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第12夜 坂口安吾の好物「おけさ飯」を作ってみた 新潟・料亭のだし茶漬けと裏ごし卵

 2月17日は、新潟市出身の作家、坂口安吾(1906~55)の命日「安吾忌」に当たる。安吾にまつわる食べ物で気になるのは、好物だったという「おけさ飯」(友人の檀一雄によれば安吾丼)だろう。実家の坂口家に伝わる料理で、簡単に言うと、ゆで卵を具に使うだし茶漬けである。ポイントは、白身と黄身を別々に裏ごしすること。この卵を、炊きたてのご飯にホロホロと乗せ、海苔(のり)やワサビを添えて、薄いだし汁をかけていただく。安吾の妻、三千代さんによるとお酒の後によく出したらしい。
 「おけさ」飯の呼び名は、新潟を代表する民謡、佐渡おけさから来ていると思われるが、佐渡の郷土料理というわけではない。このメニューは安吾の姉、セキが嫁いだ新潟県松之山の村山家にも伝わり、こちらでは「ひたじ飯」と呼ばれていた。若き日の安吾を描いた七北(ななきた)数人さんの長編小説『安吾疾風伝』には、村山家を訪ねた安吾がごちそうになる場面がある。
 安吾忌に合わせて、私も調理に挑戦してみることにした。思った以上に手がかかるな、というのが正直な感想だ。だしは昆布とかつお節。卵自体の味は淡白なので、ぜいたくかつ丁寧にだしをひかないと、味が決まらない。黄身と白身を分けて裏ごしするなんて、人生初の体験だ。二色卵の彩りを生かすため、白しょうゆを使い、汁は薄味の熱々に仕立てた。
 〈「鍋茶屋」か「行形亭」かお酒など飲んだあとのお茶漬けとして出るそうである〉(坂口三千代『追憶坂口安吾』)
 サラリと書かれているが、鍋茶屋(なべぢゃや)、行形亭(いきなりや)は新潟を代表する料亭。その味を坂口家に持ち込んだのは、恐らく安吾の父、仁一郎(にいちろう)だろう。仁一郎は戦前の衆議院議員や、地方紙新潟新聞社(新潟日報社の前身の一つ)の社長を務め、日常的に料亭の味に親しんでいた。気に入って、家庭でも作らせたのだと思う。
 新潟の料亭などでは、しょうゆ味のだし茶漬けを「したじ(下地)めし)」と呼んでいた。したじは、しょうゆの別名。村山家のひたじ飯は、ここから来ていると思われる。鍋茶屋で「伝説の料理人」と呼ばれた菅原愛次郎さんの聞き書きによれば、「下地めし」はシンプルであるがゆえに、奥が深いらしい。
 〈ダシはカツ節(かつお節)が命ですっけ、下地めしんときは、カツ節のいいのん使ォてね。カンナで削って…酒のあとには、ほんねいいもんですねえ〉(西村喜邦『愛次郎包丁談義』)
 この下地めしは上等なだしと海苔を味わうものだが、家庭料理であるおけさ飯には卵が入る。なぜ、卵を裏ごしするのか。安吾のめいで、村山家出身の飯塚みわさん(故人)による「解説」が興味深い。「裏ごし卵は作り置きができるので、お酒の後や朝ご飯などにさっと作って食べることができます」(2006年7月31日の新潟日報夕刊)。
 卵は栄養価が高く、滋養がある。洗練された料亭の味に、健康を気遣う家族の思いが合わさって生まれた料理なのだろう。これを「おけさ飯」と呼び、飽かずに食べ続けた安吾は、存外に愛郷心の強い人だったような気がする。
 (写真は自宅で作った「おけさ飯」と安吾の小説。スキ♥を押していただくと、わが家の猫おかみ、安吾ちゃんがお礼を言います。下の記事は「NHK大河ドラマ『徳川家康』の作者、山岡荘八が愛した酒・緑川」です)

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