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ぬか床とファシリテーション

仕事の関係で「発酵」について色々調べていました。
すると…こんなものを見つけました。

NukaBot

なんと、対話できるぬか床です。
興味深いですよね。なにが、興味深いかというと単純に漬かり具合や混ぜ時を表示するのではないことです。話しかけると漬かり具合を教えてくれます。また、話しかけなくても「そろそろかき混ぜたら」とぬか床自らが声を発します。

つまり、話しかけそびれたり、聞きそびれたりしたらまずいことになります。最悪の場合、腐ってしまいます。

能動的に関わるから味が出る

数値で漬かり具合などをチェックして、自動で混ぜるとか、そのときに必要な菌や栄養素を足すといった具合に完全自動化もできるでしょう。しかし、それではぬか床の持つ魅力が半減してしまいます。

ぬか床と対話をしながら日々関わっていくことで、思いもしなかった味になる、同じようにやっても同じ味には決してならない、漬ける人によっても違う、というのがぬか床の魅力です。

開発者のドミニクチェンさんは、情報学の研究者で対話のインターフェイスを探求しています。そのドミニクさんは、こんなことをおっしゃっています。

ぬか床にせよ、自分の心にせよ、家族や友達との関係にせよ、制御=コントロールするのではなく、まるでぬか床をかき混ぜるように、主体的に関わることが重要だと思います。客観的にみると、人はぬか床の中をコントロールしているかに見えるかもしれませんが、主観的な体験としては、まるでペットに餌をあげるかのように、菌の言いなりとも言える状態です。香りや手触りを通じて菌から発せられるメッセージを感じ取り、『ちょっと待ってね』と手を入れる。これは生き物同士の関係性だと思うのです。生き物であるからこそ、自分の生活リズムと同期し、生活の一部になっているような感覚を覚えるし、自分がそこに関わることで、相手が元気になったり、元気じゃなくなったり、能動性が反映される。コントロールとは異なる能動的な関わりが、おいしさの一部を担っているとも言えます。この考え方は人間関係に置き換えることもできます。親や上司が子どもや部下をコントロールしようとしてもうまくはいきません。“ぬか床マインド”で臨むことで、うまくバランスがとれることがあるのではないでしょうか

“ぬか床マインド”とあります。素晴らしい言葉ですね。

知り合いの味噌メーカーの社長様もこんなことをおっしゃっていました。

“彼ら”に任せればうまくいく

“彼ら”とは、味噌蔵に住む微生物です。

ある程度の方向は意図するけど、コントロールはしない。
社長様は「食べ物は、加工品ではない」「人間にとって食べ物はガソリンではない」とおっしゃっています。

毎回、水や材料の状況も違うし、温度や湿度も異なる中、ある一定の幅で品質を保つ必要があります。このとき、完全自動化でコントロールをすれば楽かもしれません。ただ、そうした食べ物は、本来の豊かさの一部を失っています。作り手が、“彼ら”と対話しながら能動的に関わることで独自の味を生み出す営みが必要です。

発酵と腐敗を繰り返すことで組織学習の土壌が育つ

ドミニクさんも指摘している通り、この考えは、人間関係にも当てはまります。私がファシリテーションをする際も、「意図するけど、コントロールはしない」ことを大切にしています。

ファシリテーターがコントロールをすると、それに合わせる人もいれば、空気を読んで本当の思いを表に出さない人も出てきます。どんな意見が出てきても、「感情や価値観含めて全部受け留めるよ」という姿勢が大切です。それぞれの味が出るから良いわけで、無理やり塩で味を調えるのは良くありません。

だからといって、意見を整理するだけでも不十分です。既製品のような、どこかで味わったような結論が導かれます。つまり、発見がありません。だから、ぬか床のように「かき混ぜる」必要があります。参加者が目を向けていない問題や「この辺で良いや」と安易に済ませようとしていることを見出して、問いかけていくのです。
 
結果として、その場で結論が出なくても構わないのです。混ぜて、モヤモヤした結果、各自が考えを発酵させて、また集まることもできます。もちろん、腐ってしまうこともあるかもしれません。ただ、それも一つの経験です。発酵と腐敗を行ったり来たりしながら、ぬか床が育つのと同じように、組織学習の土壌が育っていくのだと思います。

組織もぬか床も生き物です。手間ひまかけないと育ちません。意図をもって関わりつつ、急がずに待ってあげることが大切なのだと思います。


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