見出し画像

「大林ミカ」の思想史

この「大林ミカ」という人、私は初めて知ったけど、面白いなあ。


 再生可能エネルギーに関する規制見直しを目指す内閣府のタスクフォースに中国の国営電力会社「国家電網公司」のロゴマークが入った資料が提出された問題で、資料を提出した公益財団法人「自然エネルギー財団」の大林ミカ事業局長が27日、タスクフォースの民間構成員を辞任したと発表した。都内で記者団に明らかにした。
(産経新聞3月27日)

 内閣府の有識者会議で中国企業のロゴが入った資料が使われていたとの指摘をめぐり、提出した「自然エネルギー財団」の大林ミカ事業局長が27日、有識者会議のメンバーを辞任した。同日の会見で「単純なミスだったが、社会的な影響が非常に大きかった(ため)」と説明した。
(朝日新聞3月27日)

 

私とほぼ同世代のようだけど、学歴も学位もなく、たぶん高卒の左翼活動家で、いつのまにか環境団体の大物になり、政府中枢の会議に御意見番のように登場している。

はっきりした素性がわからない。

われわれが選挙で選んだ覚えのない、日本の非公式の権力者ですね。


中国企業の「すかし」が問題のきっかけだから、「中国のスパイ」みたいに右派は騒いでるけど、私はもっと「大物」ではないかとニラんでいる。


活動家への転換点


大林ミカは1964年生まれ。

以下のインタビューで本人が語ったところでは、1992年、28歳のときに、高木仁三郎の「原子力資料情報室」に入って、活動家への道を歩み始めた。


小倉の高校を卒業するまで、文学が好きで詩人を夢見ていたし、友人も文学や音楽、美術の好きな仲間ばかりだった。東京に出て翻訳の学校に通ってからは海外現代詩の翻訳家を志し、夫もロック・ミュージシャンで、原子力とは全く違う世界に埋没していた。

ライフスタイルが変化したきっかけは、86年のチェルノブイリ原子力発電所事故にある。私はちょうど、おいしいからという理由で無農薬の自然食に凝った時期で、遠く離れた発電所の事故がさまざまな形で日本や途上国の食物・食品にまで影響していることに驚いた。(中略)

でも、実際に反原発運動に踏み込んだ契機は子供の出産だ。子育て1年半で社会に出て働こうと思った際、出産前は英語塾の講師で時間とお金を引き換えにする時給制だったため、「最愛の娘を保育園に預けても、その時間を無駄にはしなかった」と納得できる仕事をしたいと考えた。その時ふと浮かんだのが、女性問題か反原発運動を手伝いたい、だった。92年は「あかつき丸」の帰還に合わせ〝反プルトニウム・キャンペーン〟が開始される矢先で、そんなことは知らなかったが、反原子力運動の中心にいた高木仁三郎さん(故人)が主宰する原子力資料情報室へ「仕事の空きはないですか」と電話したら、「英語のできる人なら捜しています」で、資料情報室入りした。

(「「環境、エネルギー・原子力」女性リーダー像 (5) NPO法人環境エネルギー政策研究所副所長 大林 ミカ氏に聞く 文学少女から「反原発」への軌跡」原子力産業新聞2007年11月8日)


高木仁三郎という名前が、また懐かしいですね。

でも、いまの若い人は、もう高木を知らないかもしれない。


左翼の3つのフェーズ


20世紀は共産主義の時代だったけど、左翼の運動は、ほぼ3期に分かれます。


・赤(フェーズ1) 
 1900~1960 ソ連中心の時代 科学的社会主義
 <日本での代表者>日本共産党 大内兵衛、羽仁五郎など

・赤(フェーズ2)
 1960~1980 中国中心の時代 「人間的」社会主義
 <日本での代表者>日本社会党 日高六郎、小田実など

・緑
 1980~現在  「地球環境」中心の時代 反科学的社会主義


もっともらしく言っていますが、いま私が考えた図式ですけどね。

でも、だいたい、こんな感じでしたよ。

1957年のスターリン批判あたりで、ソ連が信用を失い、毛沢東のほうに人気が移る。

その毛沢東が文革で失敗して、あーあ、となったころ、スリーマイル島の原発事故が起こる(1979年)。そこで「環境派」「緑の党」が立ち上がる。


大林ミカの場合は、1986年のチェルノブイリ原発事故がきっかけのようですけどね。

ともかく、1980年前後に、赤から緑へ、という思想の移行がありました。

大林ミカは、その転換点に居合わせた幸運から、「大物」への道をたどったようです。


「赤」と「緑」の象徴


1980年代の左派論壇を思い出すと、年老いたソ連派残党と中国派残党がいまだバシバシやっているのをしり目に、「緑」が若者の心をとらえていた。

若いねーちゃんたちが「自然だ」「エコだ」「オーガニックだ」と言いだしたから、若いお兄ちゃんたちもそっちのほうに流れます。


「赤」と「緑」というと、私は1987年の村上春樹「ノルウェイの森」の表紙をどうしても思い出すけど。

あの本は、色のイメージのうえでも、転換期を象徴的にとらえていたと思う。


Netflixのドラマにもなって話題の「三体」でも、主人公の女性が、毛沢東の文化大革命で人生ぐちゃぐちゃにされた後、内モンゴルに送られて、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」をひそかに読む、という場面がありますね。

あれは、「赤から緑へ」の移行を象徴的に表現しています。

そこでは、「赤」と「緑」が対立しているようにも見えるけれど、実態は、「赤」が「緑」に乗り換わるわけです。


たとえば坂本龍一も、そういう時代の象徴でした。

1979年のYMO「ソリッド・ステート・サヴァイヴァー」アルバムジャケットでは、赤い人民服で登場する。

「赤(フェーズ2)」の時代を表現しています。


しかし、最期は、「反原発」の活動家として死ぬ。「緑」として死ぬ。テクノが「電気はいらない」とはどういうことだ、とツッコまれながら。


「反科学」の科学者たち


で、高木仁三郎というのは、その「緑」の時代を代表する知識人でした。

ほかには、中山茂とか、柴谷篤弘とか。1980年代、「緑」の時代の始まりには、こうした「反科学」知識人が活躍したのでした。


高木仁三郎(1938-2000)
東京大学理学部卒、理学博士。
東京大学原子核研究所助手、東京都立大助教授を経て、1975年、「原子力資料情報室」設立、反原発運動の中心になる。
著書『危機の科学』(朝日新聞社、1981)、『プルトニウムの恐怖』(岩波書店、1981)など

中山茂(1928-2014)
東京大学理学部卒業、ケンブリッジ大学で科学史の博士号取得。神奈川大学名誉教授。
トーマス・クーン「科学革命の構造」の紹介者として知られる。
著書『野口英世』(朝日新聞社、1978)、『科学と社会の現代史』(岩波書店、1981)、『戦後科学技術の社会史』(吉岡斉と共著、朝日新聞社、1994)など

柴谷篤弘(1920-2011)
京都帝国大学理学部卒。オーストラリア連邦上級主任研究員、京都精華大学名誉教授、学長。
著書『反科学論』(みすず書房、1973)、『私にとって科学とは何か』(朝日新聞社、1982)など


ほかには、吉岡斉(中山の弟子筋)とか、池田清彦(柴谷の弟子筋)とか。まあ小出裕章とか。

こういう人たちを、ぜんぶ「左翼」というのはどうかと思う人はいるかもしれないけど、まあ左翼でしょう。

過去の社会主義を批判しつつも、反資本主義と社会主義を引きずった人たちですね。高木はその中でも、最も活動家的でした。


ここでは、上に挙げた3人が、ほぼ同時期、1980年代の初めに、「朝日、岩波」から本を出していることに注目してほしいんですね。

「朝日、岩波」というのは、上で私が述べた「20世紀左翼の3期」のすべてにかかわり、それを世論のうえでバックアップしている。スポンサーになっている。

そして、転換期には必ず新しい勢力を取り込み、あるいは権威づけし、新勢力を主導して「波に乗る」メディアなんです。よくわかるでしょう。


ちなみに、新聞社の「科学部」も、それに合わせて変化しました。

左翼的バックグラウンドをもった記者が流れ込み、「緑」を前面に出していく。毎日新聞が「科学部」を「科学環境部」に改名したように、左傾化していきます。


「大林ミカ」の背後にあるもの


いずれにせよ、上に挙げたような左派科学者には、立派な学歴と学識がありました。

政治的立場の是非はともかく、傾聴に値する中身があったかもしれません。

そして、高木などが説得力をもったのは、そうした立派な経歴を投げうって社会活動に専心したからでもあるでしょう。


しかし、「大林ミカ」には、学識もなく、活動のために投げうつほどの立派な経歴もなさそうです。

「緑」がなければ、そもそも出世できなかった人。

「朝日、岩波」から、まだ本も出していないようです。



#反原発
 高木仁三郎の弟子を引用した。大林ミカとかいう #自然エネルギー 財団の人。このおばさん、研究者にあいてにされてないし、私もあるシンポで間違いといったら、騒いだ変な人。君のようなレベルが引用するなと。高木仁三郎レベルの議論ができないことが問題なんですよ #エネルギー
(石井孝明 2012年9月8日)


それでも、80年代からの「緑」の波に乗っており、高木らの社会遺産を引き継いでおり、「朝日・岩波」の知的信頼をお墨付きとして背景にもつことができた。

そして、「朝日、岩波」のような国内権威だけではなく、「国連のほう」ふくめた国際的な「緑」のネットワークの一員でもあるらしい。


やっぱり、「大物」ですよ。中身がなくても、「大物」です。

なにが「大林ミカ」を「大物」にしているのか。それを解明できれば、20世紀以降の思想を解明できる、くらいの大物だと思う。

「中国のスパイ」なんて、そんなみみっちい存在ではないと思うんですね。

20世紀からの共産主義の末裔の場末のどんづまりで福島瑞穂と抱き合っている。

日本のメディアは、彼女の素性と権力の源泉を明らかにできるのでしょうか。


<参考>







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?