見出し画像

SNSは誰でも独裁者になる。

SNSなどでのコメントに対するブロック機能やミュート昨日を使うことはある面においてその人が自分のアカウントにおける独裁者になることができる。
現実で考えてほしい、例えばあなたに耳の痛い意見や苦々しい意見を言われたときそれをもし現実でブロックできるとしたらそれは独裁者にほかならない。
SNSについても私はそれは同じだと思う。最近、ネットの悪いコメントをすることに対して批判的な風潮がある。それによって自殺者などが出ているからだ。
確かにあまりに行き過ぎたコメントや執拗にアカウントを変えてまでしつこく悪評や暴言また迷惑行為を繰り返すものは批判されてしかるべきだと思うが
反面、そのコンテンツに対して耳の痛い意見を言ったりこれはよくないんじゃないか?と言うことを主張することまで次第に封じられ簡単にブロックされる社会になりつつあるように思う。
もちろん、自分自身を守るためにある程度仕方ないことかもしれない。しかしそれは意見の多様性を損なわせて民主的な空気感を失わせてしまうのではないかと思う。
人間生きて何かしら行動していれば批判されたりまた何か意見を言われたりするものである。それらは良い意見も悪い意見も的を得てるものも得てないものもある。
しかしそれらすべてをブロックしたらその人は成長の機会を失うし、また民主的でなくなったコンテンツには同じような肯定的なコメントだけがひたすらそこに書き込まれるようになる。
私はそこは独裁者が支配する場所に見える。もちろんある程度の規則やある程度の決まりは必要だ。しかし多くはそのボーダーラインとして何がいけないのか何がいけないくないのかを明確にせず、結果的にその人のボーダーを意図せず踏み越えたものが排除される状況になってはいないかと思う。
人間が人間らしくいられる空間をある程度、作っていかなければその場所は幸せな場所ではなくなるのではないだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?