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コードギアスVol.31「せめて哀しみとともに」

「せめて哀しみとともに」

今回の名言はセリフではなく、第23話のタイトルです。

「日本人を殺せ」というルルーシュの暴走ギアスにかかってしまったユーフェミアは、返り血を浴びながら自ら銃を乱射し、日本人を殺していた。その第22話は「血染めのユフィ」というタイトルなんですが、『コードギアス』を観る上で、この第22話と第23話は覚悟なしには観られません。この2話こそが、『コードギアス』において一番の転換点であり、ルルーシュにとって欠くことのできない残酷な現実だからです。

それでは、今回分の、物語と名言をお送りします。

物語と名言

「私、ユーフェミア=リ=ブリタニアの名の元に命じさせて頂きます。日本人を名乗る人々は、すべて殺してください。一人たりとも残してはなりません」

衝撃的な言葉から始まった23話。「ユーフェミアは我々を裏切った!」というゼロの言葉は黒の騎士団を動かし、ユフィの暴虐はカレンを始め、日本人の気持ちを逆なでするのに、これ以上のことはないでしょう。副司令の扇も、怒りの表情をあらわにして、「許せない!皆の気持ちを踏みにじって・・・!ユーフェミア!」というが、この場合の「皆」とは、どうせ千草のことだろう。

そして、カレンはナイトメアに乗って虐殺を続けていたユーフェミアに遭遇する。始末しようとするカレンだったが、そこに「待て!彼女は私が・・・」とゼロが現れる。簡単にナイトメアを破壊して、外に出るユフィ。
「捕虜にしますか?」と言うカレンに対し、「無駄だ。もう・・・」と、ゼロは力なく言う。

「皆殺しです」

と狂ったように言うユフィは、落ちていた銃でナイトメアを撃つが、効くわけはない。ゼロもナイトメアを降りてユフィに近づくと、
「あら、日本人かと思っちゃった。考えたんだけど、一緒に行政特区日本の宣言を・・・あれ?日本?」
「あぁ。できればそうしたかった。君とともに。」そう言い銃を構えるゼロ。ユフィを探すスザクは、ついにユフィを見つけたが、その瞬間、ユフィはゼロに撃たれてしまう。

「え?どうして・・・?ルルーシュ・・・」

と呟きながら倒れるユフィに

「さよなら。ユフィ。多分、初恋だった・・・」

静けさを包む二人に対し、激情したスザクはガウェインと紅蓮の妨害をいなしながら、ユフィを捕まえ、上空のアヴァロンへと連れて行く。

名言の意味

前回の「それが、せめてもの!」という名言にも似ていて通じるものがありますが、何と言っても、「せめて哀しみとともに」と言う表現がたまらなく素敵だなと思います。また、「哀しみ」という表現をしていますが、「悲しみ」とは何が違うのでしょうか?

「悲しい」:心に非ずと書きますが、「非」とは左右に別れるという意味があり、自分の心が引きちぎられて、自分の内面の苦しみを意味する。
「哀しい」:口が衣をまといフタをすると書きますが、同情であったり他者の悲しみに対して、自分も悲しい、憐れむと言う、外面の悲しみを意味する。

このような違いがあるそうです。

暴走したギアスのせいとはいえ、自分のせいでユフィををとんでもないことに巻き込んでしまいました。もう取り返しはつかず、どうしようも無い状況に、ルルーシュはやるしかなくなります。既に前回にも述べましたが、逃げるわけでも、悔やんで償う為だけに生きるのでもなく、この現実を受け入れて、悪くいえば踏み台にして、起きてしまったからには無駄にしない、最大限利用する。その為にルルーシュは覚悟を決めます。自らの手でユフィを撃ち、完全に引き戻せない状況に追い込んだのです。

何かを成す時、時にはすべてを掛けるようなことも必要になったり、覚悟を決めなければなりません。逆にいえば、覚悟を決めるためには相応の出来事が起こるものです。それは、ギアスが暴走したように、偶発的に思えることでも、必然的に起こったりします。自分の物語に必要なこととして起こったからこそ、受け入れて覚悟を決めないと展開は進みません。

覚悟を決めてから、主人公としての物語が始まる

人生において、向き合わざるを得ない出来事はいくつもあります。それは、偶然に起こったように見えても、実は自分自身が何かを成し得る為に引き起こしたことだったりするものです。偶然だとしても、物語では、主人公の前には理不尽にも事件が起き、巻き込まれて始まるものです。

主人公として物語の扉を開きたいなら、目の前の現実を受け入れて、覚悟を決めることです。それが、物語が始まるきっかけとなり、神話の法則が発動することになるのです。

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