見出し画像

食べていくこと

平日のBBQ、どう思います?

何、今日、BBQなのー?

白衣のスナッキンが、待っていてくれた月曜日。
「昨日生け捕った猪の肉 、この季節のわりに脂がのっていまして。」

煙の香ばしく、肉の焦げる匂いで、食欲がわく。
ここでは、立食スタイル、スナッキンは、時おり、猪肉や鹿肉を手みやげに、私の帰りを待っていてくれる。

地元の猟友会から譲り受けた猪肉が、スナッキンのもとにあるということは、それに携わる人たちにじゅうぶん行き渡り、なおかつ、素晴らしい肉質が、手に入ったということだ。

「ブームですもんね、ジビエ」
案外柔らかい👍
ビール🍺をあけ、ご飯を片手に、焼けていく肉の塊を眺めた。

味付けは
塩と胡椒

大きな肉だ。さばくのに数時間くらいかかるそうだ。
それも慣れた人なら。
スナッキンは、スライサーを持っていないから、塊を焼いて、ハサミでカットしてくれた。

豪快


はじめてスナッキンが、地元の山で仕留めたのは鳥だった。
その羽をむしって、パンで焼き、振る舞ってくれたときに、私は、そのことに驚き、
「可愛そう」
そうつぶやいた。
直視することができなかった。

「もっと可愛そうなんだよ、鶏肉工場は」
可愛そう?お茶目な静かさで、私を見た。

私は、黙って、焼けた鳥を食べた。

長い年月、食べてきたのだ。
知らなかったのか、その機会はなく、見ようともしなかった。

年配の人が鶏肉を食べられないと言っているのを聞くことがある。

私は、〆るところを見ていないから、食べられる。
食べてきた。

その時、スナッキンがとってきた鳥を調理する全てを見たけれど、食べよう、そう思った。

命は命を生かしている。

私たちも命を終えるときには、他の命を生かすために役立つことができるのだろうか。

罪深いこの体を、地球に、宇宙に還すとき、喜んでそれを迎えられるのだろうか。


生まれたときのエネルギーを、私は、交換しながらどうにかして、生きながらえている。
なくなってしまう前に食べて、出して、一生懸命呼吸し、心臓を動かし、生きようとする。
どうでもいいことを考え、能力以上に、あたり構わず、あれこれ物言い、ためになる仕事、なんて醍醐味で有頂天になり、知らぬ間に人に勝手な優劣をつける。
自分の首をしめていることにも気付けず、気がついたら、大切なものは一番遠くにある。
仕事だけではない。
子育ても、愛も、勘違いしやすい。

私は、エネルギー交換体の、生きものの種類の一つなのだ。

頭の中だって思考だって、時間とともに反応を繰り返したり、行ったり来たりしているだけ。

体は、どんどん終わりに向かう。

何をエネルギーとしてとればいいか、どんなことで喜ぶか、、生まれたときには、シンプルにインプットされている。


その後は、それぞれだ。

どうでも良いくらいそれぞれ。

燃えてるよ
余分なエネルギー


スナッキンが、焦がしすぎないようにくるっと、炎を避けて脂を落とす。
猪肉は少し甘い香りがする。

脂肪って、いらないの?
それならなぜつくんだろう。

飢餓に備えるためにだけ、いつ起こるともしれないからさ。
ストレスにも負けないようにさ。

記憶にある限り私に、飢餓が訪れたことはない。
でも、日本史で見れば飢餓は何回も起こっている。
世界には現在もたくさん飢餓に苦しむ子供がいて、脂肪は、ここにあまりある。

エネルギーは、偏っている。

畑で野菜を作って、とれたてを食べると、どんな野菜もすごく美味しい。
けれどベジタリアンやフルタリアンには、なれそうもない私を、許そう。
でも、、どうせなら、どれをどのくらい食べるか、エネルギーとして計算する能力を持ちたい。
それが、どこにどんなふうに分配されるか。
美味しいときって、皆が笑顔なときだから。

工夫と善良さと、悲しみを味わって、BBQは、お開きになる。

スナッキンは、後片付けも、テキパキこなす。
いつもいつも、私に気づきをくれ、背中を押し、暖かく包んでくれる。
まるで地球のように。


そして、還る場所は、ひとつ。

クーラーの効いた、部屋のベッド。


熱中症で、運ばれないように、医療機関を圧迫しないために、健康に気づかって、自分で自分を生かす工夫をしたい。

無意味に熱心に人を説得もしたくない。
演説もしなくて良い。
楽に。
楽に。


ただ平和をここで祈る。
ごちそうさま🙏

ありがとうございます。


※お肉は必ず充分に火を通して食べています。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?