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【書く情熱】生涯ただ一冊の本を書いた人間の情熱量。

「生涯でただ一冊の本を書いた人」
司馬遼太郎「ある情熱」より。

私の夢は、そんな一冊として 
ずっと書き続けるテーマを発見すること、
それに尽きる気がします。

正直いいますと、
今は毎日ちょっとずつ
違うテーマ、ネタを書いてますが、
本当は毎日同じテーマについて
書いていくのが理想です。
だって、そのためには、
テーマが深くないといけません。
また誰もが見落としてる大事な何かを
見つけ、掘り続ける力が必要です。

さて。
「ある情熱」というエッセイで
司馬遼太郎が取り上げたのは、
幕末に活躍?した軍艦の咸臨丸の
歴史を執念さで書き残した
文倉平次郎さんです。

明治の初めに、
東京で洋服屋、テーラーに
なった青年でした。

後にアメリカ西海岸の
サンフランシスコに渡り、
テーラーを営んでいました。

そんな折、文倉氏はある日、
サンフランシスコの墓地で
偶然、咸臨丸の乗組員の二人の
お墓を見つけます。
もうほとんどが土に埋もれ、
掘り出すのに苦労したほど。

文倉さんは、ビックリです。
あの咸臨丸ですよ。
日本がアメリカに渡り、
国交を結ぶため、
福沢諭吉ら要人を運んだ
歴史的な軍艦です。

その船の乗組員で、
アメリカで死んでしまった
乗組員の最期が、
こんな有り様にされ、
ほったらかさしにされているなんて。

一民間人の文倉平次郎は
それから、テーラーを営みながら、
時間のある限り、
咸臨丸の乗組員が何人いたか?
なんて名前だったか?
妻や家族はいたのか?
日本全国を回りながら、
咸臨丸乗組員の実態を
調べていきました。

そうやって、
たった一冊の本『幕末軍艦咸臨丸』を
書くため人生を捧げていった、、、。

咸臨丸について知りたい時は
この本に当たるのがベストらしい。
と、司馬遼太郎に
思わせしめたんですから、
文倉さんはどれだけ情熱をこめて
書いたんでしょう?

サンフランシスコの
墓地の片隅に埋もれていた
乗組員二人の墓を見つけた時、
一介の洋服屋・平次郎の心に
深い使命が宿ったんでしょうね。

日米通商条約を交わすため、
日本(江戸幕府)が遣わせた
歴史にも燦然と輝く軍艦。
その乗組員が
どんな人たちで構成され、
どんな経路で日本に帰ったか? 
また、帰られなかったか?
分からないことがいっぱいなのに、
誰も記録してなかったんですね。

『幕末軍艦咸臨丸』。
最近は中公文庫から出ましたが、
今は残念ながら絶版になっています。

文倉平次郎の偉業は、
自己宣伝や経済利益はなくても、
人は本を書こうとするんだという事実、
その純粋性に、胸が痛みます。

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