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ぼくたちはなぜ中島らもになれないのか — 中島らも『今夜、すべてのバーで』読書会

*以下、ネタバレを含みます! ご注意ください!

どうでした? おもしろかったですか?

「なんやこのエピソード……みたいなのがいっぱい入っていていいですね」
「意味もなく入ってくるヤクザとのシーンすきだった」

「考えてみいな。ヤクザがやで、左のポケットに拳銃入れてんのはええとせんかいな。反対側のポケットに“糖尿病者手帳”と“角砂糖”入れてんねんで。死んだときかっこ悪いやないけ。注射もやな、シャブやのうてインシュリン射つんやで。これでは若いもんにシメシつかんわなあ。……あかん。ヤクザはやっぱり病気んなったらあかんわ」

中島らも『今夜、すべてのバーで』講談社文庫、1994年、184ページ

「とてもいい。とてもいい」
「これ、ただアル中が入院してから退院するまでのログラインで、無限にエピソードが連なって終わるじゃないですか」
松尾スズキ『クワイエットルームへようこそ』と構成は同じですよね」
「そう。しかも、この主人公は自分の病状に対してある程度自覚的であるという点も似ている気がしますね。入院中の他の患者の病状とか、自分のいまの状態についてとかを、詳細に説明してくれる」
アルコール中毒かつアルコール中毒マニアというか」
「そう。この話の語り手として都合がよすぎるんですよ小島(主人公)。アル中の心理とアル中の病理に詳しいアル中。物語の作り方としてうますぎる」
「あと、書き方が淡白なのがリアルでいいですよね。リアルとリアリティのちがいというか。例えば小島が病院を抜け出して酒を飲むところ。あそこは長い時間我慢して我慢して酒飲むシーンなんだから、ふつうの物語だったら、大層な感動が訪れるんだろうと思うんですが、実際はそんなことなかった、っていう書き方が……なんかね、すごい『らもさんだなあ』と思った
「『らもさんだなあ』ね(笑) 全体をさらっと書きますよね。こんなものなのか、って」

松尾スズキ『クワイエットルームにようこそ』文藝春秋、2005年

好きなキャラクターいました?

「赤川が好きです」
「わかる。赤川いいですよね。この小説に出てくる医者の造形としてかなりいい」
「この2人の医者と患者の会話が物語の根幹を担っているということが変に逃げてないというか、ちゃんとアル中を書こうとしてその対話相手として最適な人が赤川ですよね。感傷的じゃない医者というか」
「ここまで腹を括ってアル中について書いているの、すごいですよね……」
中島らもは自分のインテリジェンスに自信がありすぎる(笑)
「ある!(笑) そう、この人は自分がアル中であり、かつインテリジェンスがあることをめちゃくちゃ自覚していますよね」
「らもさんはさ〜〜〜そりゃあ頭いいよ〜〜〜ズルいよ〜〜〜」
「わたしが一番嫉妬しているのはね、『小説現代』にこれが載るのか、おまえ載せられるのか! ということですよ。ゴリゴリのエンタメ小説誌じゃないのか、なにがちがうんだよわたしと! っていう」
「作家の悩みだなあ」
「というか、連載で考えたら、赤川と話して1話終わるところあるでしょう、コレ。医者と患者がアル中ってこんな病気でこんな心理で……って話してるだけの1話。これが成立するのがズルいよ〜」
「中島らもみたいに頭がよくなったらいいんですかこれ」
「いや、中島らもは頭がよくて、面白くて、その前にキャリアを積んでるから
らも〜〜〜!

我が家の中島らも棚

自分のインテリジェンスに自信がありすぎる

「終盤の『アルコホリック家族とネットワーク・セッションによる援助・症例<一>』がもう天才じゃないですかこれ。実際の症例を下敷きにしているにしても、これを物語構造に取り込んできちっと書いているわけでしょう。そんなことできます!?」
「天童家の人間の背景設定として綺麗に機能してますしね……こいつ……」
「あと真っ向勝負できるのすごいですよね」
「そう。やっぱり自分のインテリジェンスに自信がありすぎる……」
「これ、『ぼくはアホですから』って書いてるんですかね」
「絶対ない! これは自覚的! 自分は頭よくて面白いってわかってる!」
「わかってるよ〜。中島らもってすごく自覚的な人間だから、小島っていう主人公が中島らもだと思われることをわかって書いてるじゃないですか。夢の話してちゃんと面白いのズルじゃないですか」
「そういえば文庫本の要約文がなんかすごい『ちがうだろ』って感じなので見てください」

中島らも『今夜、すべてのバーで』講談社文庫、1994年、裏表紙

「えっ……幻想文学……?」
「これは上品なときの江戸川乱歩がでてこないとゆるせない」
「この夢の場面が好きだったのかなあ、要約書いた人」

ぼくたちはなぜ中島らもになれないのか

「ラストがね、好きです」
「わかる〜」

 いまこの瞬間も、何百、何千という酔っ払いが、同じことをやっているのだろう。今夜、紫煙にけむるすべてのバーで。ミルクの杯を高くかかげて、地上へ倒れていきながら、おれは連中のために呟いた。
「乾杯(スコール)」

中島らも『今夜、すべてのバーで』講談社文庫、1994年、287ページ

「中島らも、文章が上手い!!!」
「うまいなあ……あ〜〜〜おれはなんで中島らもじゃないんだ……
「この読書会のタイトル、『ぼくたちはなぜ中島らもになれないのか』にしよう」
「でも同時にわたしは、中島らもにはなりたくないという思いもある」
「え〜なりたいよ」
「いや、なりたいんですけど、中島らも大変そうじゃないですか。というか、気質がちがいすぎる。中島らもは自分を中心としたコミュニティをいくつか築いていて、かつ自分という存在に外側から自覚的で、こう……他者からの視線を内在化する形で自覚的っていう状態だったと思うんですよ。『アル中のらもさん』としてそのコミュニティに存在できる。でも、わたしはそれはできないわけですよ」
「言及しちゃうから」
「そう。中島らもは絶対に自分が他者の期待を内在化している存在であるというメタ視点を持っているけれど、それにメタ的に言及することをしない。それはね、わたしはできない。他者との関わりに言及しないということができないっていう意味で、中島らもにはなれないなって思うんです」
「自分をアル中として消費されることを是としなければいけない?」
「そうですね。それができない」

NHKアーカイブスに載ってたらもさん。若い。
https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=D0009072323_00000

それでも中島らもになりたい

「でもなんかね、中島らもになりたいんですぼくは」
「ほう」
中島らもになりたいっていうか……許されたい。世界に許されたい
「でけえ話をしている」
「う〜ん。だって、作品的にも人間的にもなにをやっても面白いじゃないですか、中島らもは! スベっても面白い。ただ、気質として彼になれないというのはわかるなあ。らもさんってたぶんすごく照れ屋なんだと思うんですよね。コミュニティや他者とのコミュニケーションために酒を飲む人というか。小島も結局、アル中を社会的なものとして捉えているじゃないですか。それってわたしたちにない視点だと思うんですよね」
「そう、我々は酔っ払うって心理的な面があるんだってことを、いままで意識したことなかった。酒の作用しか考えたことなかった」
「ああ。我々はもし大麻を使うとしたら大麻が使いたい!で大麻使いますからね。犯罪のために気を大きくしたいからとか、未知の世界で解放されたいからとかじゃない。中島らもは逆に、ドラッグを好奇心じゃなく精神的な欲求からやってますもんね。でも書きぶりとしては、できる限り薬理的に、離れた状態で語るじゃないですか。実態としてはある種ウェット? だから、中島らもは理性がドライで実態がウェットなのかもしれない
「そう考えると、小島はすごくナイーブですよね。天童に感情を寄せる様子も、さやかに遺産残そうとして引っ叩かれるシーンも。他者とコミュニケーションをとりたいという欲求を持っているナイーブさがある」
「え〜じゃあ我々はナイーブになれないので中島らもにはなれません
「終わり!」
「ふふ、かなしい終わりだなあ」

って感じでした!
来週は町屋良平『ほんのこども』をやる予定です! 楽しみ🥰

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