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仕事をサボるのは悪なのか

インドや東南アジアの人と働いていると、「サボり」や「怠け」というものに直面することが多い。日本や先進国では、そのような人はダメな人という烙印がつくことも多いが、途上国にいるとそれが当然のように行われている。なぜ彼らはサボったり、怠けるのか。調べていくうちに、おもしろいことが見えてきた。

物を作ったり問題の解決は中緯度地方出身の人が最も得意とし、勤勉性や生産性などの現在の善の基準は中緯度地方の人が作ったもの。一方で低緯度地方は自然が豊かなこともあり、心の緊張もほぐれ労働意欲も削がれがちだが、動かずして人生を豊かにするのが善という思想観がある。

地理学や気候学には、自分が生まれ育った地理的環境で、「中緯度的思考」「低緯度的思考」というものがあるらしく、それによって善や悪の思考の基準が形成されるという。緯度というのは地球儀上の緯度のことで、大きく高緯度、中緯度、低緯度の3つに分類される。例えば、南極や北極圏などは高緯度、日本やヨーロッパ諸国の多くは中緯度、赤道に近い東南アジア諸国は低緯度に分類される。そして、自分が生まれ育った場所がどれに所属するかで、思想観・価値観への影響が出てくるという。

また、歴史を辿ってみると、地理的・環境的要因を背景に、仏教やヒンドゥー教などの善・悪やそれに沿う慣習も決まっていることも多いそうだ。例えば、瞑想などが生まれた背景は、外が暑すぎて動き回りたくないため、動かずして知識の獲得を目指そうとした結果が瞑想という行為に繋がったという説もあるとのこと。確かに、インドにいると、外にも出たくない、夜も暑くて眠れない、何もしたくないといった気持ちも出てくるのは頷ける。

こういった背景もあり、例えばタイでは、真面目な努力家よりも、ズルをしてでも楽に成果をあげる方が「賢い」と見なされるといった価値観がある。「サドゥアック(簡便)」「サバーイ(快適)」「サヌーク(愉快)」というタイ人の気質を表す「3つのS」があり、それが何よりも優先され、「勤勉」や「努力」は二の次、三の次とのことだ。つまり、"サボること"や"怠けること"は、彼らにとっての善という価値観としてあり、生活に根付いているのだ。

これらの思想観を理解せずに、自分たちは彼らと接している。知らないことはまだしょうがないが、彼らへの向き合い方が無意識に軽蔑的になっていることも多いように感じる。東南アジアやインドの人たちを「サボってばかりで働かないし、本当にダメ」という言葉をよく聞くというのがその例だ。「日本人は勤勉で真面目だし、本当に進んだ国で凄い」と彼らは褒めてくれることがメチャクチャ多いにも関わらずだ。彼らは自分たちに寄り添っているのに、自分たちは彼らに寄り添わないというのは悲しいことだ。とりあえず、思想観の理解や、自分の持つ思想観を見つめ直すって大事だなぁと改めて思った。