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習い事という投資に対するリターン

私は子供のころ習い事をいくつもかけ持ちしていた。


ピアノ、習字、お絵描き、水泳、バレエ、そろばん、塾
――思い出せる限りでもこれだけある。

昨今の小学生にとっては、複数の習い事をかけ持ちするのは珍しいことではないだろう。学校帰りにほぼ毎日塾に通う子供も多いのではないか。 

私の子供時代は、放課後は遊びが優先という小学生がまだ多かったと思う。

私はと言えば、「教育は子供に残せる最大の財産」という発想で、両親は、金銭的に家計を切り詰めてでも、子供の教育費は惜しまなかった

母親が、自分の子供の時に諸事情で、お稽古ごとを辞めさせられたことが忘れられず、「子供には、絶対に(自分がやりたかった)習い事をさせる」と誓っていたらしい、

そんな親心も知らず、私はこうした習い事が嫌いだった。バレエのレッスンの前には仮病を使い始め、ピアノは泣きながら通ったこともあった。


これらの習い事から身についたことはほとんどない。

絵心はないし、ピアノはもう何十年も弾いていないため、音符の読み方すら忘れてしまった。

泳ぎも犬かきのようなフォームだし、習字をやっていました、と言うのもはばかられるほど、字が汚い。

唯一、そろばんだけは、珠算2級をとり、今でも、飲み会の際の会計時に単純計算(5桁未満限定)を披露することで、その効力が発揮される。


よって、それらの習い事に費やした投資に対するリターンは極めてゼロというか、マイナスといって良いだろう。


もちろん、親も将来の「還元」を期待して「投資」していたわけではない。純粋に子供に良い人生を送ってほしいとの願いから、安くない月謝も払っていたわけだ。


それでも、それらの習い事は、全く無駄ではなかったのかも?という瞬間がある。子供時代は強制されて通っていたという感じだったが、今はもう一度ピアノを弾いてみたい、とか、絵を描いてみたい、という欲求も生まれてきた。
 
美術館に行けば、ゆっくりと名画を鑑賞し、クラシック音楽も懐かしみながら聴くこともある。


好奇心旺盛な性格も、子供時代に嫌々ながらも通っていた広範囲の習い事からやって来ている
のではないか、とも思えてくる。

昨今、リスキリングやリカレント教育といった言葉も頻繁に目にする。社会や環境の変化に合わせ、知識やスキルを学び直したりすることで、ITスキルなどを思い浮かべる人が多いと思うが、「生涯学習」という観点から、様々なことに再チャレンジしてみるのも、良いかもしれない。

今回こそは、心から楽しんで学べると良いな、と期待は膨らむ。
 
https://twitter.com/ATF_TOKYO

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