見出し画像

挨拶で感じる" YOU ARE A PART OF SOCIETY" |分断から統合した社会へ

はじめに

「おはようございます。今日もお元気ですか」

この一言を、すれ違う人やエレベーター先、職場の人たちに言いたくなる街だったら、どんなに温かく幸せに感じられるのだろうか。

仕事の連絡やSNS。
返さなければいけない返事。
キャッチアップしなければならないトレンドや最新ニュース。
商談やミーティングの準備。

そんな余裕がなくなりがちの朝に、一度、情報の交換先から目を離して

「おはよう」
「おはようございます」
と、目と目を見て言えたなら

「あなたはこの街の一員だよ」という温かい承認と
「良い一日にしようね」という愛のある励ましを得ながら、受け取った愛情をまた違う誰かに受け渡すことができる一日になるかもしれない。



1|東京の大学に通っていたころ


東京の大学に通っていたころの私は、人と挨拶を交わすということに、たくさんの勇気と恐れが混在していました。鹿児島から出てきて、都内に一人暮らし。街には洗練されたファッションの人たちが行き交い、スーツ姿の人たちが駅へと向かっていく。高い建物。モダンでお洒落なカフェ。

田舎っぽさが感じられる行動は、許容されるものではなく、寧ろ排除されるのではないかと感じ、「ちゃんとしなきゃ」という言葉と、「でも、ちゃんとできない」という言葉のなかで揺れていました。

地元にいたとき、自然にしていた「おはようございます」と言う挨拶も、次第に、「するか、しないか」を、自分がどう思われるかの視点に立って、迷って迷って迷いながら、最終的に、勇気をもって「おはようございます」というようになっていたり、

その人が下を向いていたり、挨拶をしたくなさそうでれば、自分もするのを辞めるといった、どちらにしても心臓に負担がかかるような心持ちで向き合っていました。

きっとその頃から、世間の目や社会の規範やルールに縛られる自分と、自分の心の声に従いたいけど、それを許せない自分のなかで摩擦が大きくなっていったんだと思います。

「知らない人と関わる」ということは、当時の私にとって、怖さの象徴でで、どういった反応が返ってくるか分からない、善意でした挨拶に返されなかったら恥ずかしい、とか、惨めだ、とか、そんなことを感じていました。

心と葛藤していた時期に関しては、また別の機会にまとめますね。📚

2|ヌーサでのハッピーすぎる挨拶


ですが、ヌーサに引っ越してから、挨拶についての捉え方ががらりと変わり、寧ろ私から言いたくなるくらいの心良さと満たされる気持ちを感じるようになりました。

家から10分歩くバス停に行くまで。ワンちゃんを連れた人、ランニングをしている人、工事の仕事をしている人、自転車に乗っている人。

色んな人のそれぞれの時間とすれ違うのですが、
" Good morning, how are ya ? ”
と挨拶をし、目を見て笑顔で” Have a good day "とエールを送り合う。

これだけでも、自分がこの街の一部であることを実感し、なんとも満たされる想いになります。

いつも会う人には、「おはよう~!今日も元気そうだね」とか、「なんでいつもハッピーな表情をしているの?」とか、「今日はどこに行くの~?」と、「ご近所の人」という垣根を超えてお話することもあります。

毎日会う、工事のおじちゃんは
「お~今日も元気か?気を付けていってくるんだぞ」「また明日?と言っていいんか?」と聞いてくれたりも。(笑)くすっと笑ってしまう時間。

東京にいたときは、「挨拶をしたら相手が喜ぶかな?」「挨拶しておいたほうがいいかな」という気持ちで話しかけていましたが、今では、「おはようございます☼」と、心から出るようになり、恐れや怖さではなく、人と人との無条件の繋がりに対する歓びから「ハッピーをみんなで広げてこうっ」くらいの躍る気持ちでいるようになりました。🎶

3|分断から、統合した温かい社会へ


挨拶することに抵抗や躊躇い、恐れがあった大学生のときの自分を振り返ると、あの時はコンフォートゾーンを守るのに必死で、知らない人に足を踏み入れられないように、傷つかないように、外側の世界に対して冷たい、とか、危ない、とか、避けたほうがいいものだと、ラベルを張り付けて、受け入れるのではなく、それを否定したり、排除したいと願ったり。そんな尖った気持ちを持っていました。

自分の好きな世界や、好きな人達の世界や空間、コミュニティ、価値観を大事にする。それらは、生きる喜びや満たす気持ちを与えてくれる、かけがえのないものですが、同時に、守りたい想いが強くなり、それ以外を排他したい気持ちが前に出ると、人と人との分断を招き、更に分断した社会へとつながっていく気がしています。

一見すると、中身がなくて、重要に思えないような「挨拶」ですが、一日を始める、終わるという自分のなかでの区切りと、自分の中にある温かい優しさを周りに届け、循環させるという美しい行いに繋がる気がしています。ちょっとしたことですが、知らない人に「あなたはこの街の一部だよ」という無条件の承認や「知らない人である自分を気にかけてくれている」と言う安心感が、統合した温かい社会を促進する気がします。

最初は勇気がいる挨拶だけれど、その思いやりに触れた人は、きっとその一日を晴れやかに、大事に生きるだろうし、相手の受け取り方に悲しさや寂しさを感じることがあっても、心の奥にはちゃんと伝わっていると思います。

今日もそんな思いやりを拡散させてく🎶

HAVE A BEAUTIFUL DAY
SO MUCH LOVE, 

nanaka

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?