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実は若く見える人を基本的に社会は信用してないんですよね。道具を使い続ければ必ずキズが付いていくのと同じ。若く見えるって事は自分はなんの経験もないバカだって顔に張り付けてるようなものなんです。








若さを求めるものはカスである。
若さとは自分の精神の未熟さを隠すツールであり手段である。
実年齢相応に精神も成長していれば若さを求める必要はない。
若さに価値があるのは、若いうちだけということになぜ気づけなかったのか。

だからあなたはダメなのだ。

でももう、あなたはダメなのだ。


若者や止まった人たちの中に何年も身を置いているうちに、居心地のいい世界でぬくぬくとしているうちに、かつてライバルや格下だと思っていた人たちはもう追い付ける場所には居なくなっていた。

彼らにとってあなたは、テレビの中で街頭インタビューにでてくる普通のおばさんだ。

なにも特別ではない、どこにでもいる、ただ普通のおばさん。

社会や政治について頓珍漢なことを答え、視聴者に「ああ、このバカより私はマシでよかった」と思わせるための記号。それがあなた。

あんな人いるわけないって思っていましたよね。
若いときはね。





利口な子供は小さい時に年上と同じ能力があったんです。

5年生で6年生の算数が理解できた。中学生で高校の英語がわかった。

そうしてなにもしていなくても親や先生に褒められた。
あなたはすごい。まだ小さいのにすごい。

大人になって能力の成長が頭打ちになった。周りが追い付いてきて、追い越された。

でも努力をして現状を変えた経験がなかったから対処の仕方がわからなかった。

そこで彼らの中でルールが書き換えられた。


「実際よりも見た目が若ければ、また利口な子供扱いしてもらえる」


本来、30代には30代の、40代には40代の当然持っているべき知識と教養と経験がある。

でもそれは持っていない。知識がなければ解決できない問題を、知識を集めずに対処してきたから。

いつも原因を外に求めて、他人のせいにしてきたから。


小さい時、上手くいっていたのはたまたまほんのすこし成長が早かっただけなのです。

身体の大きい子供が足が速かっただけ。
手の長い子供がボールを遠くに投げられただけ。
それと全く同じで、いつか当然誰でも到達する位置にひとよりほんの少し早く着いたというだけなのです。

それは何も特別じゃないのに、自分の能力と勘違いして努力を怠ってしまった。


割り算ができる二年生は、天才じゃない。
来年になったら、だれでもできるようになるんだよ。

でも、何もしなくても人より能力が高いという経験は麻薬でした。

その快感の記憶、成功体験から脱することは難しいでしょう。





それを自覚しているけど、自分のほうを高める努力はやり方がわからないので、出来なくても許される年齢まで引き下げるのが彼らの戦略になったんです。

「若いのにそれができてすごい」ともう一回思われるためには若返らなければならない。


その劣等コンプレックスは金になるから、当然の文化であるかのように人々は扱うのですけれど。
いつまでも若くいよう。
二十代に見間違えられました。
今年の流行は〜

ますます乖離が進むんですよね。

若く見えることに価値があるのは若いうちだけなのです。


彼らは気づいていないのですが、実は若く見える人を基本的に社会は信用してないんですよね。

よくフィクションとかで売店のオバチャンが実は変装した理事長だったとか、さえないジジイが実は会長だったとか、あれ絶対不可能なんですよ。

道具を使い続ければ必ずキズが付いていくのと同じで、経験は顔に出るんですよ。隠せないですね。

逆もまたしかりで、若く見えるってことは自分はなんの経験もないバカだって宣言を顔に張り付けてるようなものなんです。



ある年齢で、殆どの人は人生は有限であり人ひとりが使える時間も金もエネルギィも有限ということを理解するんです。

繁殖の時期を終えるか放棄した後は、動物としてではなく社会的存在としての価値を高めようって思うんです。普通は。

血を残せなくても知を残すとか、これまで受けた恩を社会に還元するとか。

次の世代の為に自分ができることは何だろうとか。

その状況のなかでは、自分の見た目が若いとか美しいかどうかとかってもう圧倒的に優先度が下がるんですよ。


だから有限のリソースをそこ費やしてる人って、まあやっぱりそういう人なんだろうなって。

そういう風にみられちゃうんですよね。





死に恐怖を感じるのは生物として当然であるとして、まだ老衰まで十分な時間があるのに既に恐怖を感じているのは、それは老いへの恐怖ではなく周りに比べて成長していない自分への恐怖、というか焦燥です。


肉体の老いと相応に心が成長しなかったから周りにどんどん置いていかれたことへの後悔なんです。


それなりの年齢で、中身が伴っていなかったら若い人から見下されるんですよ。

かつて自分たちがそうしてきたように。それが怖いんです。


だからいつまでも若い人でありたいんですね。そんなこと不可能なのに。


本当にあなた達がすべきことは、実年齢よりも10歳若見えさせることではなく実年齢に相応な知識と教養を身に着けることなんです。

これからも周りが世界史や経済の話を引用しながらニュースを語るのをニコニコしながらスルーするか、
それとも孤独と劣等感と恥と戦いながら、中学の勉強からやり直すか。


その勇気はありますか。


まあないと思いますけどね。





おしまい





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「若く見えるってことは自分はなんの経験もないバカだって宣言を顔に張り付けてるようなものなんです」

これある程度老いるまで実感できなかったですね。サンプルが集まるまで時間かかった。
スーパーのオバチャンとかでも旦那さんの転勤とかでたまたま今パートやってるだけみたいな鷹がいますよ。
明らかに目が死んでない。話し方とかも違う。わかる。


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