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水が濁り始めたら全てが終わる兆候。

大禊祓の時代。「禊(みそぎ)」は身体の穢れの浄化、「祓(はらえ)」は精神の穢れの浄化。穢れとは、忌まわしく思われる不浄な状態。世界、国、社会、人間、土壌、空気、水が、今、汚濁に塗れている。自然の摂理、そして心有る僅かな者が洗い清めても清めても間に合わぬ。これ、大禊祓のほかなく。今、あらゆる罪穢れが、世界中で炙り出されている。己は大丈夫か。「いやあ私なんぞ、一介の庶民だから、小さな罪を犯したところで、咎められることはありゃせんて」。残念ながら、それもこれも禊祓の対象。すべて炙り出される。水が濁り始めたら全てが終わる兆候。人間の腐った性根が清水をも濁し、息が出来ぬ程になっていく。なぜいつもこうなのか。初発の純粋で清らかな心は、どうして年を重ねる度に汚れていってしまうのか。それは、そもそも生命は汚濁を出すもの。これを忘れている。即ち、人間は汚いものであることが前提で、だから生きているし、そうしないと生きていけない。従って、それを放置し続けると周囲は汚泥で塗れていき、それをもって心も濁っていく。そして生命は、日々自らとその環境周囲を清め続ける必要がある生き物。そのことを承知の上で生きていく必要があるというのに、自分のことすらも自分で出来ないようになってしまった。この生活のほんの些細なことが大禊祓に繋がっていることを推して知るべし。従って、今生きるほとんどの人間が、禊祓の対象となる。覚悟せよ。



そのことを肝に銘じ、その厳しい真理を受け入れ、そもそも人間は環境を汚す生き物であるが故に、清浄と汚濁の間で、清く真面目に生きていくことからやり直します。



有難う御座います。

幸せを呼ぶそよ風チャリダー/サステナビリティイノベーティブコンサルタント。「感謝感動を世界に地球に」のカングロ代表、ザッポス研究会、イノベーションサロンZ、システムD研究会、サステナ塾、セブメディ創設者