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鬱病記_20230518(罪の正体)

たまには明るいことを書きたいと思って
思ってたら思ってるうちに時間が過ぎていた。
無理をしたなと思う。

シャワーを浴びてたら、ふいに自分の罪悪感と出会った。
随分とその正体をさがしていたのに、こういう時に向こうから
不意に訪れる。

ずっとずっと、なぜ途中で仕事がダメになってしまうのか
いつも人生でこうなってしまうのか、考えていた。

人に気を使い過ぎなのか
上手く仕事ができない(と思い込んでる)自分に耐えられなかったのか
やらかした自分へ他の人から向けられる目に耐えられなかったのか
期待を裏切ってしまったことに堪えられなかったのか

全部違った

いや、どれ一つとして違っていたわけではなくって
全てに共通しているある一つのことが全てだった。

私は過去の私と似たような誰かの希望になりたかった

だけど、もうそれができなさそうだということへの
罪の意識にずっとずっと苛まれてきたのだ。
きっとそうらしい。

今までずっと鬱という形で不意に現れていた
べっとりとしたノリのような溶けた透明のアクリルのような
マリアナ海溝についにハッキリとした輪郭が現れたのだ。

それは石膏のような乳白色の何かでできている小さな女の子と
その女の子にリードでつながれている子犬のような小動物の
像だった。

意外だと思った。
想像していたより妖精のような精霊のような
神聖な空気を醸し出している。

だが目の中に黒目はなく、本当にギリシャ時代の像のように
生気を感じさせることはない。
周りはその石膏を溶かしたような乳白色の乳液のような液体が
滝のように流れ込んでいて、だけど床は細波すらもたっていない
鏡面のようピンと張り詰めている。
抗うつ剤や精神安定剤のせいだろうか。
瞼の奥の方でそんなイメージがはっきりと浮かんできていた、
と同時に、それが私の罪であることがハッキリと実感できたのである。

意外だったのは「女の子」なのか…ということだった。
でも、確かにそうなのかもしれない。
結局、今までの自分の憧れが男性性そのものであったからだ。

思春期の辛い経験。過去の過ち。挫折。
それらを乗り越えるため密かに滾る情熱を押し隠すことができないまま
口走った大事を尻拭いもできずに、飛び出した冒険で負った痛手を
耐えきることもできずに、結局逃げて逃げて、逃げ切ることもできずに
誰かの世話になり、諦観とともに周りの空気に合わせていく。

結局は自分が悪いのに周りのせいに…してない。
悪いとは思いたくない。
ただ、自分の性に抗えない割には、それを昇華させるだけの
胆力のなさに、いつもガッカリして失望して途方に暮れるのである。

助けたかった。
自分のような誰かを。
翻って自分を救いたかった。
自分が生きている意味や役割を果たせると思ったから。

でもそれはもうムリなんだ。

学生時代、それまで全く聴くことのなかったHIPHOPをたまたま耳にして
そのlyricの言葉の力に救われた。助けてもらった。勇気を分けてもらった。
まだ生きられると思ったし、生まれ変われるとも思った。
実際、その経験を経て清濁に呑まれながら、
少しは強い自分に生まれ変われたと思う。
だからこそ、生まれ変わった後の自分の背中で言葉で
あの時の自分を助けてあげたかった。
だけど、一度目の生まれ変わりの後も、
誰かまで救える力はなかった。どころか自分自身さえままならない状況に
再び何度も幾度もう遭遇し、そのたびに徹底的に踏みにじられてきた。
私は他の誰よりも自分への期待が高かった。
私は私を失望させた誰よりも私をつま先で、踵で、捩じるように
徹底的に踏みにじった。

それに、ずっと気が付かなかった。

自分が自分を許すためには、まずはその正体を知らなければならない。
けれども、一番難しいのはその本当の正体を見つけ出すことだ。
それには心の奥の奥の奥の方の傷口の一番痛い部分に
指を突っ込まなければならない。
まぁ今回はのほほんとシャワーを浴びている最中に
向こうからポロっと落ちてきたのだけれど。

今、再び途方に暮れている。
出会えたとして、じゃあどうすればいいのか。
この自分の罪のどうしようもなさを受け入れ認めて
これからを生きてかねばならないとすると、
それは途方もなくしんどいのだ。
というか生きていけるイメージが湧かない。
この先を、一歩でも、歩いてゆけるだろうか。

情熱は、必要だった。
歩くために。ガソリンのようなエンジンのような
とにかくエネルギーでモチベーションだった。
が、ゆえに事故ってしまうと全身くまなく身を焦がしてしまう。
日本語がおかしいな。とにかく燃えちゃうのだ。
心の大やけど。

一体これから何を糧に生きていけばいいのだろう?
と疑問が浮かんだその時だった。

目の前の石膏の像がぱりぱりと破れて
なかから本当に女の子と犬のような不思議な動物が現れた。

私は乳白色の瞼の奥の世界で跪いた。

罪は優しくにこやかに、そっと近づいてくる。
そして罪にひれ伏している私の後頭部をそっと撫でたのである。

その時にやっと私は気づくことができた。
自分を許すという大きな過ちに。

自分を赦すということは自分の罪を赦すことではない
自分を赦す
ということは罪に自分を赦してもらうことなのだ

瞼の向こう側の乳白色の世界で
罪が私を赦してくれた。
そして罪は私の視界から消え去っていった。
「よく頑張ったね」と言ってくれているようだった。

とてもスピリチュアルすぎる体験で、
なんだか自分でも幻覚をみたような気分だ。
お風呂上りの気持ちよさも相まって
今自分が何を書いているのかさえ
正直わからない。

だけど、不思議と少しスッキリしている。
大きな発見をしたことと、罪から私を許してもらえたからだ。

この先、復職に向けて?いや残りの人生を歩むにつけて
今日みたいなことが再び起こせるとは限らない。
だけど、この不思議な体験は確かに在ったものとして
ここに記しておこうと思った。

髪が、生乾きだ。

今日のBGM(なんかこれダサいなぁ…)
4分33秒 / John Cage

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