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アウティングはなぜ問題なのか?|あいつゲイだって|松岡宗嗣【はじめに公開】

【アウティング】本人の性のあり方を同意なく第三者に暴露すること。

 2021年11月29日、松岡宗嗣 著『あいつゲイだって』が柏書房より発売されます。

 本年11月25日は、「一橋大学アウティング事件」の控訴審判決からちょうど1年にあたります。また来年2022年4月からは、「パワハラ防止法」により中小企業でもアウティングの防止対策が義務付けされることになっています。

【一橋大学アウティング事件】「おれもうおまえがゲイであることを隠しておくのムリだ」。一橋大学大学院のロースクールに通うAがゲイであることを、同級生ZがクラスメイトのLINEグループに同意なく暴露。心身に変調をきたしたAは2015年8月、校舎から転落死した。翌16年、遺族が学生Zと大学に対し損害賠償を求めて提訴。20年11月の控訴審判決では、本人の性のあり方を同意なく勝手に暴露するアウティングが「不法行為」であることが示され、世間的にも「アウティング=危険な行為」という認識が広まるきっかけとなった。地方自治体だけでなく、国レベルでも大きな影響があった。

 控訴審判決において、アウティングはなぜ「不法行為」と判断されたのでしょうか? そもそもなぜ、性的指向や性自認といった個人情報の暴露が「命」の問題につながってしまったのでしょうか?

 さらなる被害を防ぎ、これ以上「命」が失われないためにも、いま改めて考えたい「アウティング問題」の論点を整理しました。

 実は、一橋事件の前からこうした被害は起きていたし、現在も起きています。学校や職場などの身近な人間関係、不特定多数に瞬時に情報を発信できてしまうネット社会において、誰もが加害者にも被害者にもなり得るのです。

 校舎から飛び降りたのは、私だったのかもしれない――。勝手に伝えることが誰かの「命」を左右する瞬間を、痛みとともに、ひとりの当事者が描き出した一冊。本稿では、同書より「はじめに」を無料公開します。

 松岡さんにとっては初の単著。ぜひ、ご予約いただけたら幸いです。本書をきっかけに、「アウティング」に関する議論がより一層深まることを願います。

あいつゲイだって_Cover+Obi

装画=カナイフユキ/装丁=木庭貴信(OCTAVE)

はじめに

 私がはじめてゲイであることをカミングアウトしたのは、高校を卒業したあとの春休みだった。大学進学を機に上京することが決まっていたため、最悪受け入れられなくても「逃げ場」がある……と、中学時代や高校時代の友人にカミングアウトした。母親へは大学二年生のゴールデンウィークに伝えた。結果的には友人も母も好意的に受け止めてくれて、大学からはオープンにしていこうという決心もついた。このときからセクシュアリティを隠すつもりはなくなり、他の人にバレても仕方がないと思うようになった。
 はじめてアウティングを経験したのは、実は「家族間」でのことだった。アウティングとは、「本人の性のあり方を同意なく第三者に暴露すること」。ここでの「性のあり方」とは、主に性的マイノリティ当事者の性的指向(恋愛や性的な関心がどの性別に向くか、向かないか)や性自認(自分の性別をどのように認識しているか)などを指す。私の場合は、私のカミングアウトを受けた母が、父に、息子がゲイであることを伝えた。私への確認はなかった。
 父は「息子がゲイであること」をすぐに受け入れることができたわけではなく、半年ほどは母と父との会話の中で「息子のセクシュアリティに関する話題」は避けられていたという。当時、私も母から父の反応を聞いて、なかなか実家に帰ろうという気持ちにはなれなかった。いまでは父も受け止めてくれていて、パートナーを実家に連れていくこともある。しかし、もしあのまま関係性に亀裂が入っていたら、私は実家に帰ることはできなかったかもしれない。

 同時期、母は家族ぐるみで付き合いのある幼なじみやその家族にも、息子がゲイだとアウティングをしていた。これも事後報告だった。幸いにも母がポジティブに伝えてくれたこともあり、特に問題なく受け止められた。
 当時の母は、アウティングにともなう危険性を認識していなかった。ただ、結果的には問題にならなかったこともあり、私自身、カミングアウトせずに勝手に周囲に伝えられたことを、かえって楽に感じた面もある。
 しかし、あるとき母から打ち明けられた。幼なじみからこんな連絡があったのだという。
 ある日、私の幼なじみがアルバイトで働いている飲食店に、私の幼少期の知人がたまたま来店した。そこで突然、「宗嗣がゲイだって知ってた?」と聞かれたのだ。そのとき、私の幼なじみはどう答えてよいかわからず曖昧に返答したが、その後、私を心配して母親経由で知らせてくれたのだった。私自身、こうした事態へと発展していくことは想定していたため、その話を聞いても、ただ事実として受け止めただけだった。
 しかし、それが「噂」として広がることの怖さを実感するもう一つの場面に、私はまもなく遭遇することになる。
 二十歳になる年、成人式に参加するために地元に帰り、同窓会に参加した。中学や高校を卒業してから一部の関わりのある人たちにはカミングアウトしていたが、何年も会っていない人と会うのはやはり緊張した。きっと私がゲイであることは、ほとんどの人に知られているだろう。厳しい態度を取られることを想定し、腹をくくってのぞんだ。
 同窓会に参加してすぐのこと。久しぶりに会った同級生に言われた言葉が、「お前、ガチでホモだったのかよ、俺のことは掘るなよ」だった。中学生だった頃、自らも同性に対する過度なスキンシップから「ホモ」といった言葉でいじられることが多く、自分でもむしろ積極的に笑いにしていた節もある。このときも、単なる笑い話の一つとして言われたにすぎない。それでも、喉元をグッとしめられたように息が詰まった。「そうそう! ガチだよ!」と、笑いながら返す。向こうも特に気にしてはいない。

 この間を振り返ってみるに、私はいくつもの「運命の分岐点」を通ってきたのだと実感する。もし父が、息子がゲイであることをまったく受け入れられなかったら? 幼なじみやその家族が差別的な考えの持ち主だったら? それぞれの関係性は一体どうなっていただろうか。実家どころか、二度と地元に戻れなくなっていたのではないか。

 彼は私だったかもしれない――。
 二〇一六年、アウティングによって一人のゲイの大学院生が転落死した「一橋大学アウティング事件裁判」が報道されて以降、性的マイノリティの当事者が、亡くなった大学院生に自分自身を重ねる少なくない語りを見かけた。なぜ「もしかしたらあのときの私も」と記憶を重ねるのか? それは、アウティング被害がそれだけ当事者にとって身近な事象であり、かつ、生と死が交差する紙一重な瞬間であること、そして、たまたまその「分岐点」を乗り越え、これまで生き残れたにすぎないという想いを表しているのではないか。
 アウティングがおこなわれたとき、たいした被害にならないこともあれば、命の危機につながることもある。まさに運命の分かれ道。この綱渡りな現状の背景には、ジェンダーやセクシュアリティに関する規範が社会の制度や意識にいかに根を張り、「あたりまえ」や「ふつう」と呼ばれる枠から外れるや否や、差別や偏見によるさまざまな不利益を被りかねないという構造的な問題がひそんでいる。
 なぜ、尊い一人の命が失われなければならなかったのか。なぜ、性的マイノリティの当事者はこの綱渡りな状況を生き続けなければならないのか。そもそもなぜ、性的指向や性自認にかぎらず、機微(センシティブ)な個人情報を暴露することが「命」の問題につながるのか。
 同じゲイの当事者であり、性的マイノリティに関する情報を発信してきたライターの一人として、この本では、自身の実体験や、これまで取材してきた性的マイノリティ当事者の経験、アウティングをめぐる各種報道などをベースに、「アウティング」という問題について私なりに整理した。
 一橋大学アウティング事件によって、この問題に世間からの注目が集まり、結果的に私も執筆に至った。しかし、多くの社会課題に言えることだが、誰かの命が失われ、象徴的な事件が起きなければ、こうした被害の実情や問題に焦点が当てられない現状に憤りを覚える。一橋大学での事件が起きる以前から、アウティングによる深刻な被害はたくさん起きていた。いまもまさに、多くの性的マイノリティの当事者が、それぞれの運命の分岐点に立っている。
 これ以上、命が失われないために、何ができるのか――。
 アウティングとその背景にある問題を紐解く入口として、まず、「ことの始まり」となった、一橋大学アウティング事件の経緯から振り返ってみたい。

目次

はじめに

第一章 一橋大学アウティング事件――経緯
告白/LINEグループでのアウティング/転落/遺族には知らされなかった事実/求めたのは「謝罪」

第二章 アウティングとは何か
アウティングという行為/データでみる被害/性的指向と性自認/言葉自体が知られていない/アウティングはなぜ「問題」なのか

第三章 繰り返される被害
大阪の病院で起きたケース/地方の高校で起きたケース/「良かれと思って」の落とし穴/職場におけるアウティング/トランスジェンダーの直面する困難/人称代名詞/カミングアウトとは何か/身を守るためのゾーニング

第四章 一橋大学アウティング事件――判決
学生とは和解、大学との裁判は敗訴/控訴審、尋問、母の陳述/判決/終結

第五章 アウティングの規制
事件後、社会の変化/「仕方がないこと」だと思っていた/自分は「何者」なのか/「問題」の所在/「カミングアウトの自由」という権利/カミングアウトを「させない」ことの禁止/条例が守ろうとしているもの

第六章 広がる法制度
広がる規制/パワハラ防止法の成立/アウティング法制の効果/豊島区の企業で起きたケース/アウティング法制の疑問/カバーしきれない「言葉」の問題/被害に対処する「仕組み」/現実を矮小化せずに、理想を語れるか

第七章 アウティングとプライバシー
プライバシーとは何か/要配慮個人情報/人格の発展、情報のコントロール

第八章 アウティングの線引き
アウティングをめぐる三つの線引き/(一)属性/「在日コリアン」の場合/インターセクショナリティの視点/「ハーフ」や「ミックス」の場合/「難民」に関する報道/言葉の汎用性/(二)場面/大津市でのアウティング被害/ゴシップ報道による被害/議員によるプライバシー侵害/(三)許容範囲/当事者間でのトラブル/同性間の性犯罪と、その報道/緊急時におけるアウティング/原則の確認と現実的な対応

第九章 アウティングのこれから
東京五輪で起きたアウティング/自由と尊厳、欧米のアプローチの違い/差別を禁止する法律もない日本/「だったら共有されたくない」という反応/カミングアウトされた側の不安/「噂」への対応/アウティングが起きてしまったら/「何もしない」ことの問題/性別は「機微な個人情報」か

終章 アウティング、パンデミック、インターネット
新型コロナウイルスとアウティング/韓国の「ゲイクラブ」で発生したクラスター/個人データとアウティング/受け継がれるピンクの三角形/社会は勝手に変わらない

おわりに

著者紹介

松岡宗嗣(まつおか・そうし)
1994年愛知県名古屋市生まれ。明治大学政治経済学部卒。政策や法制度を中心とした性的マイノリティに関する情報を発信する一般社団法人fair代表理事。ゲイであることをオープンにしながら、HuffPostや現代ビジネス、Yahoo!ニュース等で多様なジェンダー・セクシュアリティに関する記事を執筆。教育機関や企業、自治体等での研修・講演実績多数。2020年7月、LGBT法連合会・神谷悠一事務局長との共著『LGBTとハラスメント』(集英社新書)を出版。近著に『「テレビは見ない」というけれど――エンタメコンテンツをフェミニズム・ジェンダーから読む』(青弓社)、『子どもを育てられるなんて思わなかった――LGBTQと「伝統的な家族」のこれから』(山川出版社)。本作が初の単著となる。

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