもらいましたし、今でも同僚の皆さんとは仲良くさせてもらっています。

当時の同僚からの素敵なプレゼント

そして今、放送作家まもなく11年目・・その時の夢はまだ叶えられていませんが、中国のバラエティ番組の企画制作の経験もできたし、中国版ニコニコ動画とも言われるbilibiliのエンタメイベントの構成にも携わることができた。今も、中国の最新トレンド情報を楽しく紹介するYoutubeチャンネルの制作をお手伝いさせてもらっています。そしてこうして毎日投稿しているnoteも夢の実現への一歩。危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。踏み出せばその一足がみちとなり、その一足が道となる。ここに来て猪木さんの言葉が沁みてきます。

中国とは関係ないですが、別の形でかなった夢もあります(笑) 人生観を変えた漫画「刃牙」の作者、板垣恵介先生を取材させていただいた時の一枚

迷わず行けよ 行けば分かるさ!ということで10年後何をしてるやらわかりませんが、とりあえず行きます!

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