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『「40歳を過ぎて、大学院に行く」ということ』⑯「ぎりぎり」と「課題」

 いつも、このnoteを読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして記事を、書き続けることができています。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。


(この『「40歳を超えてから、大学院に通う」ということ』シリーズを、いつも読んでくださっている方は、「ぜいたく」から読んでいただければ、重複を避けられるかと思います)


大学院で学ぼうと思った理由

 元々、私は家族介護者でした。

 1999年に介護を始めてから、介護離職をせざるを得なくなり、介護に専念する年月の中で、家族介護者にこそ、特に心理的なサポートが必要だと思うようになりました。

 そうしたことに関して、効果的な支援をしている専門家が、自分の無知のせいもあり、いるかどうか分からなかったので、自分で少しでも支援をしようと思うようになりました。

 そして、臨床心理士の資格を取得するために、指定大学院の修了が必須条件だったので、入学しようと考えました。それが実現したのが2010年です。介護に専念して10年が過ぎた頃でした。

 私自身は、今、振り返っても、40歳を超えてから大学院に入学し、そして学んで修了したことは、とても意味があることでしたし、辛さや大変さもあったのですが、学ぶこと自体が初めて楽しく感じ、充実した時間でした。

「40歳を超えて、大学院に通うということ」を書こうと思った理由

 
 それはとても恵まれていたことだとは思うのですが、その経験について、(すでに10年以上前のことになってしまいましたが)伝えることで、もしも、30代や40代や50代(もしくはそれ以上)になってから、大学院に進学する気持ちがある方に、少しでも肯定的な思いになってもらえるかもしれない、と不遜かもしれませんが、思いました。

(もちろん、資格試験のために大学院へ入学するのは、やや一般的ではないかもしれませんが)。

 同時に、家族介護者へ個別な心理的支援を仕事として続けてきたのですが、少なくとも臨床心理士で、この分野を専門としようと思っている方が、かなり少ないことは、この約10年間感じてきました。

 もしも、このnoteを読んでいらっしゃる方の中で、心理職に興味があり、臨床心理士公認心理師を目指したい。
 さらには、家族介護者の心理的支援をしたいと思ってくださる方がいらっしゃるとしたら、できたら、さらに学ぶ機会を作っていただきたい、という思いもあり、改めて、こうして伝えることにしました。

 この私のnoteの記事の中では、もしかしたら、かなり毛色が違うのかもしれませんし、不定期ですが、何回かに分けて、お伝えしようと思います。そして、当時のメモをもとにしているため、思ったよりも長い記事になっています。

よろしくお願いいたします。

 今回は、40代後半になってから、臨床心理学専攻の大学院に通えることになり、介護を続けながらも、4ヶ月に入った7月上旬の頃の話です。

 当時のメモを元にしているのですが、自分自身でも、3ヶ月が経っているのに、こんなにいろいろと悩んだり、考えたりしていたのかと、少し恥ずかしくなるくらいです。

 それでも、もしかしたら、同じような環境の方に、わずかでも参考になるかもしれません。ただ、そのため、申し訳ないのですが、かなり長くなりました。

ぜいたく

 7月2日。金曜日。

 早めに大学へ行って図書館で月曜日のガイダンスを申し込み、それから学食へ行きました。

 入り口で同期に手をふったら、中のテーブルでは7人くらいが揃って食事をしています。ほとんどが20代の人たちです。近くに行ったら、ここに座って、みたいな事を言われ、そこに混ぜてもらい、それだけで、今もちょっとうれしい気持ちになりました。

 丼ものが売り切れていたので、カレーセットにして食べていたら、同期では、私ともっとも歳が近い男性(それでも十歳下)に松本大洋のTシャツをほめられました。照れながらもかなりうれしい。そして、なんだかいろいろと話しながらも、明日の課題の事を聞いて、え、やってない、とちょっとゆううつになりながらも、それでも、かなり楽しいままでした。

 食事中に、また新しく同期の女性が来て、「あ、それシロとクロの?」などとTシャツの内容まで指摘されて、さらにうれしくなりました。

 笑っている顔の人たちを見て、まだ3ヶ月くらいしかたってないのに、すっかり顔見知りになれた気がして、そして秘かに仲間だとも思っていたりもして、講義が始まるたかだか30分くらいの間ですが、それはとてもぜいたくな時間でもあったりもします。

 昨日の飲み会の残りのお金、と言いながら、それでアイスを人数分買ってきてくれたりする同期がいて、いろいろな味のアイスをみんなで選んで、その間に私はコーヒーを買ってきたら、ストロベリー味のアイス最中だけが残っていて、でもうれしい気持ちでした。

 まだアイスを食べながらの同期もいたのですが、時間になったので、教室へ向かいます。ホントは、このままここでしゃべっていたりしたいせいもあったのか、次の講義を、ホントにつまんねー、と中学生男子みたいないい方をする同期の若い女性がいて、それで笑いました。

 「何階だっけ?」「2階?」みたいな会話をしつつみんなで階段をのぼり、「あ、トイレに行くの忘れてた」というような声も聞こえ、教室へ入ると、もう教授は来ていました。

 講義は、いつものように進み、そして、先輩である大学院2年生もいっしょの班ですが、以前よりもスムーズに進み、課題の話が出ました。
 という事は、もう講義も終わりに近づいていて、だから、ああもう夏休みか、というような気持ちになりました。

 すごく楽しいのですが、介護も続いていますし、他にもやることはあるのですが、学校のことを自分に言い訳しながら、進んでいないことに後めたさもあります。

 それでも、いろいろと事情があって、しばらく休んでいた人と講義を受けることができ、改めて「みんなが揃ってよかった」みたいな事も思いながら、講義も終わり、帰る時は机を直している時に、みんなが去って、そして帰りは一人で地下鉄に乗って本を読んだりもしていて、それが、とてもさびしかったりするけど、移動する時は一人、というのが、今まででは当たり前の生活で、この4月からの生活がいかにぜいたくなのか、というのを改めて分かったりもします。

 こんなことを繰り返し思うのも、どうかしていると感じるのですが、これから先、また介護にほぼ専念する生活に戻って、毎日のように通わなくてすむから体は楽になりますが、かなりさびしい気持ちになるのではないか、と予想するとちょっと恐いような気さえします。

 かといって、介護をしながら、その合間に、夜中の2時までロールシャッハのことを勉強していると、やっぱり嫌にはなることもあります。

 そういう時間の中、メーリンスグリストで、夏の旅行の予定が回って来ました。

 学生っぽくて、うれしい。泊まりの旅行ですが、私には介護があるので日帰り参加になりますが、やっぱり、ぜいたくな時間だと思います。

気がかりな純粋さ

 7月3日。土曜日。

 最近、目が悪くなってきた気がします。
 といってもただの老眼だと思いますが、近くのもの、特に小さい文字や映像が見えにくくなってきています。

 だけど、なんとか気合いと交差法で老眼の進行をなんとかもっと遅らせたい、とも思っていますが、今日はロールシャッハの講義で、昨日の夜中になんとか形にしていったもので臨んだのですが、でも、やっぱり苦痛は少なくありませんでした。

 今も在宅介護は続いていて、夜中の介護が担当ですから、遅いと午前5時過ぎに寝ることも少なくないので、昼近くまで寝ることに比べたら、土曜日には、いつもよりもはるかに早い時刻に起きているのですが、それがものすごく苦痛でなくなってきたのは、同期と会うのがけっこう楽しくなってきたせいだと思います。

 リュックの中に「ロールシャッハ」の重いテキストを持って、土曜日の電車は意外と混んでいて、乗り換えて最初は座れなかったのですが、途中で座ってコンビ二で買った朝の食事をして、大学に着きました。

 朝からロールシャッハをやって、最初はグループに分かれて、解釈の意見の交換もしました。そして、後ろの方でやけに熱心な声が時々聞こえてきたのですが、でも、それほど気にならかなったのは、自分たちの方の討論も自分にとっては分からないことばかりで、いつまでたってもロールシャッハは分からないままで、分析も解釈も遠いままで面白いと思ったことはおそらくこれまでにも一度もなく、それでいつもよりも圧倒的に口数の少ないままで時間が過ぎます。

 それは、これから学んで、実践を積んでいって、身につけていくしかありません。

 それから昼ご飯の時間になったので弁当でも買いに行こうとして、同じグループの同期と、他のグループだった同期の女性と3人で近所のスーパーへ出かけました。先週と同じパターンだと思います。

 その途中で、同期の女性は、なんだか怒っていました。

 講義の中でいろいろとあって、分からない自分が悔しい、というような事を言い、それから弁当を買い、さっきは当たり散らしてごめん、というような事も言っていましたが、それは、それだけ真剣に取り組んでいる証拠だと思いました。

 食事は学食の外にあるテーブルで食べることにして、その女性の同期の話が続いたのですが、負けず嫌いの話でもあったけど、純粋な話だとも思いました。

 周りの人にも迷惑をかけた、ということも気にしていましたが、自分ももうすぐ50なので完全に初老の域に来ていて、それはこういう学生生活を送っているとちょっと忘れそうにもなるのですが、そういう純粋さって、実は若いからあるのではなくて、ある人にはあるけど、ない人にはない、という素質みたいなものではないか、と思うようになっていましたから、ウソなく必死で話し続けるのは、なんだか貴重なものを見ているような気持ちにもなりました。

 午後の講義も終わり、レポートの話になり、もう7月だから今月で前半が終わりで、なんだか早い、6月ってあっという間だった、と思い、少し切ないような気持ちにもなったのですが、そのあとで、同期の何人かと、8月の旅行の日程の話題になり、じゃんけんで幹事も決まって、それから何人かでダラダラとお茶を飲んだりしているうちに1時間くらいがたちました。

 そのあと、一人で地下鉄に乗り、途中で買い物をして家に帰り、久々に妻と二人で夕食を食べると、妻がカゼで調子が悪いといいながらも、いつも通り妻がいてくれるのはとてもありがたい気持ちがしました。

 ワールドカップはアルゼンチンがぼこぼこに負け、今日と明日と課題とかレポートとかをやらないと間に合わないというのが、なんだかやっぱり学生っぽいですが、同時に介護はいつも通りに続きます。

未来

 7月4日。日曜日。

 珍しく一日、家にいました。しばらく行ってなかった義母の買い物にも一緒に、車イスを押して出かけました。

 とても蒸し暑く、近所の人と会って、天気の話になったり、スーパーで近くの薬屋さんの店員がアイスを買うところに出会ったり、というような時間があり、帰ってきてから、妻が用意してくれたおやつを食べながらテレビを見ていると、「久しぶりだね」と妻が笑っていました。

 ここに自分の生活があって、ほとんどすべてがあって、今はちょっと浮かれているんだ、みたいな事を改めて思ったりもして、ちょっと恥ずかしくはなりました。

 2年間の学生生活が終わると、また介護を中心とした生活に戻ってくるだけで、若い人たちと違い、おそらくは就職先みたいなものも私にはなく、介護が終わるまで似たような生活が続くだけで、今みたいに毎日のように若い同期と顔を合わせる、という事もなく、また土の中に戻ったような生活が続いていき、その中で臨床心理士として、自分が生き残っていくための毎日がまた始まるだけで、それは今と違って浮かれるような要素はほとんどない、と思いました。

 今はなんとなく見えているような気がする未来が再び見えなくなり、だから、もしかしたら見えなくて当然と思っていた時よりも違う辛さがまたやってくるのかもしれないのですが、それでも確実にまたそういう毎日が始まるのでしょう。

 今日も、やろうと思っていた課題が思ったように進まず、明日、あさってと食事会とか飲み会とかが続いて帰ってくるのも遅くなるから、もっとやっておこうと思ったのに、なかなか進まず、ワールドカップの試合がない今日みたいな日はチャンスなのに、と思いながら、予定通りには当然ながらいかず、学生な気持ちを味わえるのもあと1年半だと思うと、ちょっと焦っています。

 ただ、学生生活が始まる前は、早く資格をとりたい、くらいしか考えていなかったので、こんな恵まれた時間が待っているとは思いませんでした、ということを、しつこいようですが、思っていました。

疎外

 7月5日。月曜日。

 原宿に久しぶりに妻と行きました。

 知り合いの作家が、デザインフェスタギャラリーで展示しているからで、裏原、などと言われている場所へ行きました。

 知人の作品は、いい意味でどこか覚悟が伝わってくる作品が並んでいて、1枚1800円で、妻と相談して一枚買うことにしました。その前にその近所のショップへ行って缶バッチをいくつも買って、それからまた戻って絵を買って、さらにその中にあるカフェでご飯を食べました。

 思ったよりおいしくて、そして、その屋外の屋台みたいなカフェにあったザクロの木が大きくなっていて、それに妻は感心していました。そのことを店員にも聞いていたのですが、その木がザクロだと、ほんのちょっと花が残っているだけで、あの色の花は独特だから、とすぐに分かった妻に感心しました。

 ビョークの曲が途中で流れて、なにかその歌声は録音されたものなのに、なんだか急にエッジが効いていて、くっきりと聞こえて来て、ある意味ではそれでいいの?と説教をされているような気持ちにもなり、ちょっと気持ちがひきしまったような気までしました。

 久しぶりに妻とのおでかけは楽しい時間でした。

 原宿へ抜けて、その間に遠くから見ているショップの店員はどの人も何か勝負しているというか、微妙に上から人を見ているような態度で休憩をしていたりするのを見ると、ここは戦いの町なんだ、みたいな事を改めて思い、6%ドキドキ、という店の店員の女の子はやっぱり、私が慣れていないせいで、ちょっと恐く感じました。

 竹下通りを平日だからわりと歩けて、そこから電車に乗って、渋谷駅で妻と別れ、ホームでずっとしばらく手を妻が振ってくれて、大学へ向かいました。

 デイサービスから戻ってくる義母の介助などは任せてしまって申し訳なかったのですが、でも、今日は図書館のデータガイダンス、みたいなものに出ようと思っていたので、それに出ました。資料の検索の事などを学び、今は論文までもがインターネットで検索できるのを知り、なんだか感心もし、その後に図書館の人に書庫を案内してもらいました。

 そこに入る時は、やたらとべたべたするマットの上で、靴の底の虫などをとらないといけないのですが、その中には、チベットから持ってきたお経とか、江戸時代の雑誌とか、そういう古い貴重なものも見せてもらいました。

 ガイダンスを受けた人の中で、私一人しか、その書庫を見たい、という人がいないのに、わざわざ案内してもらって悪かったのですが、ありがたい気持ちになりました。

 それから講義だったのですが、今日は途中から、早めに講義は終えて、食事会ということでなんだか落ち着かない空気にもなっていたのですが、教室を出たら、急に強い雨が降って来て、なんだか濡れながら近くの店まで行きました。

 食事会では、席の近くの人と話も出来て、大学院に入ったとき、最初に声をかけてくれた同期の男性とわりとちゃんと話すことも出来ました。午後10時半くらいに解散になりました。

 一部の人たちはこれから夜通し飲んだりするそうで、ちょっとうらやましく、介護のために帰る私に向けて気を遣ってはくれたのですが、少し疎外感はありました。

 店に入る時に、まったく別の中年男性のグループに、若いからいいねー、などと声をかけられたのですが、よく見たら、年齢はいっしょくらいなのに、などと思ったことも、思い出し、自分には自分の場所があり、そうでない場所に行くことはやっぱり出来ないのだ、と分かったような気がしました。

 家に戻ってから、夜中の介護の時間になりました。

ボーダー

 7月6日。火曜日。

 実習中に、外で働いている方に、こういう事を言うのは、すみませんが、というような前提で、この1週間くらいの日誌の事をちゃんと読んでください、みたいな事を、このカウンセリングの施設のスタッフの方に言われました。

 もっともだと思って、実習が終わってからあやまったりもしました。途中で、すぐに切れた電話が気になって、その話もしたら、意外と反応がありました。

 それよりも、この実習の時にいっしょに組んでいる人に、昔のことで少し恐い話を聞いたのが印象に残りました。以前も大学院に行っていて、その時に明るいかわいらしい女の子がいて、なんだかまとわりつくようにしてきたが、それほど気にする事なく接していたら、学校のカウンセラーから、その子に近づくな。彼女はボーダーだ。人生をなくす。と言われた、という話でした。

 それだけなら、まだしも、それが今とつながる話になったから、少し怖いことになりました。

 それを聞いたのは実習の終わる1時間くらい前でしたし、ちょうど話は途切れたのですが、それを聞いて、自分の中で、人に対しての見方が微妙に変わったのが分かりました。

 こうしたところで学んでいると、病気や症状の話を学んだり、見たり聞いたりすることが圧倒的に増えるから、余計に、そんなふうに見えることが多くなる時期なのかもしれない、といったことも考えました。

 学食の前に同期の女性が一人いました。なんだか落ち込んでいます。人間関係について、悩んでいるようでした。それから食事をしていたら、学食で何人かの同期とさらに一緒になり、話をして、そして講義が業が始まるから、というので移動をしました。

 今日の講義は、今回で最後でした。
 少し予定よりも講義時間が長くなったのですが、それから飲みにいきました。何かあったら、同期で揉め事があったら嫌だと、勝手にシラフで思っていたのですが、でも今日は楽しい時間でした。参加した人たちも楽しかった、と言っていました。

 帰りの電車の中で、同期の女性は、再び悩みを語っていました。自分を否定するような話題になっていたので、そんなことはない、と言うしかありません。そのまま、途中の駅で降りていきました。

 いろいろなことがうまく行くわけもなく、でも、こちらから、何かが積極的にできるわけではありませんでした。

意志

 7月7日。水曜日。

 昨日は、境界線人格障害の話を聞き、いろいろと見方が変わるような気もしていました。なんだか、自分が卑怯な人間のような気がします。

 妻と少しそんな話をしました。すると妻は、みんな専門家だから、そういう話になるんだね、というような事を言って、だけど、もし、それが本当だったとしても、わたしはその病気を含めて、その人ではないかと思うんだ、というようなことを普通に言いました。なんだか感心した。というより、自分を恥ずかしく思いました。

 こういうところもあるから、私はずっと実は妻を尊敬している、というのを改めて思い起こし、ホントに自分で情けないと思いました。

 今日は、インテークカンファという事例検討会というものがあるので、大学に出かけて、今回のこのインテークカンファはスムーズに終わりながらも、ちょっと気になることもあって、少し考えたいので、閲覧室という場所でコンピュータを使ってレポートの続きを書こうと思いました。

 だけどそのコンピュータはパスワードを打ち込まなければダメみたいで、だから、手帳のすみに書いてあったメモを見て、やっとの思いで開いて、その後の操作も、そこにいた同期に聞きながらすすめて、だけど、ちょっとずつやっとの思いで作業を進めました。

 途中で前から「クールでうらやましい」と思っていた年下の先輩に、そのことを少し話したら、自分で望んでなったわけではない、中学生くらいの方がさめてた、というような言い方をしてちょっと意外だったけれども、なんだかちゃんと答えてくれてありがたく思いました。

 そんなこんなで2時間以上をかけてやっとレポートが一通り終わって、それから学食で食事をして、他の同期ともいっしょになり、なんだか楽しかったけど、昨日、落ち込んでいた同期の女性は今日は休みみたいでした。

 さっきの閲覧室で見たその同期の、その女性の4月の時の写真は、笑っていて、これから楽しい生活を送るぞ、というような意欲があふれていました。昨日みたいに、すこやかなあきらめ、みたいな事を言っていた表情を思い出したら、勝手になんだか少し悲しい思いになりました。

 それで家に帰ってきてから、メールを打ったら、その同期から返事が来ました。今日は熱を出して休んだようでした。七夕は雨だけど、この同期に限らず、せっかく一緒に学んでいる人たちは、何ができるわけではないのですが、できたら、少しでも楽しい方がいいのに、と思いました。

抑圧

 7月8日。木曜日。

 発達心理学の最後の講義。

 同期の一人がカゼで休んで、ちょっと心配したけれど、他のクラスメートがかわりにレポートを提出したようで、それでちょっとホッとしていたのですが、自分のレポートを読むことになり、それはその講義の担当の教授のことを書いたので、しゃべってちょっと気まずかったりもしたけれど、でも、本当に思ったことなので、それで読みました。

 さらには、ぜんぜん予想もしていなかったけれど、最後なので、また大学の地元の居酒屋で飲むことになりました。話は、そこそこ以上に盛り上がり、私の昔のスポーツ関連の話でも聞いてくれて、そんな時代を知らないはずの若い人まで、なんだかおもしろいと言ってくれました。

 その飲み会の、ラスト15分くらいになって少し席をうつると、そこにいた何人かで妙な話になっていました。テーマは、抑圧でした。よく分かりませんでした。

 私は一人でシラフのまま、話を聞いていると、そこにいる人たちは、とても優秀で、だからこそ、周囲の思惑のようなものに敏感なせいで、そうしたことを感じているようでした。

 今はすごく繊細な時代になっていて、それに比べたら、私は同世代では競争力が低いと思っていたのですが、今の若い学生に入ったら、なにより野蛮なのだと思ってきました。

 抑圧って、なんだろう?と思っていたら、確かにさまざまな場面で、一応、疑問が起こったりして、何かをしゃべると、妙な沈黙などがやってきて、それが続いて疲れたりすることもありました。

 そうしたことで、毎年、何人かが必ずつぶれてしまう、みたいな話もしていて、なんだか恐くもなりました。それは酒の酔いがあるせいで、極端な方に寄っている可能性もあります。

 そこで話されていることは、私には繊細すぎて、怖くなるようなことでもあったのですが、でも、臨床心理学、という場所だから、よけいにそうなるのかもしれないし、これからの仕事を考えたら、それくらいの細かさが必須かもしれません。

 そして、つぶれるとしたら、ギリギリになっている人で、といった話題も怖さがあるのですが、ただ、やっぱり同じような場所にいるのに、見えているものが違っていて、それは、おそらくは自分の解像度がまだ足りないのでは、と思いました。

 それでも、なんとか、少しでも、これからの学生生活は自分だけではなくて、周囲も少しでも楽しくなれば、といった気持ちは、自分の中では、変わらないようでした。

実習

 7月10日。土曜日。

 いろいろと送らなくてはいけない書類があって、確かに送ったはずなのですが、それが、どうなったのか分からなくなりました。結局、担当の教授に直接メールで問い合わせをすることにして、昨日の夜中に送ったのですが、今日の朝方には返事が来ていました。

 こんなに早く来るとは思わなかったので、少しびっくりしつつもありがたく思いました。御礼のメールを送ってから出かけました。

 大学の最寄りの駅に着いたら、ちょうど講義が始まる時間が迫っていました。

 同じ電車に、大学院の1期上で、年齢ははるかにわかい女性の先輩も乗っているのが駅に到着してから分かったのですが、その人は、吹っ飛ぶように早く走っていって、追いかけようとしたら肉離れを起こしそうなスピードだったので、あきらめました。

 それでも小走りでトイレに行って、それから教室へ行ったら、時間に間に合いました。

 事例検討会は、とても貴重で、重い内容の事例を出してもらって、だから、こちらも考えることが多くなって、充実した時間になりました。普段から、いい人だと思っている人は、やっぱり発表をしてもすごいんだと改めて思って、それも何だか嬉しい気持ちになりました。

 そして、昼ご飯を食べて、一緒に実習に行く人とソフトクリームも食べて、それから図書館で時間を過ごし、午後2時には学校を出て、実習に向かいました。それはいつも定期で通る場所だからありがたく、降りてすぐにその建物があって、そこでもう一人の大学院3年生の方と待ち合わせをして、2階に上がり、ある当事者の会(いわゆる自助グループ)の集まりの話し合いを記録する作業をする実習でした。

 時間になって、話し合いは始まり、しゃべる言葉を記録にとっていったら全然間に合わない情報量でした。腕も痛くなっています。自分の書く速度はなんて遅くて、その上、どうして、読めない字しか書けないのだろう。と嫌になりながらも必死でした。

 そして、その話し合いの中で、当事者の司会をする人がホントに巧みで、というのは、テクニックだけではなく、慣れ、というようなものだと思ったのですが、それでも書きながら感心しました。どの人にも平等に時間があるように心を配った上で、何かコメントのようなことを付け加えるときは、押しつけがましくなく、相手を力づけるような言葉をさりげなく選んでいて、すごいと思っていました。

 自分がこの言葉を、記録として起こすから、なんだか不安で、一緒に行った社会人枠の同期の人とその内容を少し確認がしたくて、どこかお茶でもとお願いしたら快く引き受けてくれて、でも、その最寄りの駅では何もないので少し戻って、クラシックな、その人がいつも行っている、という喫茶店に行きました。

 それからもけっこう雑談をしました。いろいろと話すと、その人の反応は早く、時々素直に笑ってくれて、とても有り難く思いました。その中で臨床心理士の世界の話になり、学生から先生からスタッフまで、かなり静かな雰囲気で、だから、浮いてしまうから黙っていようと思った、みたいな話も聞いて、なんだか雲の間から太陽が見えた気がしました。

 自分が野蛮すぎて、違和感を感じていて、それでずっと自信を持てずに来たのですが、それは、人によるのだということが確認できたからでした。それが、この前の酒席の場所でも出た、抑圧、といった感じにつながるのかもしれません。

 これから課題が続き、それからこの実習のまとめもしなくてはいけないので、なんだか大変だったりもしますが、これだけゆっくり話をしたのは、おそらく初めてで、思っていた以上に話が通じることがわかり、とてもうれしくなりました。

 明日は休みで、そしてワールドカップの決勝です。

講義終了

 7月12日。月曜日。

 今日、義母がショートステイから帰ってくるので、いつも通りの生活に戻ります。

 早めに施設に、妻と二人で迎えに行ったら、義母は、部屋の中で一人で車いすに乗って、下に落ちたタッパーを拾おうとしていたので、怒ってしまいました。それは、いつも入所する前に、一人で車椅子に乗らない、という約束をしていたからでした。

 怒っても、義母は耳が聞こえない状況で、筆記ボードでいろいろと書いたことに対して、「ごめんなさい」という大きい声で職員さんがやってきてくれたりしたのですが、こういう時だけ反応がすばやい気がしてしまって、勝手ですが、少しイラついてしまいました。

 天気が悪くなりかかっていたのですが、雨も降らずに家に帰ってこられて、それから大学へ出かけられました。

 大学に到着し、学食に行ったら、そこで同期と会い、いっしょに食事を始め、そこに他の大学院の人たちも集まってくれて、テーブルがうまったころに、地下鉄で途中まで一緒になることが多い同期の女性がちょっと元気がない顔であらわれ、そして、うしろのテーブルに座っていました。なんだか気になって、声をかけたけど、かえってびっくりさせてしまったようでした。時間がないので、いつもの食後のアイスを食べずに5階へ上がります。

 フォーカシングの最終の講義です。

 考えたら、この講義でインタビューというものが面接と全然違うもので、放っておいたら、すぐに介護でやめることになったライターのときの取材のインタビューになってしまうので、かえって身につかないかもしれない、と不安になったのが4月の末で、まだそれから2ヶ月と少ししかたっていません。

 最初に、今日の講義のための練習として、教授を相手にリスナーをやるということになり、その人数は3人くらい、ということだったので、情けないのですが、選ばれないように、ひたすら目をそらしたりしているうちに時間がたち、では、みなさんで3人を選んでください、と言われ、3人が決まりました。なぜか、自分がそこに入っていました。

 3人が並び、フォーカシングの権威である教授が前にいて、ずっと話を聞いて、言葉を返していく、という作業をしていてくれて、3分ずつという事だったのですが、ちゃんと無理のない誘導してくれて、そのおかげで、3分がたちました。

 ものすごく緊張もし、さらに、それから3人で10分くらいの話をすることになり、他の方々も、けっこう微妙な話も正直にしてくれたのですが、それに対して、自分の話は、伝えようどうしようかと迷うようなことでもあったのですが、その話をしている時にどんどんその教授が小さくなっていくような感じもしたのは、こちらが話しやすく、存在の気配の調整をしてくれたせいかもしません。

 それでも講義の最後の方で、人の力を信じる、というような事を言ってくれた時に、すごく力強くて、それはこちらにとっては希望といっていいもののように思えました。私の言葉は、未熟な答えだったりもしたのでしょうが、それに対しての感想がなんだか存在を認めてくれているようなコメントでとても有り難く思いました。

 だけど、たぶん、これが4月の段階だったらこうはいかず、今でもずっと苦手意識があると思うので、というよりへたに聞く事に自信があったりしたから、それが足をひっぱっていたのだと思いますし、今振り返れば、その最初の段階でああ向いてない、自分はホントに資格とれるのだろうか。今までやってきた事が逆にあだになったら、それはかえってマイナスで年齢がいっているだけに修正する時間がないのではないか、と本気で落ち込んだ時から比べると、予想もつかないところにいるような気はします。

 改めてこれだけ率直に気持ちを伝え続ける事の困難さ、といったものも感じ、最初の頃と比べて、この教授のすごさみたいなものをより感じるようになったように思います。

 その後に、このフォーカシングは気持ちを見つめる、という事が不可欠なため涙を流したりする人も出てきて、その事で講義の進み方は微妙に変わったのですが、そういう事さえ、豊かな時間になったように感じました。

 それから、同期の何人かで飲みに行きました。私は、ずっとウーロン茶ばかりでしたが、前よりは少し、仲良くなった気がします。明日は実習があります。今日から、義母がショートステイから戻ってきて、いつもの生活がまた始まります。帰ったら、午前5時頃まで介護が続きます。

司会

 7月13日。火曜日。

 カウンセリングの施設での受付の実習は、細かいことを言えば、ミスはあるのですが、それでも、なんとか無事に終わりました。そのまま一人で学食に寄って早めの食事をして、コーヒーも飲み、地下鉄に乗って、帰りに大きい本屋さんへ行ったのですが、買おうと思った本はリストの半分くらいしか買うことが出来ず、でも松本大洋の「ピンポン」を買って、電車の中で音楽を聞きながら読んだら、すごく気持ちが盛り上がったのですが、外からは、淡々とマンガを読んでいる中年男性にしか見えないはずでした。

 帰ってきたら午後8時過ぎ。食事をしてから、テレビを妻と一緒に見ながら、「ピンポン」を読み続けました。午後の11時過ぎも、まだ読んでいて、ぜんぶ読むつもり?と妻に聞かれ、あたりまえじゃん、みたいな答えを返したら、小学生の言い訳といわれました。

 まだ大学院の講義での課題がけっこうあって、と言っているわりには、そんな事をしているせいで、ごく正論だとは思うけど、だけど、妻をねかせてから、さらに最後に向けて読み進めてしまいました。

 映画化したくなるのは、何だかよく分かるし、すごくかっこいいマンガでした。スポ根の先のマンガ、という感じがして、考えたら、松本大洋は、スポーツを題材にしている作品も多く、この「ピンポン」も、試合前の空気みたいなものまですごくよく出ていて、そういうところもすごくよかったと思いました。

 映画も面白かったのですが、でもマンガはすごかった。どうしてこういうのが描けるんだろう、と思いました。登場人物から、才能がないだけ。というような言葉が出て来て、それは本当だと思ったけれど、それをこれだけ正確に描いた人って、そう簡単にいるとは思えない。みたいな気持ちになって読み終えたけど、夜中にはなっていました。

 課題がまだあると思っても、同時に締め切りまでも時間があると思っていて、だからなんだかだれているんだと思います。

 夜中に介護を続けていたら、これまで個人的なメールをもらったことがない同期から、メールが来ていました。今日、いっしょに実習をしていた人から、ちらっと聞いていたのですが、事例検討会の司会の話でした。

 さっき聞いたのは、その人がダメだった場合の代打、という事だったので、それならば大丈夫です、みたいな返事をしていたのですが、今回もらったメールは“司会をお願いします”と書かれてあって、どうやら、状況は変わったのかもしれません。

 基本的にはその同期の方に頼まれるのが意外でした。

 なんだか嬉しい気持ちもあったのですが、カジュアルな話ならまだしも、人前でちゃんとしゃべるのはすごく苦手だし、小さい頃からの声へのコンプレックスは今でもあるし、という事で基本的にはお断りしたい気持ちもあるのですが、実習をいっしょにやっている人との約束があるので、引き受けることにしました。

 今日は、私の過去の原稿を読みたい、と言ってくれた教授に会えなかったので、過去に1冊だけ出版していた本を渡せませんでした。メールボックスってどこだろう?それから実習のあとの書類とか、まとめたものとか、どうすればいいんだろう?分からないことだらけで、今も大学院という場所のルールを知らない、という事なのだと改めて思いました。

カード作り

 7月14日。水曜日。

 朝、起きて、昨日の司会の要請への返事のメールを打ちました。

 たしか、昨日の話では、メインの人が都合が悪くなった時の代打に近い扱いだったはずなのに、私に決まったような文章になっていたので、そのあたりの確認も含めてのメールを出してから、ボランティアに向かいました。

 母が入院していて、そこに2時間かけて、7年間毎日のように通っていた病院です。そこで、毎月、患者さんに渡す誕生日カードを制作するボランティアを始め、母が亡くなってからも続けることになり、気がついたら、8年ほどつくり続けています。

 病院の最寄りの駅に着いたら、いつもボランティアで一緒の人に会いました。ずっと夫の方をみてきて、亡くなって病院にいなくなってからもカード作りに来てもらっていて、この人がいなかったら、私も母が亡くなったとき来るのをやめていたかもしれません。

 なんだか蒸し暑い。バスに乗っていて20分ほどかかり、バスから降りて、病院に着くまで天候の話をしました。「もう梅雨があけるんですかね?」などと会話をていると、病院に着きました。

 誕生日カード作りのボランティアは、以前、母親が入院していた時に、担当してくれていた少しベテランの女性スタッフがいっしょにカードを作ってくれて、なつかしくうれしかったりもしました。

 そこに実習の学生さんが一人加わり、そして、いろいろとしゃべりながら時間はすぎ、いつものようにカードが完成し、ここに来るボランティアのほとんどは、この病院に家族が入院している人がほとんどで、だから、まだみなさん大変な時間が積み重なっているはずなのに、そういう風にも見えず、だけど、自分は学生をしていて、その事をなかなか言えないままでした。

 ボランティアが終わって、今日は講義もないので駅ビルで、本屋へ行くと以前からおもしろいと思っていた連載が1冊の本になっているのを知り、購入しました。

 家に帰って、途中で買ったアイスを妻と食べて、テレビを見て、私はそれから少し昼寝をしたら、人が集まっている中でうとうとしてしまって、すると誰かにのしかかられるようにキスされて、それで息が出来なくなっていく感じがやけにリアルで焦って目をさましたら、当たり前だけど誰もいない部屋で寝ていました。

 起きてパソコンを開いたら、メールが来ていました。司会をお願いします、という内容でした。最初のメインの人の都合が悪くなったようです。

 いつも事例検討会というのがある時に、コンパクトに質問しようとは思いつつも、自分はいつもただ感情的なことをダラダラ話していると感じていました。
 もちろん司会を頼む時だから、悪い言い方はしないのでしょうが、いつも発表者へ暖かいコメントをしていると思われているらしいのが意外でした。無知な人間の情緒的な言葉だと反感をかっているとばかり思っていましたから。

 その後、メインの司会をやるはずだった人からおわびのメールが来ました。ちょっと心配になりました。

 明日も講義がありません。社会人枠で入学した同期の人が、「夏になったら、みんなと会えなくてうつになりそう」と言っていたのですが、それは、なんだか分かるような気がしました。

 今は、課題が進まない苦痛があったりしますが、でも、介護は続けながらも、大学院へ通っていることで、気持ちのベースが楽しいのが続いているのが分かるし、その時間が過ぎていくのも分かります。

 最初の2ヶ月は、とてもゆっくり流れていた時間が、今はすっかり元のスピードになっているのも感じています。細かいことでは、ついてない自分というのは分かっていたつもりだったのですが、8年ほど前のヘルパーの研修の時もそうだったのですが、今の同期にもとても恵まれていると思います。20代や、30代の人がほとんどだから、時々、50近くの自分の年齢を忘れることがあるくらいでした。

 夏が来る、などと肯定的に思ったのも、もうホントに20何年ぶりかと思いました。

課題

 7月15日。木曜日。 

 あと5つのレポート。どれもだいたい原稿用紙で、6枚くらい。だから、合計でも30枚。それで残りが10日。と思って、たぶん油断していました。

 ふと気がついたら、そんなに日は残っていません。けっこうあせる。と言いながら、もう一度「ピンポン」を読んで、また気持ちが盛り上がる。宿題から逃げる小学生で、本当にバカみたいです。

 ただ、課題として指定された本を読んで、こういう人がいるんだ、とか、その言葉使いのセンスみたいなものに感心して、生意気かもしれませんが、これはおそらく現場で実際に感じ、それに対して考え抜いた結果としての説得力だろうという気はしました。

 それでも、やっとの思いで読んで、これでおそらく課題関係の本は全部読んだと思うのですが、だけど、まだ何も書いていません。

 これから最初のレポートを書こうとして、まだほとんどの準備が出来ないし、けっこう大丈夫と思っていた質的研究のレポートの条件を見て、全然分かっていないし、今からだと何も分からないままではないか、みたいな事を思って、さらには締め切りが思っていたよりも3日も早く、その上、この前の実習の逐語録をまったく起こしていないし、というか、課題だけで頭がいっぱいでほとんど忘れていた事に自分でもちょっとがくぜんとして、少しずつ追いつめられているような気にもなりました。

 その一方で事例検討会の司会があったり、元気がない同期の事が気にかかっている、という、ある意味では気持ちのゆとりがないとできないことですから、気持ちの中で苦笑してしまうような状態でもあるようです。

 ただ、もう3ヶ月が過ぎてしまったのかと思うと、それはどこか達成感というよりは、なんだか寂しいような気持ちの方が強いのですが、同時に、3ヶ月の間とは思えないほど、いろいろな気持ちも経験できました。

 すごい緊張するとか、新しく人に会うとか、気持ちが近づいていくとか、仲良くなるとか、なんだかいさかいを感じてゆううつになったり、抑圧みたいなものもあったりすると怯えたり、嫌われているんじゃないか、とか、あの人は心配だとか、来なくなった人がまた来たりとか、いろいろな事が確かにあって、そして課題をやる、というような季節にまで来ました。

 もっと無難に、同期の人たちとは距離をとって勉強だけ、という事も出来たかもしれないけど、それだったら、疲れが少なかったかもしれませんが、もっとつまらなかったと思います。今は、まだ学校へ行くのが楽しい。これを続けるためにも、課題をちゃんとやろう、と思います。

 夜中の介護をしながら、レポートを書きました。

先輩

 7月16日。金曜日。

 今日は、質的研究の講義の最後でした。いろいろな事を聞いても、教授にはちゃんと答えてもらって、それがありがたい時間でした。

 最後の講義での分析で、初めて人にほめられた気がしました。あとはレポートも残っているけれど、なんとなく勝手にメドがたった気もしています。

 講義が終わり、帰りの片付けでグズグズしていたら、年下の先輩である人に、「明日行けないので飲みに行きませんか?」と誘われ、そして、行くことになりました。

 その人は不思議な感じの人で、飲み会では、気になっていて、今まで話せなかった若い人も一緒だったりもして、けっこう楽しい時間でした。飲み会が終わってから、実は近くの街に住んでいる1期上で年齢は同世代の先輩と、一緒に電車で帰って来ました。

 いつかは話したいと思っていたが、なかなか話せる機会がなく、と向こうも言ってくれて、いろいろと話せました。

 これまでのことや、臨床心理士を目指した動機などを聞いて、なんだか凄いと思い、という40分間になりました。ちゃんとそんな自分にとって辛い話をしてくれたし、そして、同世代なので、修了後に自分も仕事がないから、自分で作るしかない、というような事も言っていて、ホントにそうだ、とも思えました。

 可能だったら、その人のやろうとすることに対して、協力したいと思ったのですが、でも自分にも力がないし、などとも感じ、そうやって興味を持ってくれただけで何だかありがたかったし、電車の中とはいえ、初めてゆっくりと話せてよかったと思いました。

 その人が、まじめなのは分かっていた気がしたけれど、でも、こんなにいろいろと先の事まで考え、臨床心理学ではあまり扱わないのに、重要と思われる分野での可能性までも考えているのを知り、さらにすごい、と素直に思えました。

 こんなに立派(という言い方をこちらがするのは失礼かもしれないけど)な人もちゃんと臨床心理士という仕事を目指していて、そして、未開拓の分野を含めて考えて、何より、自分と同世代の40代の人に対して、こういう思いをさせたくない、という言葉を聞いて、自分もそう考えたのを思い出し、そういう話まで出来て、有り難い時間でした。

 途中でトイレに行き、入り口でタンカで運ばれている人を見て、終電で家に帰って来ました。これからロールッシャッハをしないといけない。それはけっこうつらいけれど、いつものように介護は続けて、眠る時間は、午前5時頃になると思うと、やや疲れた気持ちにはなりました。



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