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短編小説「夜」


 夜が生き生きとしていた。都会の騒がしい電飾や労働を告げる光に邪魔されず、どっぷりと常夜を満喫できる農家は、それだけでも十分に価値がある。この夜の静寂こそ、何ものにも代え難い宝である。しかし、こと現代においては子どもは勿論、大人までもがその美点に気づかない。ある程度の教養、そして喧騒を良しとしない感性が熟してないのである。



 そして、過去の私も。



 私は当時13歳であった。時期的には、あと1週間も経てば春休みも終わり、晴れて中学生の仲間入りとなる頃である。中学生になれば、勉強中心の生活へとなり、県外の祖父母の家にも必然的に足が遠のくのを何となく感じていた。その切なさに背中を後押しされる形で、「俺、春休み中はずっとじいちゃんの家に泊まっていたい」と、両親に話し了承を得た。




 私が祖父母の家に着いたの正午であった。家に着いて早々、祖母と一緒に裏手の山でふきのとうを取ったり、祖父と一緒に家畜小屋に入り、牛に餌などをあげて過ごした。私は言葉にこそ出さなかったが、祖父母と行う一つ一つの作業に〝最後〟という言葉がつく気がして、無理にはしゃいでみせた。来年も、再来年もずっとずっと、祖父母の家にこうして来ては、お手伝いをしてあげたい。




 しかし、その感覚は不思議なもので宿泊の日数を重ねる度に、両親のいる自宅へ思慕が募る。田舎で体験する特別感など、一日二日で消耗されてしまっていた。さらに、一日の終わりに必ず訪れる、無音の夜が心をざわつかせてもいた。そして、三日目の夜になると父へ電話をし、「帰る日を早めてもいい?」とお願いまでしている始末である。その声を聞かされる祖父母の気持ちなど、全く配慮していなかった。私は既に満足感で満たされていた。




 (もう祖父母の家を十分堪能した。〝祖父母にもいい思い出を作ってあげることができた〟)




 ———「そういう身勝手な施しの精神を持って、大人にる人ってどれ位いるのかな?」と、私は忘却したい思い出を語り終えると、手に持つグラスを傾け一気にアルコールを喉に流し込んだ。この個室居酒屋に入り、そろそろ二時間が経とうとしている。テーブルを挟み、私に対峙する後輩は、眉間に皺を寄せやながら漸く話し始めた。




 「お言葉ですが、息子は違うと思います。違うと思いますが……。一応、祖父母の家に泊まる日数を予定通り、春休みまでにしようと話してみます」その言葉を受け、「その方がいい」と私は笑顔で同意した。私の経験から言って、泊まりの日数は変更しなくて本当によかったと今でも思う。何故なら、五日目の夜を迎える頃には、静寂が心地よいことに気づき、また必ず訪れたいと思う気持ちが芽生えるのだから。



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