菊地純平/公共R不動産/宮代町

菊地純平/公共R不動産/宮代町

最近の記事

子どもへの寛容度はまちのポテンシャルだ

いつの間にか、息子が3歳になっていた。 おかげさまで親がまいってしまうくらいには元気いっぱいに育っている。 ふと、子どもの3年でも振り返るかと思いを巡らせていたら、自分たちが住んでいるまちのことを考えた。子どもが2歳ちょっとすぎくらいのタイミングで引っ越しをして、子育てをする環境もがらっと変わった。 引っ越してきてだいぶ子育てしやすくなったというか、余裕が出てきたと思う。もちろん、子どもの成長過程にもよると思うが、なんとなく「まちの寛容度」みたいなものがそれに影響しているよ

    • 三輪自転車に憧れて

      なんだか妙に憧れているものがある。それが「三輪自転車」だ。前に二輪と荷台がついており、海外で言うカーゴバイクのようなものなのかもしれない。荷台には屋根がついていて、もちろん自転車としての機能は持ちつつ、停まると屋台のようになるやつだ。 三輪駄菓子屋すいすい川越で、知り合いの方が週に一回駄菓子屋をやっている。前に荷台がついた三輪自転車で住宅地を走り抜け、空き地や軒先に現れる”移動式の駄菓子屋”だ。 ずっと気になっていて、ようやく出店している日に行くことができた。 なんだかこ

      • 真鶴町の旅が、とにかくよかった

        4月のことなので随分前の話だが、真鶴町に家族旅行した記憶が色濃く残っている。 2泊3日の旅が充実していて、ひとつひとつの時間が暮らしのようで、とても豊かだった。ふと、自分の住んでいる宮代町にも似ている空気感があるな、と思ったりもした。それはなぜだったのか、少しだけでも言語化しておきたいと思う。 町に漂う子どもを歓迎してくれるアットホームさ2歳の息子を連れての子連れ旅はなかなか気兼ねなくいけるところは少なくて、どうしても気をつかってしまいがちなのだけど、どこに行っても子どもを

        • 2歳息子、「森のようちえん」という選択

          先週から、子どもがみやしろ森のようちえんに入園した。 年末年始に引越し、新年度を迎え、子どもにとっても環境の変化があり、肌に合わないこともあったようで、保育園不登校になった。 夫婦でかなり悩み、議論し、公開保育にも参加して、結論的には「森のようちえん」に入園することにした。 そんな中で考えたことや知ったことなんかをメモしておければと思う。 子どもにとっての環境の変化大きかったのは、引越しと年度の切り替えのダブルパンチで、 1年半通った保育園の退園、3ヶ月間の一時保育、新し

        子どもへの寛容度はまちのポテンシャルだ

          子は親を映す鏡。というちょっとした決意表明

          子どもが2歳半になった。子育てしていると、「子は親を映す鏡」ということわざは本当にそうなんだなと思う。とにかく子どもは親の真似をする。すぐ真似をする。 自我や意識が芽生えてきた頃、子どもは本当に予測できないことをたくさんするし想像の斜め上をいくことばかりだった。それはそれで楽しいので、心に余裕があるときはよいのだけど、日常生活をしていくなかではそうとばかりはいかず、「〇〇してくれ!」ということもしばしばだ。 まだ言葉もろくに通じないので「〇〇して!」と何度言っても聞かない

          子は親を映す鏡。というちょっとした決意表明

          「ホメ」による自己肯定感に助けられた話

          正直に言うと、私はなかなか自分に自信がもてない性格だ。些細なことでひどく落ち込むこともあるし、頭の中をぐるぐるしているうちにどんどんネガティブになる時期がある。 でも、最近出会った2つのコンテンツに、とっても助けられたのでシェアしたい。 (これは10年前の自分に届けたい、そんな気持ちで書いています笑) ”自己肯定感”、”自尊感情”。今となっては現代病的によく聞くが、自己肯定感の低さ、みたいなことは結構世の中に蔓延しているなと思う。 SNSで周りの人たちの華やかな面ばっかり

          「ホメ」による自己肯定感に助けられた話

          転職してよかった話。大企業から小さなチームへ。

          新年度がはじまる。出会いや別れ、異動や退職、新生活の挨拶を耳にするようになってきた。 自分も、4年前に新卒で勤めた会社から転職をした。当時まだ20代中盤、これからの人生について悩みながらも決断したけれども、その決断は結果的によかったし、今はとっても充実している。 誰かの参考になるかはわからないが、僕の転職体験談と、思うことについて書きたい。 新卒から2年ちょうどで転職建築系の大学院を修了後、UR都市機構に建築職で入社した。 公共と民間のあいだや、都市計画の発注者としての立場

          転職してよかった話。大企業から小さなチームへ。

          家を手入れしながら暮らす

          新居を構え、引っ越してから早3ヶ月が経つ。 こだわりぬいて建てた家はとっても居心地が良く快適に過ごしている。 恥ずかしながら予算の都合もあり、家の仕上げの多くを施主自らの施工をすることにした。 天井は、大工工事の最中に板材を貼る前に塗装をさせてもらった。床は、引き渡し1週間前に塗装(着色とクリアの2回塗り)。 ワークデスク・本棚・ダイニングのベンチは、自前で設計し、会社の工房にあるshopbotで切り出し、研磨、塗装(着色・クリア)をして、引越し2日後に組み立て。 引越し

          家を手入れしながら暮らす

          農村と郊外のあいだに”小さく”暮らす

          新居を設計するにあたって、自分たちらしい暮らしとはなんだろうかとコンセプトを考えた末、「農村と郊外のあいだに小さく暮らす」という考え方に至った。 住む町を選んだ理由については前回のnoteで書いてみたのだが、今回は「小さく暮らす」ということについて、書いてみたい。 「ハコモノ」の不具合今、私たちの身の回りにある公共施設は、何にせよオーバースペックで作られていて、それは高度成長期&バブル期にイニシャルコストをしっかりかけて立派に作っていたからだ。当時は人口急増社会だったため、

          農村と郊外のあいだに”小さく”暮らす

          僕らが住むまちを選んだ理由

          2022年12月に、引越しをした。 新築一戸建ての新居を構えたので当分はこのまちに住むことになる。夫婦子一人。新しい住まいを探すにあたって、自分たちがどんな暮らしをしたいか、どんなまちに住むのがいいか。ここ1、2年はリアルに悩み考えていたので、今回はその過程を書いてみることにした。 住んで都だった、お気に入りのまちここ最近の大きな環境の変化は、新居を構え引っ越したことだ。 約3年、僕らは墨田区京島の木賃アパートの2階に住んでいた。 1階に住むおじいちゃんはちょっと強面だけ

          僕らが住むまちを選んだ理由

          公共と民間のあいだから暮らしを豊かに。はじめまして、菊地純平です。

          はじめまして。 もうすぐ30歳を迎えるころ、人生、暮らしや仕事について考えることが増えてきたので、自分の考え方や興味を書き出しながら思考を巡らせたいと思い、noteをはじめてみることにします。 30歳の自己紹介もうすぐ30歳になる。いたって平凡な人生だが、かつて自分が想像していた以上に、幸せに豊かな暮らしを過ごしている。 人生100年時代、ちょうど30年ごとに区切っていくとキリがいいなと思うところもあり、振り返りつつ自己紹介。 1993年、埼玉県八潮市生まれ。建築家を志

          公共と民間のあいだから暮らしを豊かに。はじめまして、菊地純平です。