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日本伝合気柔術 技法稽古に入る初学者のための基礎知識3
武士(大名及び上級武士)の心得
脱出術及び緊急時の対応技術を習得しておくこと。
例えば、
①入浴中や就寝中に襲われるなど帯刀していない、手元に太刀がない場合
②奥女中の懐剣攻撃・茶坊主の組みつき・同僚、友人、知人等の突然の攻撃など抜刀する余裕がない、抜刀出来ない場合
このような、事態に遭遇した場合、直ちに攻撃を避け、敵の間合から離れ不利な状況を打開する必要がある。そのために、素手対武器(太刀・小太
日本伝合気柔術 技法稽古に入る初学者のための基礎知識2
武道修練の目的
武道とは、「破壊」と「建設」の両面性があり、その学んだ技が“人や社会に迷惑をかけるような破壊的行動”とならないために“自制心を修業”するためにある。
また、その技の中には“間合・目付・変化・残心”などの術理の他“陰陽表裏虚実法・思考転換(固定観念打破)法・そうするとそうなる”など生活の教訓(知恵)が内包されている。すなわち、武道とは「行動哲学」である。
そして、武道の継続修練で学ん
柳生宗矩一族と松平信綱5
話しは前後するが、宗矩には4男、すなわち長男十兵衛三厳、次男刑部少輔友矩、同年齢の三男主膳宗冬、四男列堂(芳徳寺第一世座主)があった。
夭逝(ようせい、27歳)した次男友矩についてである。寛永11年の将軍上洛にも供奉し、徒士(かち)頭を命じられている。その後、大名に取り立てるとの将軍の内証あったが、信綱からの情報提供を受けた宗矩がこれをよしとせず、友矩を引退させ十兵衛三厳の元に預けたのである。「
柳生宗矩一族と松平信綱2
さて、講談の題材として創られた寛永御前試合では、阿部対馬守重次が柳生宗冬の打太刀を務めた、という設定もあった、つまり、老中阿部の方が師範格ということである。この御前試合は虚構であったが、家光は兵法の上覧を好んだのは事実である。
大猷院(だいゆういん=家光)殿御実紀付録巻二によると…
慶安4(1651)年春ころより(家光公は)何となく御病がちにおぼしければ、御心地なぐさませ給わん御為にとて、諸人の