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書くこと≒パズル?料理?

私は文章を書くのが苦手だ。
 

なので、まず書きたいことが頭に浮かんだら、テーマに沿ったキーワードやエピソードを箇条書きし、その後起承転結を考え、空いている穴を埋めていく。
 
その手法は記者時代から変わっていない。周りにいた先輩や同僚も穴あき原稿を横目でみながらおそらく笑っていたと思う。
 

言葉の穴埋め作業は、まるでパズルのピースを埋めていくのと一緒だ。途中からはもはや謎解きの世界。
 

なので、最後のピースを当てはめたときの達成感は格別だ。
 

「書くことはパズルと同じだ」という感覚は自分だけなのかと思っていたが、「書くこと」「パズル」で検索してみたら、同じように思われているライターさんが結構いた。といっても、私のように言葉がみつからないから穴をあけているというわけではないと思うが。
 

文章力は気にしない?


 記事を読んでもらうためには当然中身が重要だ。
 

記者をしていた時は、取材した情報の希少性に加え、その情報をどう簡潔にわかりやすく伝えるかが一番で、「読ませる文章」よりも「読みやすい文章」が最優先だった。
 

とはいえ、企画などの特集記事は、内容はもちろん、読ませる文章でなければならない。
 

結局は 中身>文章力?


 新聞の世界でも「ネタをとってくるスクープ記者」と「人を唸らせるような名文を書くコラムニスト」タイプに分かれる。もちろん、両方を兼ね備えている記者もいるし、その逆もしかりだ。
 

書くことはネタを調理することでもある。
 

材料>包丁さばき? 


美味しいネタ(高級食材)を盛り込む一品かシンプルな食材か。前者は文章力(調理技術)が乏しくてもある程度アピールはできる。一方、シンプルな食材、例えば大根の場合は華麗な包丁さばきで美しい桂むきにすることができる半面、技術がない場合は大根おろしがよいところかもしれない。
 

新聞社にいた時に、先輩で誰もが認める文章の達人がいた。起承転結などの構成を考えずとも、最初から最後まで頭の中で流れるように文章が書ける。そんな才能のない私は、いつもエディター(編集者)に申し訳ない気持ちで記事を提出していた。
 

私のひどい原稿を編集しなければならなかったエディターの労力はいかばかりなものか。今更ながらお詫びしたい。

https://twitter.com/ATF_TOKYO
 

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