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刑事コロンボと西原理恵子

夏休み特集ということで、ケーブルテレビのAXNミステリーチャンネルが、恒例の「刑事コロンボ」連続放送をやっていた。


私がたまたま目にしたのは、「死者の身代金 Ransom for a Dead Man」だ。

私は「刑事コロンボ」はブルーレイで全部持っているし、旧シリーズは全話、数百回は見ている。

「死者の身代金」は、ご承知のとおり、傑作中の傑作だから、1000回以上は見てるかも、と思う。

それでも、物語に惹き込まれて、結局また最後まで見てしまった。


そして、見ながら思い出したのは、漫画家・西原理恵子の娘が自殺未遂したという、最近のニュースだ。


漫画家・西原理恵子氏の娘で俳優の鴨志田ひよが、3日までに自身の「X」(旧ツイッター)を更新し、アパートから飛び降り骨盤を折ったと明かした。 鴨志田は、西原氏と鴨志田穣さん(故人)の娘で、『毎日かあさん』の“ぴよ美”のモデルにもなったとされる。俳優としては舞台などに出演してきた。一方で、母娘の不仲をブログに記したこともあった。(ORICON NEWS 2023年8月3日)


西原理恵子と娘のことは、以前にも書いたことがある。


そのときも、「こんな話、いつかドラマで見た」とモヤっていたが、刑事コロンボの「死者の身代金」だと、今回やっと気づいた。


<刑事コロンボ「死者の身代金」について>

「死者の身代金」(1971)は、もう50年以上前のドラマだし、地上波で無数に放送され、知らない人はいないと思うので、ネタバレを気にせずに書く。

シリーズ第2話とされるが、第1話の「殺人処方箋」と、この「死者の身代金」は、どちらもパイロット版だった(「殺人処方箋」はパイロット版ではなく単独のテレビ映画だったともいう)。

1971年春に放送された「死者の身代金」が高視聴率だったので、同年秋から「コロンボ」はシリーズ化されたのである。

そして、この2作、「殺人処方箋」と「死者の身代金」が、最も時間をかけてシナリオが練られており、結局コロンボの最高傑作ではないかと私は思っている。


読まなくていい豆知識 「死者の身代金」の次作、シリーズ化第1作が、当時新進気鋭のスティーブン・スピルバーグが監督した「構想の死角」だ。「構想の死角」という邦題が、最近亡くなった森村誠一の小説「高層の死角」のもじり、というかダジャレだということは、もう忘れられつつあるだろう。原題はMurder by the Book=定石どおりの殺人=だが、それ自体が1950年代のレックス・スタウト作、ネロ・ウルフもの探偵小説のタイトルのパクリなので、偶然かも知れないが、2重の意味で巧みな邦題になっている。レックス・スタウトの「Muder by the Book」の邦題は「編集者を殺せ」)



<「死者の身代金」あらすじ>

女弁護士のレスリー(リー・グラント)は、不仲な夫を殺し、誘拐殺人に見せかけて、身代金をせしめる。

しかし、夫の前妻の娘であるマーガレット(パトリシア・マチック)だけは、レスリーが父を殺したと直感する。

母のレスリーを責める娘のマーガレット


マーガレットの訴えで、コロンボ刑事(ピーター・フォーク)もレスリーへの疑いを強めるが、レスリーは頭がよく、証拠を残さない。逮捕にはいたらず、コロンボは「諦めました」と姿を消す。

警察の追及は逃れたようだが、あいかわらずマーガレットは自分を疑っている。そう思ったレスリーは、マーガレットが自分を責めるのは、「分け前」が足りないからだと気づき、マーガレットに身代金の一部を与える。

マーガレットも、それでようやく納得したようだった。

レスリーの完全犯罪は、これで完成したと思われたのだが・・・。



ーーというお話。

(ちなみに、レスリー役の名優、リー・グラントは、赤狩りでハリウッドを追放されたことでも有名だ。のちにハリウッドに復帰し、「シャンプー」でアカデミー助演女優賞受賞。1925年生まれで、100歳に近いが、いまも健在。マーガレット役のパトリシア・マチックは1951年生まれ。主に舞台俳優として活躍したが、2003年にがんで亡くなった。ピーター・フォークは晩年アルツハイマー症となり、2011年、合併症で83歳で亡くなった。)


このドラマが秀逸なのは、「世界観に起因する心理トリック」で、解決に導くところだ。

解決シーンの鮮やかさでも、この「死者の身代金」は、「殺人処方箋」と双璧だと思う(ほかにあるとすれば、「2枚のドガの絵」か)。


レスリーは、「カネで何でも買える」という価値観の持ち主で、自分が強欲だから、他人もそうだと思っている。

だから、娘の父親への愛情も、カネを払えば忘れさせられる、と思い込んでしまう。

しかし、それが頭のいいレスリーの落とし穴だった。レスリーの性格を見抜いたコロンボは、その世界観の欠陥を利用して、彼女をまんまと罠にはめるのである。

コロンボが最後にレスリーに言う。

「あなたは、自分がそうだから、世の中、すべてカネで何とかなると思っている。それで、娘さんの肉親への愛情も、カネで買えると思った。それがあなたの誤りだ。人には、カネで売り渡せないものがある」


以前の記事で書いたように、西原理恵子の娘さんの苦しみの一部は、自分の父親(鴨志田穣さん)への愛情が、母親に蔑ろにされたことではないか、と私は思っている。

娘は、実の父親である前夫と絆がある。別の男に愛情が移った母親は、その絆が疎ましい。

そして、西原理恵子と高須克弥は、リコール署名もカネで買えるという価値観の人たちのお仲間だ。

この母娘を見て思うのは、「世界観」がすれ違っているのでは、ということだ。それが「事件」のポイントだ、と刑事コロンボなら考えると思う。

「死者の身代金」で、西原理恵子と娘の件を連想したのは、あくまで「私の感想」にすぎない。家族の内情は、結局他人にはわからない。

でも、この母娘には、改めて仲良く「死者の身代金」を見てほしい。万一にも最悪の結末にならないように。余計なお世話だけどね。



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