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空中散歩

自分のいる世界のどちらを大きなものとして捉えるか。
それが、現実の世界とネットの中の世界。

現実が"いる場所"とするなら、ネットは"見る場所"。
ネットはたぶん、顕微鏡のように覗いたものが見える感覚。
きっと現実なんかより小さいもののはずなんだ。

でも、ネットを大きな世界なものとして見ていると、現実が歪んでくる。覗きすぎてそっちへワープしてしまわないかと思えてくる。その境目すら無いものだと思う瞬間もあったりする。
ただ見てるだけなのか、入り込んでしまうのか。
そこに意味だって変わってくるのだとおもうから。

入り込むってこういうことを言うの?まるで皆がそこにいるように感じていたのは、そっちにいるアナタじゃなくて、そっちに向かうワタシ?

フッといつもと感覚が違って見えて、その大きさに驚いた。それは、見ている場所にいる感覚になっているからだった。
noteはどんな場所?キミにはどう見えてるの?

皆の呟きが、noteが、日常が近くなったこの時代。
そこにはいないのに、同じように体験したような気になる。それが残る。

そこがあるから楽しいと思える人も確かにいて、
でも全く興味のない人もいて、行こうとも思わない人もいて、そんな場所すら知らない人もいる。
何を見てるの?と問いてるようにも思ったら、
また話は長くなってしまいそうだった。

なんだこれ、どこにいるんだ。まるで空中散歩。
そうやってまた、どことも言わない場所へ
ふわふわと飛んでいきそうになってしまうんだ。

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