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畑のがっこう@5日目

畑をはじめて、たったの5日です。
天地創造もまだ終わっていないくらいの時間です。

でも、わたしにとってはとてもとても長い時間に感じました。
感覚としてはこの5日間は、10カ月くらいです。

毎日はだしになって畑へ行く。
まだ何も収穫はしていない。
ただ1畳半くらいのちいさな小さな地面があるだけのところへ、毎日数分行くということがこんなにも何もかも変えてしまうくらいの力を持っているとは思ってもみませんでした。

天啓のようにわたしが感じた、「畑をやらねば」という直観は真理だったのです。

わたしは5日目、先生にこんなメールを送りました。

今朝は6時ごろ畑に行きました。
土は思った以上にひんやりしています。

分葱を一本植えました。
昨日のエンチラーダのためにつくったサルサに入れたのこりです。

ミックスリーフの種をまいたところがなんとなく色づいているように見えて、よく目を凝らしてみると小さな芽がところどころ出ているのに驚きました。

こんなに早く芽が出るとは!
そして毎日石を拾っていますが、毎日目についたのはみんな拾っているつもりなのにまた次の日になると石がちゃんと見つかるのには驚きます。
夜中にだれかが石をまいているのではないかと思うくらいです。

わたしは今はかなりいいですが、
これまでずっと足が宙に浮いているような感覚で生きてきました。

それはたぶん体質なのだと思います。
だから生きている実感があまりなかったと思います。
そしてすぐに死にたくなるのです。
このことをこれまでひそかに恥じていたのですが、(こんなに恵まれているのに、とか、こんなことくらいで、とか)それは生きている実感が乏しいせいと、体とたましいのつながりを持て余していたのかもしれないと思い始めました。

土を触ると、踏むと、なんというのでしょうか、
たましいは体の中心にありながら、体がしっかりと土を感じることができます。

これはわたしにとても役立っていると、強く思います。
あなたは、すばらしい先生です。
ありがとう。ありがとう。

お返事は毎日は負担になるかもしれませんので、(もちろんうれしいですが!)
どうぞ毎日と思わないでください。

わたしは土とか自然とか、自分が思うときがこなさそうに思っていました。
自分の体が信じられなかったからかもしれません。

あすも畑へ行くのが楽しみです。

美衣

わたしは10年ほど前に、双極性障害でとても苦しんだ時期がありました。
何度か自殺を図りました。
鬱の波の波に入りそうなとき、入っているとき、すぐに死んでしまいたくなりました。

わたしはそれをなかなか人に言えませんでした。
自分をずっと情けないと思ってきました。

そして自分の体が自分のものと思えないままずっと生きてきました。
足がちゃんとついている気がせず、生きている実感が乏しいと感じてきました。

それが変化していることが、5日目にはっきりとわかりました。

先生からの返信。

美衣さん

おはよう。

いただいたことば、
ただ、ただ、うれしいです。

美衣さんのタイミングで、
美衣さんのたましいが、
いま土!ときめたのだとおもいます。

その感覚を、
信じられたこと、
選択できたこと、
実行できたこと。
それが、美衣さんの力なのだとおもいます。

畑は、
土は、
ずっと味方でいてくれます。
絶交とか、ないです。
こっちが勝手に去って行っても、
全然気にしないみたいです(ちょっと素っ気なくなりますが)
いつもどってもいいのです。
自由です。

愛ってこういうことなのだとおもいます。

わたしも今朝畑へ行きました。
すると、
「ちょっとこれをしようかな」
と思っていたこととちがったことが
衝動的にやりたくなるのです。
(今日はきし豆茶を刈り取った)

これが、畑のちからだと思いました。
予定、とかつもり、とか考えたこと、
ぜんぶ、さわやかに吹き飛ばしてしまう。
そして、「これをしたい!」という気持ちになる。

畑のことだから、だれとの約束もないし、
誰にも迷惑もかけないし、自由です。
自由を獲得すること、
自由に生きること、
畑はそれを教えてくれると思うのです。

そして、
わたしたちは、
いつも祝福されている、
そんな風に思います。
よい一日を!

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